荻野洋一 映画等覚書ブログ

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アポカリプスと共に

2011-03-24 01:33:04 | 
 3月15日付の仏リベラシオン紙HPに、《日本人は、アポカリプス(黙示録)と共に生きてきた人民である》というインタビュー記事が掲載されている。ジャン=フランソワ・サブレ、ジャン=マリー・ブイスという2人の識者が分析を試み、『日本: 黙示録的アニメ』と称して、カタストロフの描写に心血を注いだ日本製アニメの再編集映像もアップされている。
 『太陽の黙示録』『日本沈没』『はだしのゲン』『アキラ』『風の谷のナウシカ』『ドラゴンヘッド』『最終兵器彼女』などといった諸ジャンルの代表作が言及されたのち、議論は葛飾北斎『富嶽三十六景』の中の「神奈川沖浪裏」(1831 左写真)にまで遡行する。むろん北斎による風景版画のダイナミックな傑作であるが、この高波の描写を黙示録的に眺めるというのは想像だにしなかった。そもそもこれは津波の絵ではないだろう。とにかくこうした趣旨は、さして新味に富んだものとは言えないかもしれないが、渦中ということでもあり、興味深かった。

 日本列島は太古より天変地異に晒され続けてきたため、ここに住む人間たちは、文明のリセットが骨の髄まで意識化されている、というたぐいの解釈が、国内外でさかんになされている。これに対しここ数日、タフな論者たちが主張している。カタストロフを宿命的に考えてしまうのは、過剰に安直ではないかと。いま、日本人はあまりにも冷静沈着に宿命を甘受しすぎていると。
 しかしながら私の意見は、結果的にはこれの正反対で、私たちは冷静沈着なわけではなく、茫然自失と緊張の均衡を単に図っただけであるし、今回の震災うんぬんではなく、終末はどっちみち来るだろう。物語に終わりがあるように、歴史には世界には、必ず終わりが来るのだ。これはやはりどうしようもない「宿命」であるし、嘆いてみてもしかたがない。だから、私たちは私たちの生を生きるのみである。


リベラシオン紙の該当記事《日本人は、アポカリプスと共に生きてきた人民である》
http://www.liberation.fr/