荻野洋一 映画等覚書ブログ

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『キャタピラー』 若松孝二

2010-09-17 01:34:25 | 映画
 日中戦争に応召し、頭部と胴体のみという無残な姿で帰郷した夫(大西信満)は、妻(寺島しのぶ)とのセックスにひたすら没頭する。そして、燃え盛る業火のイメージを媒介にして、毎度同じ悪夢的な回想(「俺は中国大陸で理性を失い、現地の女を凌辱した上、銃剣で突き殺した。だから俺がこうして四肢を奪われ、生き恥をさらすのは、蛮行の報いであるにちがいない」というかのごとき自己嫌悪)を、脳内でさかんにフラッシュバックさせる。
 こうした日々が、8月15日の終戦当日まで続くのだが、反戦ないし厭戦のイメージ化が、このような因果応報的な教訓譚らしきもので構築されたことに、疑問を持った。実際にはそのように構築されてはいないのかもしれないが、観客へのトラップとなってはいる。また、出征前の夫による妻へのDVと、日本帝国によるアジアへの軍事的侵略とを、今日的に同一線上に配置させようとしている構成も腑に落ちず、個人の犯罪と国家の犯罪は、もっと意識的に分離して扱うべきだったのではないか。総合するとしたら、そうした手続きの後にあって然るべきだ。さらに言うと、広島と長崎への原爆投下の資料映像は挿入すべきではなく、BC級戦犯の数をテロップで表示することも必要ない。若松のこうした措置は、厭戦というものをもっぱら被害者意識から喚起してしまう恐れがある。
 戦況がラジオを通してのみ細々と伝えられる新潟の寒村に、幾度か美しい四季がめぐってくる。この無償なる推移の描写を、観客はいったいどのように甘受すべきなのか。そして、その間に夫が筆談で発したまともな言葉らしい言葉は、実際「ヤリタイ」だけだったのであろうか。そのことが気になって仕方がない。


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