自宅そばのバス停から都営バスに乗車し、「築地二丁目」停留所で下車。《水のまちの記憶》展を見るため、聖路加病院の隣にある「タイムドーム明石」を訪れる。
江戸東京の城下町であった中央区、千代田区、さらには隅田川を渡った江東区は、よく知られるように、かつては堀割が市中をめぐり、豊かな水系をもつ都市構造を持っていた。往時の水景はまさに、現在のアムステルダムやヴェネツィアにも似たリゾーム的な景観を有していた。そうした事実は、最近流行の「下町めぐり」的なガイドブックでも書店で立ち読みすれば一目瞭然であるが、今回の《水のまちの記憶》展の特長はなんといっても、写真や古地図だけでなく、設計図、趣意書、計画書、発掘物、そしてもちろん鏑木清方、荷風から三島、幸田文まで、中央区ゆかりの文芸書における該当ページなど、種々様々なるマテリアルを提示して、入念な確認ができるようになっていることである。簡単に言えば、中央区内に存在した(または現在も存在している)堀割、橋のすべてを暗記できるようになっているのである。
たとえば『断腸亭日乗』の読者なら、文中に頻出する、あの「土洲橋」とはいったいどこなのか気になるところである。錯乱した愛人・関根歌(荷風が出資して、麹町で待合を経営させていた女性)を荷風が入院させた「中洲病院」が、現在の日本橋グリーンハイツにあったことから、大概の読者は、「土洲橋」が清洲橋の近辺だと思うことだろう。私自身、たいして調べもせず、漠然とそう思っていた。ところが本展で一目瞭然、「土洲橋」は現在の箱崎エアターミナル正面玄関、つまりロイヤルパークホテル脇の首都高下ということになるらしいのである。橋の架かっていた川の名は箱崎川。これを埋め立てて、エアターミナルが建ったわけである。このあたりの実景は、デビューまもない中村登監督が上原謙主演で廻漕問屋の商魂を描いた『男の意地』(1942)で、とてもあざやかに映されている。
まあ、こんなことがいろいろと判明したところで一文の得にもなりはしまいが、道を歩く、土地を訪ねるというのは、単にA地点からB地点への移動を指すのではないのであるから、やはり知っておいて損はない。事実、私は自分のブログにくどくどとこういうことを書き連ねている。他人にはいい迷惑だが、書き手にとっては、まったく仕方のないことなのである。
江戸東京の城下町であった中央区、千代田区、さらには隅田川を渡った江東区は、よく知られるように、かつては堀割が市中をめぐり、豊かな水系をもつ都市構造を持っていた。往時の水景はまさに、現在のアムステルダムやヴェネツィアにも似たリゾーム的な景観を有していた。そうした事実は、最近流行の「下町めぐり」的なガイドブックでも書店で立ち読みすれば一目瞭然であるが、今回の《水のまちの記憶》展の特長はなんといっても、写真や古地図だけでなく、設計図、趣意書、計画書、発掘物、そしてもちろん鏑木清方、荷風から三島、幸田文まで、中央区ゆかりの文芸書における該当ページなど、種々様々なるマテリアルを提示して、入念な確認ができるようになっていることである。簡単に言えば、中央区内に存在した(または現在も存在している)堀割、橋のすべてを暗記できるようになっているのである。
たとえば『断腸亭日乗』の読者なら、文中に頻出する、あの「土洲橋」とはいったいどこなのか気になるところである。錯乱した愛人・関根歌(荷風が出資して、麹町で待合を経営させていた女性)を荷風が入院させた「中洲病院」が、現在の日本橋グリーンハイツにあったことから、大概の読者は、「土洲橋」が清洲橋の近辺だと思うことだろう。私自身、たいして調べもせず、漠然とそう思っていた。ところが本展で一目瞭然、「土洲橋」は現在の箱崎エアターミナル正面玄関、つまりロイヤルパークホテル脇の首都高下ということになるらしいのである。橋の架かっていた川の名は箱崎川。これを埋め立てて、エアターミナルが建ったわけである。このあたりの実景は、デビューまもない中村登監督が上原謙主演で廻漕問屋の商魂を描いた『男の意地』(1942)で、とてもあざやかに映されている。
まあ、こんなことがいろいろと判明したところで一文の得にもなりはしまいが、道を歩く、土地を訪ねるというのは、単にA地点からB地点への移動を指すのではないのであるから、やはり知っておいて損はない。事実、私は自分のブログにくどくどとこういうことを書き連ねている。他人にはいい迷惑だが、書き手にとっては、まったく仕方のないことなのである。