荻野洋一 映画等覚書ブログ

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西部謙司「オーストリアが世界最強だった頃」(Number PLUS所収)

2008-05-25 03:08:00 | 
 出たばかりの「Number PLUS」誌(文藝春秋)のユーロ2008特集号をぱらぱらめくりながら、来るべきUEFA EURO 2008の開幕日となる6月7日に思いを馳せている。この大会の中継映像にたずさわる関係上、準備に追われる毎日で、生活がずたずたになっており、結局「爆音映画祭」も1度しか見に行けなかった。残念だが仕方がない。

 今回のユーロ2008特集号でひときわ目を惹いたのは、西部謙司の「オーストリアが世界最強だった頃」という記事である。ナチスドイツに併合される直前の1930年代に、オーストリア代表が、のちのマジック・マジャール(ハンガリー)やトータル・フットボール(オランダ)を彷彿とさせる最高のチームであった、という内容だ。この時代のオーストリア代表は、Wunderteam(ヴンダーティーム、ドイツ語で「驚異のチーム」の意)と名付けられている。

 この記事に強く反応し得たのは、私自身、先日Wunderteamをめぐって、11分半の短編ドキュメンタリー番組を製作し、放送したばかりだったからである。Wunderteamのエース、マティアス・シンデラーは、この記事でも語られているように、オーストリアのナチスドイツ併合後の1939年1月23日、恋人と共に死体で発見された。享年35。亡国の苦悩にさいなまれての自殺とも、ゲシュタポによる暗殺とも言われているが、真相はいまもって不明である。わかっているのは、生前のシンデラーがゲシュタポから好ましく思われていなかった事実だ。
 併合直後、オーストリア=ドイツ間のうわべだけの友好を意図して、旧オーストリア代表vs統一ドイツ帝国代表の親善試合が、旧ハプスブルク二重帝国の「古都」ウィーンで行われた。ついこの間まで世界最強を誇った旧オーストリアは、ゲシュタポからわざと負けるように指示されていた。指示通り、絶好のチャンスでわざとフカシたりしていたが、どうにも我慢がならなくなった選手が1人いた。マティアス・シンデラーである。このユダヤ系ボヘミア人ストライカーは、あってはならぬ先制ゴールをあげてしまい、滅亡した故国を「誤った勝利」に導いてしまったのだ。


 色とりどりの花が咲いたかのような素晴らしいユーロという大会であるが、やはり私は時として、このような陰りを帯びた裏面史や、悲劇性をまとった個人史に目を惹きつけられてしまうことがあるのだ。