さじかげんだと思うわけッ!

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播磨旅行記(5)

2008-11-29 22:27:18 | 旅行記

ようやく姫路に辿りつきました。さぁ夕食に行く前に、姫路城のライトアップを見に行こうという話になりました。
姫路城のライトアップは、おそらく一年中行われているのでしょうか。日没後、実に午前0時までの間行われているそうです。
まぁなぜ先にいったかといえば、まず、まさかそんな遅い時間までライトアップが行われているとは思わなかったですから、ごはんを食べてからだと間に合わないかと思ったこと。
そして、おなかも減っていなかったので、空かせるための軽い散歩のつもりでもありました。
駅から城までを直線でつなぐ大手前通りを歩いて、城が見えるところまでいきます。
いえ、まぁ至る所から城は見えるんですけどね。山梨でいう富士山みたいなもんです。ただ、富士山はきれいにライトアップはされませんが。
とにかく、姫路城が見えるところまで向かったわけです。
姫路城の周辺は広い範囲で環境が保護されているようで、城を凌駕する存在感を持つ建物はありません。暗闇の中にぼわっと現れる白壁映える姫路城の美しさは格別です。
近くに城見台公園というところがありましてね、その名の通りお城を眺めるにはうってつけの場所です。
それから、大手門が開門されていたので、曲輪内に入って、ライトアップされた姫路城を間近で見ることが出来ました。
離れた場所から見る城も格別ですが、見上げる城本体の美しさも筆舌に尽くしがたい。
姫路城への期待を膨らまして、今日の夕飯に向かうことしました。

今日の夕飯は、居酒屋です。
うおっとり』という、少し変わった名前のところですが、味は格別です。
桃太郎電鉄の姫路の物件といえば、まずはあなご寿司が浮かぶわけですが、その穴子寿司を食べました。
穴子なんか、回転寿司のものもなかなかですけど、それよりもはるかに上回るおいしさです。ふんわりやわらかくて、ふわーと消えてしまうようなうまさ。しっかりとしたうまみもあります。
穴子料理を二つも頼んでしまいました。それぐらいおいしかったですね。
あとおすすめは、竹筒入りのつくねがうまかったですね。味が濃厚。この一言につきますね。
わたしはお酒はあまり得意ではないんですけどね。せっかく瀬戸内の酒所に来たので、少しだけ飲みました。
とてもよかったです。満足満足。

それから、宿に戻って、今日は就寝です。

翌日、朝はホテルの朝食サービスを頂きました。
朝10時には、チェックアウト。荷物を駅のコインロッカーに預けて、向かうは姫路城。
天気はあいにくの空模様。すでにぽつぽつと雨が降り始めています。

姫路は、播磨国の国府でした。
戦国時代、播磨国は赤松氏・小寺氏の支配下にありましたが、姫路城を任されていたのは、のちに羽柴秀吉(1537~1598)の軍師となり、戦国両兵衛と呼ばれた黒田官兵衛孝高(1546~1604)です。
官兵衛は、早いうちから織田家に通じ、特に中国征伐の総司令官であった秀吉と懇意でした。やがて、秀吉の与力となって、信長(1534~1682)亡き後は豊臣家臣として大活躍します。
九州平定後は豊前国中津17万石を与えられ、関ヶ原の後は筑前国福岡52万石を与えられ、当時の覇者たちから畏怖される存在でもあったのでした。
黒田氏ののち播磨国姫路を与えられたのは、秀吉の正妻・おねの兄、木下家定(1543~1608)でした。
関ヶ原後、姫路に来たのは池田輝政(1565~1613)でした。以後、孫の光政(1609~1682)まで池田氏が平和のうちに治めたといいます。
姫路は交通の要衝です。戦略上も非常な重要地点。ここを外様の大名に治めさせるなどということは考えられず、姫路城に入ったのは徳川家譜代中の譜代である本多氏でした。
ここで登場するのが、豊臣秀頼(1593~1615)との悲恋で知られる千姫(1597~1666)です。
千姫は江戸幕府二代将軍、徳川秀忠(1579~1632)と信長の妹、市(1547?~1583)の娘である江与(1573~1626)の娘です。血統としては、申し分ないですね。
その血統を見込まれて、秀吉の愛息子である秀頼と結婚します。なんと、7歳! びっくりですね。しかし、ご存じの通り、豊臣氏は1615年の大坂夏の陣で滅亡します。
そのときは19歳だったのですが、祖父である家康(1543~1616)が不憫に思ってか、千姫を救出します。
秀頼と千姫の仲はとても睦まじかったといいますね。
その後、名槍・蜻蛉切で有名な本多忠勝(1548~1610)の孫である本多忠刻(1596~1626)に嫁ぎ、姫路城も千姫のために大がかりな改修が加えられたそうです。
千姫の話は、またのちに出てきますので、ここではこれぐらいで。
本多氏ののちは、松平氏を名乗る親藩および譜代である榊原氏などが治めましたが、いずれも長続きせず、最終的にはやはり徳川家譜代中の譜代である酒井氏が入り、以後幕末まで安定した治世が続きました。

以上が姫路城のあらましですが、こんなことを書いている余裕はないんですけどねぇ…。
とにかく、あと二回ぐらいでけりをつけるつもりですが…どうなることやら。
さて、今日の一枚は『姫路城ライトアップ』。夜景の写真を撮るのは、たいへん難しいですねぇ。でも、きれいな景色でしたよ。少しでも伝わればいいんですけどね…。