さじかげんだと思うわけッ!

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播磨旅行記(1)

2008-11-25 22:01:42 | 旅行記

さて、今日からまたヘタレウンコタレな旅行記が始まりますよ。
今回の表題は、播磨旅行記です。播磨というのは、旧国名ですね。兵庫県の西南部に当たりまして、中心都市は姫路です。兵庫第二の都市です。
主目的は、姫路城見学。白鷺城ともいわれる白壁の美しい不戦の城です。
それ以外は別に決まっておりません。「無計画、無問題」が、わたしが同行する旅の座右。
いえ、まぁいつも何かしら問題は生じるわけですが。

旅はいつものことながら、新富士駅から始まります。途中、静岡でひかりに乗り換え、そのまま相生まで行きます。
え、相生? なぜ相生? 姫路に行くのでは…とお思いでしょうが、一日目は別のところに行くと決めたのです。もちろん、出発前。新幹線の切符を買う直前です。
新幹線は、かなりの混雑。静岡で運良く座れたのはラッキーでしたが、浜松・名古屋と経るうちに、みるみる人が増えていきましてね。京都でがっさりと降りていったのです。新大阪でももっそりと降りて、新神戸に着く頃にはもうがらがらの状態でした。
恐るべし、秋の京都・大阪。

相生から、JR赤穂線に乗り込みます。
そう。一日目は、忠臣蔵でお馴染みの播州赤穂へと向かうのです。
子午線とたこの町、明石でもどうかなと思ったんですけどね。やはり、日本三大仇討ちにはかなわなかったです。日本標準時間よりも、忠臣蔵。つまり、地理よりも歴史ってことですねぇ。
さて、その赤穂線。混雑した新幹線から乗り換えると、そのまったり感がなんともいえず…。
里帰りと思われるキャリーバッグを引っ張る青年や、着物を着込んだ女性。スカートの下にジャージをはいた女子高生など、生活感漂う車内でした。

赤穂に降り立つと、そこはもう忠臣蔵一色。改札をくぐると、正面の壁には赤く堂々とした書体で、そこは白黒の町。至る所に、火事装束を着込んだ赤穂義士が立っております。
荷物をコインロッカーに預け、駅内の観光案内所で情報を集めます。ガイドブックとして、「兵庫まっぷる」も買っていたので、とりあえず道順としては、浅野内匠頭長矩や赤穂義士ら49人を弔っている花岳寺から大石内蔵助良雄宅跡を利用した大石神社、赤穂城趾を巡って、赤穂市立歴史博物館を見学するという、こちらも忠臣蔵一色のそんな観光計画。
駅前ロータリーには、来月14日に開催される赤穂義士祭の大きな垂れ幕が掲げられています。
とにかく、至る所に赤穂義士と塩味饅頭が溢れているのですが、その一部の名前がどうもおかしい。大星由良助義金とか塩冶判官高貞、高師直などです。
赤穂事件があったのは、これは事実なのですが、その事実が爆発的に広まる要因となったのはその赤穂事件を元にした演劇です。
元禄歌舞伎や人形浄瑠璃の代表的演目『仮名手本忠臣蔵』がそれです。
仮名というのは、義士47人といろは47文字をかけたしゃれ。忠臣蔵は、忠実な家臣=大石内蔵助を表し、登場人物は偽名を使っているものの題名を見れば、赤穂事件をモデルにしていることが瞭然となるような隠れたメッセージになっているといいます。
そういうわけで、赤穂で飾られているものには、史実の赤穂事件と演劇の忠臣蔵がごっちゃになっているような印象です。
駅前の通りを南に下っていくと、「息継公園」という不思議な名前の公園が見えてきます。
ここにあるのが、俗に「息継ぎ井戸」といわれる名所になります。

元禄14年3月14日(1701年4月21日)。五代将軍・綱吉(1646~1709)の御代。
播磨国赤穂藩主・浅野内匠頭長矩(1667~1701)が、高家旗本である吉良上野介義央(1641~1703)に対して刃傷に及ぶという事件が起こりました。
何分、時と場所が悪かったのです。折しも、京から朝廷の使いが江戸に下向しており、江戸城本丸御殿松之廊下という将軍のお膝元。
内匠頭は「私的遺恨」と訴えたが、上野介は「覚えていない」と主張したそうです。
とにもかくにも、朝廷の儀式がおじゃんとなり、城中が血で汚されたというので、綱吉は大変に怒り、内匠頭には即日切腹。上野介は、やり返さなかったことがむしろよかったということでお咎めなしとなりました。
赤穂藩江戸屋敷にいた早水藤左衛門満尭(1659~1703)と萱野三平重実(1675~1702)は、内匠頭の弟である大学長広(1670~1734)の書状をもって、620kmの距離をわずかに四日で走りきって、国を預かる大石内蔵助良雄(1659~1703)に急を知らせたのでした。

これが忠臣蔵の序盤のあらましですが、この息継ぎ井戸は赤穂城まであと少しと迫った急使の二人が、息を整えるために立ち寄ったので、息継ぎ井戸といわれているそうです。
走ったといっても、別に馬とか徒歩ではなく、五人担ぎの特急仕様の籠だったわけですが、それでもかなりの振動とストレスですからね。大変だったと思います。

というわけで、今日の一枚のコーナーです。
毎度お馴染み、駅看板シリーズ。今回は『相生駅看板』です。
なぜ、「播州赤穂」じゃないかって? 撮るのを忘れたからですよ。