さじかげんだと思うわけッ!

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播磨旅行記(4)

2008-11-28 21:30:08 | 旅行記

本丸脇の清水門を通って、赤穂市立歴史博物館に向かいます。
市単位で歴史博物館を持つというのは、これはすごいことだと思うのですが、どうでしょうか。
少なくとも、甲府市には市立博物館などはないわけですからね。あ、市立動物園はありますけど。
こんなことをいっていますが、この翌日、姫路にいってさらにびっくりするんですが…。
やはり、ここでもフューチャーされているのは赤穂義士と塩です。ここでは特に、赤穂の塩に関することが細かに説明されていました。

赤穂の塩は、そりゃ有名ですよ。
上野介が内匠頭をいびった原因は、賄賂をくれなかったからだというのがよく聞く話ですが、中には赤穂独自の製塩法を教えてくれなかったからという話もあるそうです。
すでに弥生時代には製塩が行われていたといいますから、この地での製塩は大変に古い歴史を持っています。
大きく発展したのは、江戸時代のこと。
常陸国笠間からやってきた浅野氏は、大変な普請道楽だったようで、それまで質素だった造りの赤穂城に、五層もあるような身分不相応な大天守を作ろうとします。しかし、当然ながら財政に行き詰まり、工事は頓挫。大変な借金をこさえてしまいます。
そこで赤穂の名産品であった塩を専売品とし、流通経路も確保します。また製塩のための新技術も開発。一大ブランド化し、大きな富を得ることになったのでした。
赤穂の塩は、瀬戸内を抜けて沼津に至り、甲府にも届いていたそうです。
赤穂は海沿いにありながら、天気が晴れの日が多く、荒れることが少なかったために、塩を作るのに適していたそうです。
肝心の製塩法は、これが難しくてですね。いろいろ見てきて、すっかり疲れ果ててしまったわたしには、うまく理解できなかったんですよ。
えーと、まず海の水を砂地に溜めます。そしたら、その水を蒸発させて、塩を砂にまとわりつかせます。その塩のついた砂を鍋に移して水を注ぎ、非常に濃い塩水。これを鹹水というそうです。それにします。今度は鹹水のみを煮詰めて塩を得るんだそうです。
間違っていたらすいません。先に謝っておきます。すいません。
博物館では、こういう製塩の仕組みやそのときに使う道具が大量に展示されています。実におもしろいと思いますし、郷土の産業を理解するにはもってこいの施設ですね。

それから、赤穂はこういう土地柄ですから、地下から水をくみ上げると塩が混じってしまって飲み水には適さないそうです。
そこで浅野氏の偉いところは、清水を山の方から流して飲料水などに使うように上水道を整備したことです。
しかも、本来そのような上水道は城内にしか整備されないものだそうですが、なんと城下町一帯に整備し、領内各地の井戸から新鮮な水を飲むことができるようにしたんだそうです。
城下町を形成するにも必要なことでしたし、何より製塩は重労働。多くの働き手を集めねばならなかったのです。
赤穂の上水道は、日本三大に数えられているほど立派なものだったそうです。

あとは赤穂藩と忠臣蔵関連の資料です。書状などが展示されていました。
博物館ですから、企画展も開かれていましてね。江戸~明治期の広告に見る忠臣蔵ということで行われていました。
いや、非常に良かったですよ。赤穂らしいテーマと丁寧でわかりやすいキャプション。
非常にこじんまりとしてはいたんですけど、見応えのある展示だったと思います。

外に出れば、夕暮れ間近。別に急ぐ旅でもなく、ゆったりと歩いて赤穂駅へいきます。
適度にお土産をかって、赤穂を後にしました。
播州赤穂から相生を経て姫路へと向かいます。
さすが姫路。新幹線が止まるような大きい駅です。さすがに、新宿や東京駅と比べてはいけませんが、県庁所在地でもない都市の駅がこんなに大きいとびっくりしますねぇ。
規模としては、甲府よりもはるかに大きいです。やっぱ、大きい街は気持ちがいいですねぇ。
今回の宿屋は、「コンフォートホテル姫路」です。
駅前のビジネスホテルですが、非常に使い勝手がよかったです。朝食のサービスもよかったですよ。
料理がおいしい旅館やホテルもいいですけど、わたしはこういう気軽なホテルも好きです。
赤穂で少し歩きすぎまして、疲れました。一休みして、今日の夕食に出掛けることにしました。

四日目にしてようやく姫路入りです。
長かった…恐るべし、赤穂。そして、赤穂義士…。
今日の一枚は、そんな赤穂義士の筆頭である『大石内蔵助良雄像』です。撮影場所は、大石神社大石邸長屋門です。