朧堂雑貨店備忘録

朧堂雑貨店の店主達、絵描き時実月夜・写真家石本均志の日常のあれこれをつれづれなるままに。

昭和三〇年ごろの実家です

2009-10-30 20:41:10 | 朧堂


月夜の生家です。

七歳頃まで住んでいました。

残しておいてほしかったのですが、父の都合で今はもうございませんの・・・。


日記@BlogRanking


にほんブログ村 地域生活(街) 中国地方ブログへ




コメント (3)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 紫芋サラダ | トップ | スターダストトレイン 銀河... »
最新の画像もっと見る

3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
!! (たまき)
2009-11-02 15:48:24
こんにちは。
すご~い!!茅葺のが母屋でしょうか。
蔵もあって素敵・・・
実際に住む側となると、様々な事情で残すことが難しいもの。
(私も日々実感しております)
お写真が残っているのがせめてもの記念ですね。

でも月夜さんご自身がこのご実家の風情を体現している
お方だと私は思うので、お家の歴史はつながっていって
いるのではないでしょうか。
返信する
コメント (朧堂歴史民族資料課)
2009-11-02 23:57:45
実は月夜嬢は「深窓の令嬢」で、
「やんごとなき生まれの者」で、
「良家の姫君」なのでした。

それが今では、こんなに怪しくも素敵な
立派な女性に育ちましたので御座居ます。

爺やはそれだけでもう、幸せなので御座居ます。

by.爺やで兄や

返信する
補足 (月夜)
2009-11-03 22:25:14
建てられたのは江戸の末だそうです。

茅葺の手前のはうちですが、奥は隣家です。
一番左の蔵もその家の。

写真の右手前の小屋のあたりに厩などがございました。
この写真の頃は鶏小屋になっていたはずですが。

石垣の隙間にも馬留めがあったそうです。
わたくしが知る限り農機小屋扱いでしたが。

豪農でしたようですわ。
小作が坂道を年貢米を納めに行列していたとか。

父の子供の頃まで下男が居たそうで
霜焼けるからとおぶわれて登校していたとか。

まあ、落ちぶれて見る影もございませぬが(ほほほ。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

朧堂」カテゴリの最新記事