めちゃくちゃ凹んでいます。
11月に鎌倉芸術館で行われるはずの
Life is a Voyage【吉田拓郎】TOUR2007“Country”
8月21日(火)サンシティ越谷市民ホールよりスタートした。
しかしそのとき拓郎の体調はよくなかったようだ。
「何だかドタバタしながら始まったカントリー
ステージ上もかなり緊張・・
僕の体調も完璧とは言えなく無念
しかし残るは25!泣いても笑っても25だ
その日その日のベストを尽くすのみである
このツアーはどんな過去とも比較は出来ない
そう言う思いでいっぱいだ
笑顔で最終回を迎えるために
反省しながら前へ進もうと思う」 拓郎
その後『喘息性気管支炎』のため8月24日(金)パルテノン多摩から
9月24日(月・祝)なら100年会館大ホールまでの計8公演が延期、振替公演に。
9月30日(日)の熊本市民会館よりツアーを再開し、
10月17日(水)瀬戸市文化センターまでの計6公演(サンシティ越谷市民ホールを含むと計7公演)を実施。
「名古屋滞在中にハプニングがあり・・瀬戸ステージで
話しましたが・・まあ今年は本当に1月から色々あります。
しかし歌い始めて「うわー声だけは絶好調!」と
我ながら驚き「ライブには魔物がいる」ことをあらためて
実感した充実のステージでした。と同時に終わった後の
我に戻った瞬間から恐怖の時間となり・・潮時を確認。
瀬戸は万博会場が近く・・新旧のイメージが混沌と
していました。最近の日本の傾向です。
会場はやはり素晴らしいデザインで・・これも又
今の日本の姿なんですね。残る19ステージ目指して
次は四国シリーズです。」 拓郎
しかし、名古屋で倒れ運ばれたらしい。
医師の再診察を受けたところ、「『慢性気管支炎』に『胸膜炎』を併発のため約3ヶ月の加療を要する」、との診断。
本人及び主催・制作サイドと検討の結果、10月23日(火)実施予定の徳島文化センター公演より、
振替公演の最終公演である2008年1月23日(水)岸和田市立浪切ホールまで計19公演を中止となってしまった。
「当に申し訳ありません。
今年は何やら体のバイオリズムのようなものが
最悪のようであります。ライブを楽しみにしていてくれた皆さんには
心から謝らせてください。僕自身も今回のカントリーは初めての街が多く
新鮮な構成など、とても楽しみにしていただけに残念でなりません。
志なかばで矢折れてしまいました事を無念に思います。
この際あせらずに40年に及ぶ蓄積された悪玉達を追い出す
日常を送ろうと決心いたしました。わがままな吉田をどうぞ
お許しください。我が街の空より皆様の健康と幸せをお祈りいたしております。」
2007年10月22日 吉田拓郎
コンサート中止となる数日前に私は、拓郎にHugしてもらった夢を見た。
あまりにもいい夢だったので、続きを見ようと寝たが
拓郎から、こもれびのイントラ ○山先生のご主人に代わっていた。
昨日は、何をしてても涙ぐめてきた。
ご主人がお医者様でもある看護士のお友達に
メールしたり、拓郎が恒例のお正月ハワイ旅行に行く予定があるか
情報を集めたり・・・・・
これが夢だったらと思った。
このカセットテープは、吉田拓郎オフィシャルファンクラブ
”Club Mahalo”から私のお誕生日に送られてきたもの。
メッセージと曲がプレゼント。
むかーしのことだけど・・・・・。
拓朗ファンだったのですね。
ここまでとは思っても見ませんでした。
私も若かりし頃
兄とよく”なつやす~み・・・”
と歌っておりました。
はやく元気になられるといいですね。
延期になるとかラジオで以前
放送してたけど、
中止になったの?
せっかくゲットしたチケットなのに
残念だね。
拓朗さん早く元気になって欲しいですね。
彼の体調は心配ですよね。
あの年で、あれだけみんなを熱くできるアーティストはなかなかいないですよね・・・。
早くよくなって欲しいものです。
すぐnyanさんのことを思いました。
こんなに長期間、nyanさんをファンでいさせる拓郎さんて本当にすごい人ですね。
テレビでたまに見てたときは、私もとても好印象はもってました。
早く良くなることを私も願ってます。
またもや涙ぐんじゃいます。
しかし、パンチしながらも拓郎のことを
思い出しちゃって・・・・・
なんだか、自分まで頭痛くなってきました。
直接は話していませんよね。
浜省ファンのミミさんには話した気がするけど・・・・。
リボンレイのことみみさんにお願いしておきました。
忘れなければ、喜んで作ってくれますよ。