今年も、8/9に行われた長岡花火に行ってきました。
どうぞ、迫力満点のフェニックスをご観覧ください!
きっかけは、ウエアだった。
冬の寒い時期に、モンベルのEXライトダウンジャケット がとても軽く、
暖かくていいと菊川 怜さんが絶賛していた。
その言葉に釣られ、ウエアを揃えてふと気づいたら山登りできるじゃん!
靴は、タケノコ掘りのために購入したトレッキングシューズもあるし・・・
てなわけで、実際に山に行くことになりました。
初めは、箱根。
大涌谷
大涌谷やススキをみたり黒卵食べ、自然を満喫。
すっかり気を良くしてしまった。
お次は紅葉を見に大山へ。
ここでは、ケーブルカーは使わず自力で。
きつかったです、これまた火をつけてしまったようで。
大山の紅葉
お次は、友人誘って金時山。
富士山がとてもきれいで、どんどん次はどの山を登ろうかと
思うようになり。
金時山から望む富士
越前岳
越前岳
万二郎岳、万三郎岳と登った天城山
万二郎岳
ロープなしででは下山できない
石割山
石割山
桜を求めて浅間山
浅間山
明神ヶ岳
GWの頃にはカタクリの花をみに新潟までトレッキングに行きました。
坂戸山
海抜ゼロメートルから登る角田山
ってな感じで、この私がまさかの山登りをするようになり。
ただ問題が・・・・。
やっぱり私、高所恐怖症だわ。
世界一の四尺玉を見に、新潟の小千谷 片貝まつりに行ってきました。
四百年の伝統を誇る「片貝まつり」は、三尺玉発祥の地として知られた片貝町で
毎年9月9日、10日におこなわれ、世界最大とされる四尺玉の打ち上げがあります。
片貝の花火は、浅原神社へ奉納する花火で、
個人や企業が色々な想いを込めて花火を奉納します。
子供の誕生祝、結婚祝、家内安全、健康祈願、社業発展、
物故者追善供養等、想いを込めて花火を 奉納します。
想いを込めた花火一発毎に、コメントが放送されてから花火が打ち上げられます。
今年は日本三大花火とされる、新潟の長岡、秋田の大曲にも行ってきました。
こちらとは、異なり、片貝は、打ち上げ中に花火に合わせ音楽は流れません。
あがれ、あがれというかけ声。
お囃子。
虫の声。
その中で、山に音が反射して豪快な破裂音を楽しむ事ができます。
今年は当日券で桟敷を確保しました。(1枚3千円)
当日券を手に入れた後は、湯どころ ちぢみの里で温泉に。
岩盤浴も楽しめます。
腹ごしらえは、長岡のしょうがラーメンをたべに、
ラーメンひぐまへ。
チャーシュウめんです。
生姜のパンチがうまいんだな。
http://youtu.be/gE3x-M-sb4k
世界一の4尺玉の打ち上げです!
http://youtu.be/zm_HcwwIwTU
物置の整理していたら古いアルバムが・・・
そのなかから、こんなものが。
友和も若いな。
今でも、これ以上のいい男はいないと思っていますが・・・。
私の友人のお母さんは、小さいときに母親を
病気で亡くしている。
半世紀以上も毎日、母親のことを思い続けているので
夢にはほとんど出てこないらしい。
「毎日思っているからだと、思うわよ!」
と言っていたことを思い出す。
私も、母の夢はほとんど見ない。
ところが・・・
着物を着た女性が見えた。
ちょっと違って見えたが、よく見ると私の母だ。
「なんだ、やっぱり生きていたんじゃない!」
と私は声をかけた。
夢だとわかっていながらも、私はその夢を見続けようとした。
夢を見続けようとしたことまでが、夢なのかわからなくなってしまったが、
今日は私の誕生日。
目が覚めてはじめてもらったプレゼントだった。
昨日、たまたまお休みでお家にいたら、こやすさんがやってきた。
「今日、誕生日なんだってな!」
って、夫のために自作のカレンダーをもってきてくれた。
3パターンもあって、夫、私、にゃんこたちの
カレンダーになっている。
暖かい日差しのなか、こやすさんと立ち話をし、
心までぽっかぽっかに温まりました。
こやすさんは人生の先輩であります。
私も歳を重ね、年下のお仲間も多くなりましたが、
そんな存在になれたらいいなと思っております。
恒例行事の鎌倉花火大会!
今年も、早くから夫が席をキープ。
愉快な仲間たちと見物してきました。
花火にはビールに唐揚げ
鎌倉市役所のにわとりさんも、
おつまみをいろいろ差し入れしてくれました。
もれなく夫婦漫才も見れる特等席なんです!
花火はやっぱりいいな!
うーん!
こうなると長岡の花火も見てみたいものだ。
高校時代の親友のお見舞いに長野へ・・・・・
GW中に突然思い立ち、あわてて宿探し。
帯状疱疹の中、どうしても会いに行きたかったので
強行突破!
長野から新潟に向かい1泊目は
名勝天然記念物新潟県立自然公園笹川流れにお宿をとりました。
「海辺を一望」、「海まで60秒」、日本海に一番近い宿 潮鳴亭。
目の前は日本海だーっ!
お部屋からも、お風呂からも海が見えます。
急だったので6人部屋しか空いてませんでした。
このお宿、食事の量が大変多く・・・・・
やっぱり、〆張りは飲まなきゃね!
海の幸だけではなく、ビーフシチューまででてきた。
最後にはデザートまで出てきました。
完璧ノックアウト。
帰りには、お宿からおみやげで
やなぎかれいもいただきました。
とっても長生きした、にゃんがいなくなって
猫のいない生活なんて・・・・。
考えられない!
すぐに我が家にやってきたのがアビシニアンのあみん。
これ、これ。
このぬくもり、感触。
そうしたら、2にゃんいたらどんなに幸せかと思い
つぎにやってきたのがロシアンブルーのしあん。
ところがこのしあん。
ずーっと、コクシジウムやジアルジアなどの原虫に悩まされ
その後も軟便や血便を繰り返す。
食事療法やステロイドの投薬でも改善されず、
日本獣医畜産大学(現 日本獣医生命科学大学)の先輩、
鈴木先生のところで診察を受けた。
2週間前の土曜日に診察を受け、その日は排便なし。
翌日、鮮血はないものの便が少し黒かった。
さらに翌日・・・・。
便は正常。
現在に至る。
寒がりのシアンは、いつのまにか布団にもぐりこみ
私の腕枕で明け方までごろごろいっています。
1/22 母校で、
日本獣医生命科学大学 名誉教授 高崎正治先生を偲ぶ会
がとりおこなわれた。
日本獣医生命科学大学は、明治14年 日本最初の私立獣医学校として開校。
軍の獣医さんが開校したらしい。
去年で開校130周年という伝統ある大学。
戦後、敗戦国となった日本では動物の医者よりも、人間の医者のが
重視され現代の少子化問題よりもはるかに大学経営が困難な状況
となり、昭和27年学校法人「日本医科大学」と合併。
日本医科大学からの独立要請など受難な時期、
日本獣医生命科学大学15代 学長に就任されたのが、
恩師の高崎正治先生だ。
昨年の10月、
同級生のMさん(もう、あこがれはとります(^_^))から、
高崎先生のお見舞いに一緒にいこうと
誘っていただいた。
その日は、都合が悪く私はお見舞いにいくことができなかった。
それから数日。
Sさんから先生の訃報をきいた。 2011/11/11
偲ぶ会では、高崎先生にまつわる様々なお話を伺うことができた。
先生がシベリヤで抑留されたこともはじめて知った。
教え子は、たくさんの楽しみを与えてくれる財産だとおっしゃっていたらしい。
海外にも目をむけられるよう考えられていた高崎先生は、
私とRさんが、ニュージーランドに研修に行く際、おこづかいをくれた。
研究室の高崎先生の机に、花を飾ったことを卒業後も
覚えていてくれて、私の結婚式で美談にしてスピーチしてくれた。
卒業から数十年。
かかさず、年賀状をくださった。
3年前、先生を囲んで皆で集まったときは、
とても喜んでくださり、「これからも少なくても1年に1度くらいは
集まろうよ」とお礼の電話をくださった。
遺影のお顔もまさに講義がはじまるかのような雰囲気のままで、
先生はいつまでたってもわたしの先生なのだ。