カリグラフィー

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水泳、好きな事、好きなもの、こもれび山崎温水プールについて

あみん

2010-12-27 10:13:59 | いろいろ
にゃんが死んでしまった翌日、
わたしは仕事に行った。

帰ってくるといつも迎えに来るにゃんの姿はない。

膝の上にのせたあのぬくもり。
ゴロゴロと喉を鳴らす音。
撫でたときの手触り。
におい。

猫のいない生活は考えられない。
猫を飼うことで私たちの生活はなんと豊かになっていたのか。

次の日私は猫を探しに行った。

元気なら、何でもよかった。
1日でも長く一緒にいれたらと思い、子猫の
アビシニアンを飼った。
アビシニアンの原産国は不明だが、エジプトが有力。
古代エジプトの壁画に描かれた家猫の祖先の
リビア山猫を先祖に持つといわれる。
クレオパトラの愛猫だったとか?
被毛は短く、その1本1本が2~3色に分かれている点に特徴がある。
耳が大きいのも特徴だ。



初日はとてもびびり、隅に隠れて震えるような子だった。
翌日からはすっかり慣れ、夜には私の首と、枕の間に潜り込み寝ている。
まるで、えりまきのようだ。



とてもやんちゃで、動き回っている。
クーさん一家もさっそく、あみんを見に来てくれたが
膝の上でごろにゃんしていた。










猫に小判

2010-12-27 09:51:17 | いろいろ



猫に小判とは、貴重なものを与えても、本人にはその値うちがわからないことのたとえ。

うちではよく、にゃんに「にゃんちゃん、たまには小判を運んできてよ」
などと言っていた。

にゃんは野良猫だった。
バス通りを横断して、魚屋さんから餌をもらい
向かいの薬局の化粧の濃いおばちゃまにもかわいがられていた。

うちにも出入りしていた猫だったが、あるとき震えていた。
熱があるようだった。

20代だった私たちは隣の若夫婦と折半で手術費用をだし、
その後まもなく鎌倉に引っ越すことになり我が家でにゃんを引き取った。

にゃんは、とても利口な猫だった。
ドアは、取っ手にぶる下がって開けれたし、
引き出しもつまみを両足ではさんで開けた。

要求はにゃーと鳴くのではなく、
テーブルの上のものを落としたり
えさ箱をひっくりかえしたり音を立てての行動だった。

とにかく面白い猫だった。

22年も一緒にいると何もかも当たり前になっていた。

死なれて初めて気付いた。

にゃんは、しあわせという小判をとっくに運んでいたのだ。
それまで気付かなかった私にはまさに猫に小判だった。


にゃん

2010-12-27 08:28:09 | いろいろ



21年生活を共にした、にゃんが死んでしまった。

人間なら100歳を超える年齢で、
歯も抜け、毛もしらっ茶けてきて、
だんだん痩せ、目も白っぽくなってきていた。
一生生きていられる猫がいないことは、もちろんわかっていた。

それでも、帰ってくると必ず玄関まで迎えに来てくれた。
ジャンプして、テーブルの上にも登れた。

しかし11月になると、口から出血していることが多くなり
くしゃみもしていた。

高齢なため、たとえ腫瘍であっても治療は危険。
レントゲン検査したところで、何ができるわけでもなっかた。

血液検査ではとても20歳を超えているとは思えないほどの
よい結果だと褒められた。

にゃんの衰弱して行く姿は、まるで母と同じだった。
階段を登る足音が静かになり、足腰に力が入らないようだった。
トイレに行くのもしんどいと思い、寝ている部屋に運んだが、
ちゃんとトイレの場所まで行き用を足していた。

その日の朝、にゃんは急に廊下に出て行き、玄関まで行った。
トイレに行きたい様子でもなかった。
そして、廊下でうずくまってしまった。
ふにゃふにゃで腰が抜けてしまったようだった。

いつもと違う行動に私は、今日が最期だと思った。

その晩、にゃんは夫の腕に抱かれたまま死んでしまった。

私たちはにゃんと一緒に寝た。
硬くなってしまったにゃんを撫でながら、今までの時間を感謝した。

翌朝、夫は庭に1mくらい穴を掘った。
窓越しにその姿を見つめながら、どんな思いで掘っているのかと
想像するだけで苦しかった。

庭に咲いていた山茶花といっしょに、にゃんにさよならをした。






nyan 中西悠子さんになりそこなう

2010-12-14 12:07:18 | こもれび山崎温水プール

そーいえば、Tコーチが酔った勢いか、「悠子ちゃんの水着を着てみますか?」
なんて言ってくれたもんで、思いっきりくいついた。

中西悠子さんの専門種目はバタフライ。
短水路200mバタフライの元世界記録保持者。200mバタフライ日本記録保持者(2010年5月17日現在)
身長165cm、体重54kg。(nyan 身長155cm、体重45kg)
0歳からベビースイミングで水泳を始め、7歳から本格的に競技を始める。
(nyan 子供の頃から水なんか大嫌い 近所にスクールができたので老後を考え入会)

19歳のときシドニーオリンピックの代表になり、200mバタフライで自己ベストを出して7位に入賞する。
アテネオリンピックでは銅メダルを獲得。
しかし200mバタフライの世界ランキング1位で臨んだ北京オリンピックでは、5位に終わった。
(nyan 他力本願のリレーで優勝、こもれびコーチからのメダル授与のみ)

なんとこの水着。
悠子さんが北京オリンピックのとき着た本物の水着だという。




どーよ!JAPANなんて入っていて格好いいでしょ!

翌日これを着てTコーチのバタフライのレッスンに。
しかし呑み過ぎでなおさら頭がまわらず。

自分で撮った写真はこれ!




上下別々じゃん!

Kのコーチから鏡越しに撮ればよかったのにと後日アドバイスを頂きました。