カリグラフィー

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水泳、好きな事、好きなもの、こもれび山崎温水プールについて

ちばる

2009-08-25 08:39:17 | こもれび山崎温水プール

2階でPCいじっていると、玄関のチャイムが鳴る。
下に降りて行き、インターホン越しに対応すると、
「お届け物です。」
と怪しい返事。

宅急便はそんな対応の仕方はしない。
「○○さん、××さんからお荷物です」
って言うはずだ。

ふーむ。
かなり怪しい。

でも待てよ。
ネットショッピングしたし、海外からの荷物か?

それとも・・・・・
新聞の勧誘か?

玄関も網戸状のドアにしてあるので、
居留守は使えない。
昼間だし、仕方無しにこっそりおもてをのぞく。

ふーむ。
確かにバイクで、荷物らしきものを持っている。

新聞の集金+ついでに継続の勧誘か?

この歳になっても、新聞の集金に来られると、
手持ちがなくついつい居留守を使ってしまう。

今日なら、現金あるしと勇気を出しドアを開けると
そこに立っていたのは・・・・

なんと、しんべだった。

うぉぉ!なんたるサプライズ!

しんべは私が通っているジムの、こもれびのバイト生だった。
この4月からは、作業療法士として群馬に就職した。

休暇で鎌倉に戻ってきていたらしい。
しんべのおばあちゃんは、沖縄にいらして
しんべにマンゴーを送ってきてくれたとのこと。
そのマンゴーをわざわざ届けてくれたのだ。

しんべは、私のブログで母の病気のことを知り
夫にメールをくれた優しいお方。

マンゴーは母の大好物なのだ。




しんべは、いっぱいお話して帰っていった。
たぶん、私に気遣い気晴らしをさせてくれたんだと思う。

表でしんべと立ち話をしていると、
上からポタポタとハナモモの実が落ちてきた。

母が退院してまもなくの頃、
「もうハナモモの花も終わりね」
と庭で眺めていた。

私は、しんべのサプライズで
元気な気分になれた。
nyanちばる!

人の心って、人の心で癒されるものなんだとつくづく思った。
こんなに辛い時でも、嬉しい思いはできるってこともわかった。
いくら買い物しても、酔いちくれても
癒されない心は、やっぱり人の心で癒えるんだ。

しんべよ!ありがとう。

そうして私は美味しいお酒を飲みたくて、
パワーヨガと水泳に行ったのであります。

今晩は沖縄チックにオリオンビールで乾杯だい!



Bee Welcome

2009-08-18 15:41:39 | カリグラフィー






昨日鈴虫の声に気付いた。
毎日、しんどい。

母は、「病気にはなってしまったけど、
娘と一緒に暮らせて幸せだな。」
と、はるか遠くの五島列島に娘を嫁に出した
伯父に言われるらしい。

夫は、休日も返上で母のために動いてくれる。
病院の送り迎え、買い物、ドライブ。
自分の休みは、全て母中心で過ごしている。

私は、母に何もしてあげられなかったけど、
夫のおかげで、実の息子以上にいい息子をプレゼントできた。

本当に周りの人に支えられ、
励ましの言葉、母のためにスープや果物、笑顔の差し入れと
私が思いもつかないようなものまでいろいろ頂く。

その気持ちが本当にありがたい。

こんなにも皆が支えてくれているんだけど、
毎日の変化と向かい合っていると、本当に折れてしまいそうになる。

無理にでも環境を変えないとと言われたので
ヨガに行くんだけど、これまたシャヴァアーサナ(屍のポーズ)
になると泣けてくる。

絵描いてるときと、泳いでいる時は
時々現実を忘れられる。

でも一番心が和むのは、母の体調が良い時だ。
元気な声だけ聞いていると、昔と何も変らない。
そこにはいつも通りの、当たり前の時がある。



クマ蝉

2009-08-03 11:39:16 | いろいろ
大学時代の友人は、
母の強さをしっかり信じて頑張れと
メールをくれた。

メールをもらったときは、多くのガン患者を診察している先生が
治る可能性はないと言っているのに、
母の強さの何を信じればいいのか、無理難題に思えた。

姉は、母のことだから
ガンと共存してこのまま生きてくれると思うと言った。

私は、信じることが怖かった。
できなかった。

あれから、4ヶ月・・・。

母は、このまま良くなるんではないかと思えるほど、
元気な時があった。

買い物にも行き、あるときは私よりもよく食べたこともあった。

お見舞いに来てくれた人にも、病人とは思えないと
いわれた。

信じるってこういうことか・・・・。
さすが、姉のほうがわたしより母を理解している。
できないと思った信じる。
信じてみようという気にもなった。

しかし、ここのところ母の体調はすぐれず熱が出るようになった。
そして、白米を口にしなくなった。

掛け布団だけがかかっているのかと思うほど、
体はうすっぺらで、小さくなってしまった。

私は、姉に「このままガンと共存して生きるって
言ったじゃない」と言った。

姉は、「私は今でも信じているよ!
今までだってそうやって頑張ってきたじゃない」


と言った。

薬で、熱は下がり少しずつ食欲もでてきた。

私の心は母の体調で晴れたり曇ったり。

以前にも訪れた下田に鰻を食べに行こうと話をしていた矢先、
口内炎、ふらつき、めまい、下痢などの症状に
悩まされた。

抗がん剤の副作用に思えた。
主治医からはいったん休止するよう指示される。

往診に来てもらった翌日、予定通り私たちは下田に行った。

もう行けないか思っていた下田だが、
海育ちの母には潮風の心地よさを満喫し、
ご飯は残したものの鰻はきれいに平らげた。

長旅で翌日からの体調の変化が心配だったが、
昨日もさだこが来てくれ
田舎の話をしながら楽しそうに夕食を共にした。

私は、抗癌剤の中止を不安におもいながら
クマ蝉が大声で鳴いていることに気づいた。

夏か。