布屋忠次郎日記

布屋忠次郎こと坂井信生の日記

新渡戸稲造が伝える、伊藤博文の朝鮮人観

2008-05-18 02:10:27 | 日本
伊藤博文公爵といえば、日帝による韓国蹂躙の一番の悪玉というイメージ(があるらしい)。
一方、新渡戸稲造博士といえば、日米間で「太平洋の架け橋」ならんと奔走した人格者というイメージ(があるらしい)。

ところが、新渡戸博士が伊藤公に「朝鮮の植民地化」を提案して却下された、という噂があります。

たとえば、渡部昇一が八木秀次との対談で次のように発言しています。
韓国統監府の初代統監に就いた伊藤博文は、朝鮮の植民地化を意図していなかった事実をどれほどの日本人、コリア人が知っているか。台湾経営に当たった植民地政策の専門家、新渡戸稲造が伊藤博文に植民地政策案を出したところ、「これは要らない。日本は朝鮮植民地経営のようなことをやる気はない」と突き返されたと新渡戸自身が書き残しています。
(渡部昇一、新田均、八木秀次共著「日本を貶める人々」p87より引用)

この渡部の発言は、前野徹も「亡国日本への怒りの直言」のP94でも引用しています。
ネット上でこの件について書いている人も、だいたいこの両書をもとにしているんじゃないかと思います。

となると次は、渡部はどこで「新渡戸自身が書き残している」のを読んだのかということですが、残念ながら前掲書には出典の記載がありません。
で、新渡戸稲造全集を調べることにしました。ボリュームがあるのと、市内の図書館には蔵書がないので県立図書館から取り寄せてもらわなきゃららない手間がかかるのとで、手を出したくないなとも(ちょっとだけ)思っていたのだけど、ネットではこれ以上調べるのが難しくて。

それらしき記述を見つけたのは、新渡戸稲造全集第5巻に所収の「偉人群像」という論文というかエッセイ。1931年に実業之日本社から出したもので、その中の「第廿七章 伊藤公」から引用します。
 当時伊藤公は朝鮮の統監であり、木内君は農相工の事務担当をしてをつた。伊藤公は世間でも知る通り「朝鮮は朝鮮人のため」といふ主義で、内地人の朝鮮に入り込むことを喜ばれなかつた。その反対に木内君は日本人をもつと移したい考へであつた。ゆゑにしばしば公に日本人移住の策を献策しても採用にならなかつた
 ところが内地においては桂さんが、しきりに内地人移住を企て、東拓会社を設計されてをり、かつこの議には、我輩も少しく参加したした関係もあるため、木内君がしきりに渡鮮を促したので、我輩は出かけて行つた。
 木内君の注意に「伊藤さんといふ人は、なかなか人のいふことを聞かぬ人で、僕が幾度この問題について献策したか知れんが、いつも頭を振らるゝので、少し君の力を借りたい、明日にも統監を訪問してくれ玉へ、その時は君一人で行く方がよかろう」

引用の補足をいくつか。
「木内君」というのは、農商務省商工局長の木内重四郎のことでしょう。のちに、朝鮮統監府で農商工部長官をつとめた人です。(さらにその後、勅撰の貴族院議員、官選の京都府知事。)
「桂さん」は、首相を3度つとめた桂太郎公爵のことだと思います。で、「東拓」というのは東洋拓殖株式会社ですね。東洋拓殖は、第二次桂内閣の1908年に東洋拓殖株式会社法を根拠として、大韓帝国政府と日韓民間資本の共同出資などにより設立されています。朝鮮半島に土地を買って日本人農民を移住させる、という目的だったようですが、移住が進まず、朝鮮人を小作人として雇用したらしいです。
上記引用で「東拓会社を設計」というから、新渡戸博士が統監府に伊藤公を訪ねたのは、東洋拓殖設立の1908年前後から、伊藤公がハルピンで暗殺される1909年までの間ということになりますね。などと推理遊びをしてないでそろそろ本題に戻ります。

上記の「偉人群像」からの引用に、「ゆゑにしばしば公に日本人移住の策を献策し」とありますが、主語はあいまいで、新渡戸博士自身と読めないこともありません。渡部はそう読んだのでしょうか。(ちなみに引用中「公に」は「おおやけに」ではなくて、「公爵に」のつまり伊藤博文公を指します。この時代の文書や記事では爵位を省略して書く場合があるのがややこしくて、「○○伯爵」を略して「伯」というのはまだいいのだけど、「○○子爵」を略して「○○子」とか、「○○男爵」を略して「○○男」というのは、最初は何かと思いました。おっと、また脱線。)
でも、そのあと木内の発言として「僕が幾度この問題について献策したか知れん」とありますし、となると「献策したが却下された」のは新渡戸博士ではなくて木内重四郎ですよね。東洋拓殖の計画に参加していた新渡戸博士は、木内の朝鮮植民地化策に賛成はしていても、みずから伊藤公に献策したと読むことはできないと思います。

渡部が読み間違えたのでしょうか。
それとも、渡部も「新渡戸自身がこう書いている」と誰かから聞いた伝聞情報だったのか、あるいは何かの孫引きだったのか。
それとも、まだ私が見つけていないだけで、新渡戸自身がそう書いているものがまだどこかにあるのでしょうか。でもこれ以上調べるのはしんどいなぁ。何しろ新渡戸稲造全集は、会社員がヒマを見つけて調べるには量がアレだし。まして新渡戸博士が英文で書いたものの中にあるとしたら、英語アレルギーの私には探せないし。

ということで、私の調査不足の可能性もあるというのに勝手ですが、ここでは『新渡戸稲造が伊藤博文に植民地政策案を出したところ、「これは要らない。日本は朝鮮植民地経営のようなことをやる気はない」と突き返されたと新渡戸自身が書き残してい』るという事実はない(少なくとも確認できない)と結論させてください。(って、誰に許可を求めてるのだろう)

それはそれとして、「偉人群像」を読んだこと自体が私にとって収穫でした。
たとえば、伊藤公が植民地化に反対だったという話は聞いていたけれど、実際に当時を知る新渡戸博士の証言でそれを確認できたこと。
つまり、冒頭に引用した渡部の発言中で「伊藤博文は、朝鮮の植民地化を意図していなかった事実」というところについて、当時の日本を代表する国際人であり、日本国の紙幣(5千円札)の肖像にも選ばれ、現代でも教育者としての評価が高く、ついでにキリスト教徒である新渡戸稲造が、『伊藤公は「朝鮮は朝鮮人のため」という主義であった』ということ、しかもそれが当時の日本(内地)では周知のことだったということを、証言しているということです。

さらに、上記引用の続きを紹介しましょう。新渡戸博士の「朝鮮人だけでこの国を開くことが、果して出来ませうか」との問いに対して、伊藤公は次のように答えているのです。
「君朝鮮人はえらいよ、この国の歴史を見ても、その進歩したことは日本より遥以上であつた時代もある。この民族にしてこれしきの国を自ら経営出来ない理由はない。才能においては決してお互に劣ることはないのだ。然るに今日の有様になつたのは、人民が悪いのぢやなくて、政治が悪かつたのだ。国さへ治まれば、人民は量に於ても質に於ても不足はない」

なんか、伊藤博文が「日本の韓国植民地化の親玉」だなんて言ってるのは誰ですか、と小一時間問い詰めたくなります。

ここでちょっと歴史を整理しておきます。
1905年11月、「第二次日韓協約」によって韓国が日本の保護国となる。
1906年2月、韓国統監府が設置され、伊藤公が初代統監として赴任する。
1908年12月、前述の東洋拓殖会社が設立される。
1909年10月、ハルピン駅頭で伊藤公が暗殺される。(ちなみに品川区にある墓所を私が訪ねたときの写真をこちらで公開しています)。
1910年8月、「韓国併合に関する条約」により日韓併合が成立する。同月、朝鮮総督府が設置される。


新渡戸の証言によれば、伊藤公は朝鮮人に対してこの上ない敬意を持っていて、しかも「植民地化すべし」との動きからの防波堤となっていたわけです。
それを安重根が暗殺した結果、その翌年に日韓併合となったわけです。日韓併合を仮に植民地化と呼ぶなら、「安重根が伊藤博文を暗殺したことにより、韓国の植民地化が実現した。安重根は『植民地化に邪魔な伊藤公』を取り除いた、植民地化の功労者だ」ということになるわけですね。
修学旅行などで韓国に行く日本の生徒は、以上の歴史をふまえた上で、事前学習でこの『新渡戸稲造著「偉人群像」第廿七章「伊藤公」』を必読としてほしいです。正直に言うと私自身、このBLOGを書くのにいろいろ調べていて「俺、けっこう勘違いしてたな」ということが少なくありませんでした。
(ちなみに「仮に植民地化と呼ぶなら」というのは、私は日韓併合を「日本による韓国の植民地化」とは考えていないからです。もう少し正確に言うと、キリスト教徒が植民地でやったことに比べたら、日本が韓国や台湾でやったことは恥ずかしくて植民地だなどと自慢できるものではありません。
他の日本人はともかく、日本人キリスト教徒が「日本が韓国を植民地化した」というのは、「歴史上、キリスト教徒が植民地でどんな残虐非道なことをしたか」を「日本がやった程度のこと」にまで印象薄くしようとしているようにしか思えません。)

私は、安重根だけでなくすべての「テロにより自分の信条を表現する者」の手法に反対しますが、安重根の愛国心を否定することはできません。民族のために行動し、母からの「控訴すれば命乞いになる」という手紙によって粛々と死刑判決に服した彼は、少なくとも「この世で大切なのは自分の命だけ」としか言わないし教えない連中よりはるかに、人間として上等だったと思います。
結果的に安重根は、祖国を日本の植民地にしてしまった(少なくともその最後の引き金を引いた)わけですが、それは結果論でしょう。ただ、安重根が生まれてくるのが遅すぎたことを惜しみます。せめて日露戦争前、あるいは日清戦争前に、彼の祖国を保護国にした者に向かってではなく、他国に保護されなければならないような祖国にした者に向かって行動していれば。それが成功していれば。

がんばれ朝山下

2008-05-15 00:31:46 | 相撲
高砂部屋の元ホスト新弟子、山下智徳あらため朝山下が夏場所の前相撲に出場(5月13日)。

初土俵は黒星。九重部屋の大木下に一発で持っていかれたとのこと。相手の体重が自分の2倍では、まだ技術も持っていない今の段階では仕方ないか。

「夜型から朝型に変わった今の生活は好きです」とのこと。充実はしているようだけど、「行けるところまで行きたい」という初志のためには、「負けて悔しい」というエネルギーが必要だと思うよ。笑顔の下に隠しているのかもしれないけど。


さて、前相撲に出たということは、第一歩を踏み出したということ。これで新序出世披露を受けて次場所の番付表で序ノ口に名が載る
昔は前相撲で未勝利だと出世を留め置かれたそうだけど、今は前相撲を全休しない限り成績は関係なく出世披露してもらえるんだって。でももちろん、成績によって序ノ口の中での順位も変わってくる。せっかくだからがんばって勝ち星を挙げて出世披露を受けてほしいぞ。

栃木県のみなさん、ごめんなさい

2008-05-14 00:16:48 | 日記
栃木県と言えば浮かぶものランキング - goo ランキング

このベスト30のランキングを見て思ったのだけど。

まず、日光が栃木県という認識がありませんでした。というわけで、1,2,4,5,9,10位は私は思い浮かびませんでした。
あと、3位の「宇都宮の餃子」も、「宇都宮といえば浮かぶもの」なら「餃子」と来るけど。
宇都宮が栃木県というのは(知ってはいたけど)思い浮かばなかったな。というわけで15位のかんぴょうも思い浮かばず。

いかん、早くもベスト5が消えている。

6位の「いちご」でようやく賛同。私が「とちぎけん」で思い浮かんだのは「とちおとめ」でしたから。

19位の「つぶやきシロー」は、思い出しもしなかった。これは「栃木県と言えば」以前の問題。

その他、存在を知ってはいたけれどそれが「栃木県」と結びついていなかったものばかり。国内地理は、苦手ではないはずだったんだけどなぁ。
(もしこれが私だけのことではないとしたら。宮崎県と違って一つ一つは知名度あるんだから、県としてもうちょっとだけアピールしてもいいのでは?)

歓迎・エンディンゲン市民音楽団

2008-05-14 00:13:20 | 日記

ある人から「ドイツの楽団の演奏、聞きに行く?」と誘われた5月11日、市原市にある教会から印西市のイオン千葉ニュータウン店まで16号線を北上しました。
来日したのは、エンディンゲン市民音楽団。この日は印西市の市民楽団「印西ウィンドアンサンブル」との姉妹提携の調印式だったのです。
「演奏会」ではなく「姉妹提携の調印式」ということで、演奏時間よりも印西市長のあいさつとかのほうがやたら長かったのだけど、それでも音楽を堪能しました。

実は私、中学では吹奏楽部でバリトンサックスを担当。全国大会とは縁がありませんでしたが、コンクールに出るくらいの規模で演ってました。高校でも吹奏楽部でしたが、10人いるかどうかという小規模だったので、コンクールにも出ず、私も曲によってテナーサックスとユーフォニウムを持ち替えていたり(金管と金管の持ち替えってのはよく聞くけどねぇ)
当時は学校所有の楽器を使っていたので卒業後は演ってないのだけど、そんなこんなで今でも近所の中学校からブラスバンドの練習が聞こえてくるだけでワクワクするくらいです。

そんなものだから、印西ウインドアンサンブルの演奏した3曲も、エンディンゲン市民音楽団の演奏した2曲も、かなり堪能しました。
というか、堪能しすぎたかなぁ。あとで何人かに「ノリすぎだよ」と突っ込まれました。だって、私の目の前にいた小学生ふたりがすごくノリがよかったんですよ。ステップ踏みながら、パラパラに近いような手振りで。それにつられてしまったんです(ということにしておいてください)

そもそも、歓迎の口火を切った和太鼓の演奏(楽団の名前は忘れました。すみません。)でかなりテンションあがってたんだよな。演奏経験はないけど和太鼓を聴くのは大好きなんだ。
しかも1曲目が「八木節」。吹奏楽アレンジで中学のときに演った曲で、この時点でノリに火がついていたような。
演奏前の曲目紹介で通訳が「ヤギブシ」と言ったとたんに、エンディンゲンの皆さんから「オオーッ」という歓声があがったのだけど、きっとかれらも吹奏楽版「八木節」を演ったことがあったのかもしれない(ということを、プログラムの合間に和太鼓の演奏者の方とお話ししていました。)

ところでこのエンディンゲン市民音楽団、今年で結成から255年だそうです。
ということは1753年、日本ふうに言えば「宝暦年間創業の老舗」ですね。商売じゃないから「創業」とは言わないかもしれないけれど、とにかく、徳川九代将軍・家重公の時代ですよ。歴史だなぁ。
当時の音楽団はどのようなものだったのでしょうか。「印西ウインドアンサンブル」という名の中にあるウインドアンサンブルという編成自体、1940年代くらいに考えられたものだし。それ以前に、1840年代に発明されたサックスはまだ存在しないし、トランペットにピストンなどの機構が発明されたのも19世紀だから、255年前となるともう古楽器の世界なんだろうな。

すごいぞ上地雄輔

2008-05-13 23:56:37 | 日記
上地雄輔って人が、本業が何なのかいまだにわからないのだけど。

テレビ朝日「ぷっすま」の中で、10枚の「日本の偉人」の写真から1枚を選び、フルネームを答えるというクイズがあった。
1枚を選んだ上地雄輔の回答は、「よくある名前」というユースケに惑わされて「中山ゴン太」。罰ゲームの電流でのたうつ彼に「中山ゴン太って、何をした人だよ」と当然のツッコミ。
ところがこの突っ込みに、上地雄輔は「憲法を作った人」と応えた。

すごい!間違ってないぞ、上地雄輔!
いや、「中山ゴン太」はともかくとしてだ。
だって、彼が選んだその写真の人物は伊藤博文公爵だったんだから。

明治憲法(大日本帝国憲法)は、明治天皇から黒田清隆首相に手渡して発布された。けれどその憲法の起草の中心人物は伊藤公だし、横須賀市にあった伊藤公の別荘で起草作業が行われたんだ。
もちろん伊藤公が一人でつくったわけではないけれど、伊藤公を「(明治)憲法を作った人」というのは決して間違っていない。
「何をした人でしょう」というクイズだったら正解としていい。というか、伊藤公を「初代首相」とか「韓国統監」といわずに「憲法を作った人」というのは、むしろすごい。

「お馬鹿キャラ」としてクイズ番組に出ているうちに、どこかで伊藤公の写真と「憲法」という言葉とが頭に入っていたのだろうか。
まったくのあてずっぽうだとしたら、それはそれですごいぞ。

がんばれ新弟子

2008-05-13 01:40:26 | 相撲
11日、日本相撲協会が夏場所の新弟子検査合格者を発表。15歳から22歳の7人はすべて日本人。

話題は「元ホスト」の山下智徳(高砂部屋)。
といっても「時給1000円で2ヶ月だけ」というから、「元ホスト」というより「ホスト経験者」くらいではと思うけれど。
2月末に高砂部屋を見学し「厳しい世界で自分を鍛え直したい」と入門したそうだが、そこから2ヶ月で、58kgだった体重を10kgも増やしたというからそれなりに根性あるんだろう。それでも、身長181cmはいいが「75kg以上」の体格基準を満たさず、第2検査+運動能力テストという基準で合格したとのこと。

今のところ朝青龍を応援しているくらいなので、ちょっと注目してみようと思う。
「目標はとくにない。番付でいけるところまで、いきたい」とのこと。行けるところまで行ってやれ!

アンネ・フランクのクリスマスカード?

2008-05-10 08:58:42 | ニュース
先日、「アンネの日記」の作者とされるアンネ・フランクの署名が入ったクリスマスカードが発見されたそうだ。
http://www.afpbb.com/article/life-culture/life/2382478/2860005

「アンネの日記」自体を読んでいないのでなんともいえないのだけど。
アンネ・フランクって、ユダヤ人ですよね。なぜにクリスマスカード?欧州にいる間にキリスト教に改宗してた?

キリスト教の風習を取り入れるように、クリスマスに時期が近いユダヤ教の祝祭「ハヌカ」の際にグリーティングカードやプレゼントのやりとりをするようになったのって、わりと最近だと思うのだけど。

ところでこのクリスマスカード、まさかボールペンで書かれていたりはしないだろうな。

北京五輪に賛同した萩本欽一氏

2008-05-10 00:03:38 | 日記
連休中に書きかけたものを棚卸し中。というわけで、旬を過ぎた文章がもう少し続きます。

たぶん十年以上も昔のこと、「日本が大統領制になるとしたら誰なら」という話をしていた時。「米型は難しいが仏型の大統領なら、萩本欽一ならたいていの人は『欽ちゃんがそう言うなら、まあ取りあえず聞こうか』になるのでは」と言ったやつがいて、なるほどと思った。特にファンではない私でも、「まあ、欽ちゃんが言うなら一回話を聞こうか」とは思うだろうと。

ずいぶん昔のこと、中国政府のチベット弾圧について欽ちゃん、もとい、萩本氏が支持するより前のことだ。
萩本氏がチベット問題をどう考えているか、また「中国がチベット民族を蹂躙してる」というのが事実かどうかに関係なく、この状況で聖火ランナーを務めたことは「この件では中国政府に何も言うべきことはない」と支持を表明したことに他ならないのだから。

そういう状況を招いたのは中国政府なのだし。

チベット問題について「中国が悪い」と決め付けるつもりはない。私の主観は「どうせ中国政府はやったに決まっている。独裁政権がそういう思考回路だってことは歴史が示している」と断じたい。が、今回もそうだとそう決め付けられる判断材料はない。
問題はまず、判断材料がないこと、つまりマスコミをシャットアウトして報道統制しているという一点にある。一党独裁の、しかも主権が民でなく党にある国に「国外のマスコミや機関に自由に調査させる気はないが、事実は党が発表しているとおりです。」と言われて納得するのは、日本では朝日新聞と、萩本氏をはじめ聖火ランナーをつとめた方々だけでしょ。
(中国政府の情報公開が進まないままで)開会式に福田首相が出席するなら、日本政府も加わることになるけど。

五輪は「スポーツの祭典」ってことにしたらいいんじゃないかなぁ。
「スポーツと平和の祭典」にしようとするから、開催国が政治ショー化したくなるんじゃないの?

安倍前首相が胡錦濤氏をやりこめた

2008-05-09 01:22:08 | ニュース
日本の歴代首相との朝食会に、胡錦濤氏が招かれたそうな。
主催は中曽根大勲位、その他の出席者は安倍前首相、森元首相、海部元首相。

小泉元首相は姿を見せなかった、と。もし小泉氏が出席していたら、はたして胡錦濤氏は招きに応じたかどうか。小泉氏の不参加は、小泉氏の考えか、胡氏の要求か、周囲の配慮か。
「靖国神社に参拝した小泉氏」としている報道もあるけど、中曽根大勲位も靖国参拝したんだけどねぇ。
安倍前首相は、「相互訪問を途絶えさせない関係を作っていくことが重要」と述べたという。首脳外交が途絶えたのは、小泉氏の靖国参拝を外交カードにして中国側が途絶えさせたんだよな。国内的には「政権を途中で放り出した」というイメージで印象がちょっとウスい安倍さんだけど、なかなか言うじゃないの。

さらに安倍氏は、「北京五輪を前にチベットの人権状況を憂慮している。ダライ・ラマ側との対話再開は評価するが、五輪を行うことでチベットの人権状況が改善される結果が出ることが重要だ」と正面きって言ってのけた。
さらにさらに、東大留学中に中国に一時帰国したら政治犯として投獄されたウイグル人の釈放まで求めたという。
胡氏は、チベット問題には答えなかったが、ウイグル問題には意表を衝かれたらしく「私は知らないので、しっかりした法執行が行われているかどうか調べる」としか言えなかったようだ。
北京五輪が近いし柔道でたとえるなら、チベット問題は読まれていてスカされたが、ウイグル問題で一本を取ったというところか。

このウイグル人トフティ氏については、4月30日に憲政記念館で行われた「中国の人権状況を考えるシンポジウム」で触れられていたらしい。「立ち上がれ!日本」ネットワークのメールマガジンによると、このシンポジウムは国会議員がチベット、ウイグルなどの人権活動家から直接の証言を聞いて議論したもので、「国会議員」には麻生太郎氏などとともに安倍氏も出席している。同メールマガジンによると『読売はこのシンポジウムのなかで取り上げられた、東大大学院のウイグル人留学生が一時帰国の際に中国で逮捕され11年間も獄中にあるという証言が「都内のシンポジウム」で行われたと記事にしている。』のだそうだ。
(詳細は 産経新聞・阿比留瑠比記者のブログあるいは日本政策研究センターのHPをどうぞ)

もともと安倍氏には、中国共産党政府はかなりヤラれていたという分析もある。(「中国は完全に安倍外交に屈していた」を参照)
安倍氏の発言により「会場は気まずい雰囲気が漂った」というが、こういう場でなあなあの発言しかしないのが日本の「配慮」とされてきたようにも思えるから、安倍氏はあえて「空気読まない」人だなぁ。応援したくなってきたぞ。

衆議院議長の認識

2008-05-09 01:14:20 | ニュース
河野洋平衆院議長が、来日中の胡錦濤氏と国会内で会談して「中国国内の問題は中国の主権内で合理的に処理するという風に思う。日中はアジア、世界のために努力、協力すべきだ。そのためには世界の理解も必要だ。」と発言した。

現下の情勢で「中国国内の問題」とはチベット問題のことでしょう。で、それは「中国の主権内で合理的に処理」されるのがよい、と。

中国が民主主義の国だなんて思ってる人はいないでしょう。チベット問題に限ったって「報道の自由」さえないし、海外に出ている人民だって「言論の自由」がないし。法輪講の件にしても「信教の自由」がないし、キリスト教も国家の監視下にある教会のみ公認だし。
結局、「中国の主権内」というのはつまり「一党独裁の共産党政権の主権の内で」という意味で、チベット族を含めるどころか漢民族に限ってさえ「人民」に主権はありません。

「共産党による、合理的な処理」って、怖くないですか?
天安門事件は、党としてはすごく合理的な処理だったよな。
毛沢東もレーニンもスターリンも、何事につけ合理的に処理したよな。
私たちの国の衆議院議長が、「(チベット問題は)党の主権において(人道的ではなく)合理的に処理」されるべき、中国の国内問題だと表明したわけだ。

天皇が胡錦濤氏を訪問???

2008-05-08 07:53:14 | 天皇・皇室
中国から胡錦濤氏が来日しているが、胡錦濤氏が宿泊しているホテルニューオータニを9(金)に両陛下が「訪問」するそうだ。

始めに整理しておくけど、天皇という存在は、国内的にはあいまいにされている面もあるけど対外的には日本の国家元首。昭和憲法が天皇の国事行為と定めた事柄は、国際関係においては元首がおこなうことだからね。一例をあげれば、一国の公式な大使は着任時に相手国の元首に挨拶するけど、各国の駐日大使は内閣総理大臣にではなく天皇に挨拶して着任するでしょ。
ちなみに、「首相」とは「主席宰相」の略で、辞書によれば「内閣の首席の大臣」。「宰相」はというと、辞書によれば「昔、中国で、天子を補佐して政務を処理する最高の官」の意味。内閣が補佐する天子とは日本ではもちろん天皇で、日本国憲法でも第三条で、天皇は(首相が長である)内閣の助言によって国事行為を行うことが定められている。つまり昭和憲法でも天皇が元首であることがある程度は示されている。
だから、日本国を訪問した中国首脳が7(水)に、皇居で歓迎されることも、天皇の拝謁を賜わるのも、自然なことだと思う。

そして、ホテルニューオータニに中国首脳を両陛下が訪問なさるというのは、日中友好な構図にも見える。

見える?

過去の外国首脳の来日時にどうだったか知らないのだけど、よく考えると、日中友好な構図どころか、昭和天皇が占領軍司令部にマッカーサーを訪問したのと同じ構図じゃないか。
しかもこれが中国首脳相手では、「中国皇帝の行幸を迎える冊封国」という構図じゃないか。

時代劇や劇画で、検地に来た幕府の悪徳役人の宿舎に村長や庄屋が挨拶に行くみたい、とも思える。

内閣総理大臣が他国に対して、『政治的配慮』からどんな卑屈な態度をとろうと、日本の誇りは天皇にある。
中国だって、(中華思想的には天子とは中国皇帝のみであって、「天皇が日本の天子」という考え方はありえないし認められないだろうけれど)「対日政策としては首相よりも天皇がターゲット」と考えているだろう。だからこそ北京五輪の開会式だって、福田首相なんか正直どうでもよくて皇太子殿下の御臨席を実現したいのだろう。


いったい、誰がこんなスケジュールを入れたんだ?