「小さな政府(小泉構造改革)」=格差社会

格差問題を中心とした考察 ※コメント、トラックバックは受け付けません

高校必修科目の履修漏れ問題

2006年10月30日 | 社会

公立高校の3年生約81万人のうち、履修不足の生徒が289校で約4万7000人いることが明らかになったようです。
 
この問題も、何をいまさらという感があります。

私の高校時代にも、同様の問題はありました。
当時、センター試験の前の制度で共通一次試験というのがあり、国立大学の受験生は、全員5教科7科目を受験していたんです。

私の場合、理科の「物理」、社会の「日本史」は試験科目として採らなかったので、それらの科目は殆ど記憶にないです。

ただ、日本史の「先生」ご本人については、相当記憶に残っています。

どうしてかというと、その先生が『お前ら大変だな、7科目の試験があって。日本史をやり世界史をやり、倫理社会もか。日本史が受験科目でない者は、俺が試験に出すとこは大きな声で言うからそこだけ押さえとけ。それ以外は自習の時間にして良いぞ。』といった感じの方だったからです。

その後、その先生が大学の教授になっていることをテレビで拝見しました。

授業は一応行われ、実質それぞれの者の受験パターンに応じた自習の時間になっていたのです。
無理矢理、試験科目にない科目を授業したって、所詮身に付かないですからね。

今の子供は我々以上に損得勘定の世の中を生きていますから、ますます目先の利益優先でしょう。将来のために試験外の科目も勉強しよう、なんて思うはずがありません。

現場の先生も、それに対応して授業そのものまで削っちゃったということでしょうか。 

世界史の授業をやらなかったという高校も、生徒が、勉強する範囲や量の多い世界史を敬遠して、比較的内容の少ない日本史や地理を好む傾向に迎合したんでしょう。

私の場合は、敢えて好きだった世界史を科目選択しました。
このことは幸いにも役だったのですが、そう思ったのは社会人になってからのことです。
日本史との関連付けができたため、他の試験に役立ったのです。

さて、一部の意見として、一定の基礎知識は身に付けるべきとかいう意見がありますが、これは「きれいごと」でしょう。

そういうあなたは、高校時代10科目を超える授業を適正に受け、それが社会人になって役立っていますか?と問いたい。

文科省が「きれいごと」を言い続けるなら、現場の先生は、授業の中で、自習を公認すれば良いだけでしょう。

現在は知りませんが、当時、私立大学は3~4科目の受験科目、国立大学は、7科目の受験科目。
共通一次試験で8割程度の正解を求められるとなると、貧乏人はかなり勉強をしなければなりませんでした。

一方、早稲田大学の社会学部などを目指していた友達は、英数社だったかな3科目程度を集中的に勉強していました。
(私立大学の学生の方が就職の際に個性的と言われるのは、試験制度が原因のような気もします。高校から深い勉強ができますから。)

貧乏人は7科目に加えて、「美術」「保健」「物理」「日本史」などを本気にやってる余裕はなかったのです。 

少なくともこの問題について、私立大学だけを受験した政治家、官僚、御用学者達は、黙るか、勉強をしてから発言をして欲しいものです。

         ※用語のリンク先: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


「偽装請負、対策どうする」

2006年10月30日 | 規制緩和

10月13日の朝日新聞三者三論に「偽装請負、対策どうする」というコーナーがあり、「規制緩和で請負を活用せよ」という「とんでもない御用学者」がまたまた登場しました。

小嶌典明」という大阪大学院教授で、政府の規制改革・民間開放推進会議の専門委員をやっているそうです。

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(発言内容1)
 問題は「行政が現場の実情に合わない硬直的な条件に基づいて『適正な請負』と『偽装請負』を区分けしていることだ」

(発言内容2)「請負を派遣に切り替えれば済む問題でもない・・企業が人件費に使える財源には限界がある・・無理に派遣に替えれば、メーカー側は直接雇用を避けるため、派遣労働者の短期間での契約打ち切りを繰り返すようになり、雇用の安定性が請け負い労働者より低下する懸念もある」

(発言内容3)「若年労働者が低賃金で正社員になれる機会も少ないのは確かに問題だが、偽装請負をなくせば解決するものでもない偽装請負は、正社員の雇用を維持するための緩衝材の役割も果たしてきた。労働組合も自分たちの組合員の生活を守るのに精一杯で、外部の労働者には関心が薄かった。正社員の既得権を見直さないと、若年労働者の問題は解決できない」
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あなたは何様だといいたい。

90年代後半以降、工場内請負が急速に広まったのを「経済の低迷」一言で片づけ、「請負が雇用の受け皿になった面もある」と肯定的発言をしていますが、そう簡単な問題ではないでしょう。

工場の国外移転、特に中国への移転は、「中国の異常な為替水準」「市場開放がすすまないことからくる円高」「不良債権の早期処理」に起因するものなのです。

こうしたことに触れないで「偽装請負」をやむなく容認するがごとく発言をするなど、本当にレベルの低い御用学者です。

         ※用語のリンク先: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


中国・ロシアは所詮、敵国

2006年10月26日 | 政治

北朝鮮の核実験問題に発した日米提案の「国連安保理決議案」。

やはりというか、厳しい制裁箇所について中国・ロシアは実質反対の立場を表明しました。
そもそも、ロシアは北方領土問題を見ればわかるように、第二次世界大戦集結間際の領土略奪について、なんら反省をしていません。また、最近は原油価格の高騰もあって国力がアップしてきており、日本と仲良くする気はますますないと言ってよいでしょう。

中国といえば、天皇や総理大臣がお詫びを表明し、長い間経済援助をしてきても、反日教育を継続中。
(国内政情のため、不満を日本に向けさせるという話もありますが)

両国とも、北朝鮮があのような国とはいえ、「日本などに協力する気にはなれないし、むしろ隣人として、北朝鮮の崩壊が怖い。」といったところが本音でしょうか。
今のところ、武器による戦争こそないですが、原油市場、為替市場を通じた経済戦争になっている両国、特に中国とは普通以上のお付き合いをすること自体、日本は甘ちゃんなのではないでしょうか。

それにしても、「北朝鮮」に二度までも訪問し、国交回復まで期待した「大甘ちゃんの前首相、小泉純一郎」は批判されませんね~。
ここでも先見性のなさが証明されているのに。

この5年間に日本からの援助も受けて、「北朝鮮の核開発」は順調に進んだわけです。 そして、なんとその見返りとして「核ミサイル」が帰ってくる可能性があるんです。
これでもなんの責任も感じていないんでしょうね。

イタリアへの移住を検討してるなんて、脳天気な人です。
またマスコミは情けないです。


超金融緩和の副作用

2006年10月23日 | 小さな政府

「小さな政府」を指向する者、例えば「竹中平蔵」「小泉純一郎」、二人の師匠とも言える「加藤寛」は、「超金融緩和」で景気の底上げを図ろうとしました。

規制緩和」が景気を刺激するとかなんとか言いながら、心の中では「ミニバブル」を期待しているのです。

ところが、ここ10年くらいの日には資金需要はありませんでしたから、日本マネーは投機資金として世界を駆けめぐることになりました。 
原油価格、金価格等が実需を無視して、高騰するなど「超金融緩和政策による副作用」が起きたわけです。

しかも、財政政策をとらないで、金融政策に頼った流れを整理すると

デフレ不況にもかかわらず歳出を絞った → 準恐慌状態になり、金融機関が倒産し資産デフレが起こった → ますます金利を下げ金融機関を助けざるを得なくなった。金融市場は金でジャブジャブにしたが金融以外の借り手がでてこなかった → 金融機関はなんとか生き延びたが、外資がタダ同然の資金を借り、大安売りの日本資産を買った。そして投機市場に資金が流れた → 日本のシステムがおかしくなり株と都市部にミニバブルが起きた。また貴金属、原油市場に実需を無視した投機が起こた → いずれミニバブルがはじけると不況に戻る

だと考えます。

いずれにしても、金融政策だけで国の運営を行うことには大きな副作用が生じるのです。
取り返しがつきません。
加えて、「郵政民営化」という表面上、格好いい改革により、郵貯資金も世界を駆けめぐるように改悪されました。

サービスの低下とか民営化云々が、この問題の本質的なところではないと思います。
日本の資金が日本の需要刺激のために使われなくなること、日本の資金が失われる「可能性が大」であることが問題なのです。

リチャード・クー氏が主張しているように、今後、政府による為替介入が行われない限り、円高によって、海外貸し付け資金の棒引き「日本の資金」の目減り起こることが問題なのです。

多くの日本人は、経済に疎いため、この事実がわかりません。
私の義母も、高金利につられ、お気軽に米債投資を行っています。

為替レートの恐ろしさを説いても義母には理解できません。 
そういった素人には何を説いてもダメなのです。損をしてはじめて為替の恐ろしさを理解できるのです。

政治家は「経済」について、もっと勉強をし、「歳出カット」や「金融緩和」といった誰でも思いつくような短絡的な施策ではなく、国民が汗して働いた貯金が失われることのないような施策を行っていただきたいと思います。

具体的には、国民を不幸にするような規制緩和ではなく、円高を防ぐ規制緩和(市場開放など)を検討すへきです。

また、政府は需要不足であることを認め、供給側である企業の生産効率アップの施策を見直し、需要拡大の景気刺激策(財政政策を含めたポリシーミックス)を検討すべきです。


格差社会 その2 「若者」へのシワ寄せ

2006年10月23日 | 格差問題

格差社会のシワ寄せをもろに受けたもう一つは「若者」である。

不良債権処理と言えば「従業員のリストラが頭に浮かぶが、そう簡単に従業員のクビは切れないため、多くの企業は希望退職を募る一方で、新規採用を手控えるといった行動にでた。

民間企業は採用を手控えざるを得ず、公務員も行財政改革ということで採用枠を絞り、いわゆる就職氷河期となったのである。

このキッカケとなったのは、平成10年(1998年)の橋本内閣の経済失政である。
平成6年に引き続き、経済企画庁(現内閣府)の景気回復宣言を信用しての失政であった。

ここ数年の経済運営と同じく、橋本内閣が増税その他、財政健全化策に走ったお陰で世は不況一色となり、金融機関がバタバタと倒れ、不良債権処理の一つの方策として、人件費の削減や採用の抑制が行われたわけである。

結果、就職氷河期と言われる時代が始まった。
不幸なことに当時の世界経済は今ほど絶好調ではなかったので、官も民も徹底した節約を実行した悪影響がストレートに現れた。

国全体の需要は大きく下がり、そのしわ寄せが若者にいったのである。

この時は、後の小泉内閣時代と違って外需が振るわず合成の誤謬がわかりやすく証明されていた。

被害を受けたのは若者達。
彼らは、まともに就職できず、仕方なく「大学院」にいったりフリーター」「派遣労働者」「請負労働者」になった。

また、特に「青森」「沖縄」に代表される雇用環境の厳しい「地方」の若者は、「派遣労働者」「請負労働者」の仕事しかないだけでなく、勤務地までもが「トヨタ、松下、キャノンといった大手企業の工場」がある場所、例えば「愛知県」にならざるを得なかった。

「若者」に、しわ寄せを与える一方で、「フリーター」「ニート問題とかいって、対策を講じ始めていますが、何かおかしいと感じるのは自分だけか。

「再チャレンジ」させる前に、そもそも谷底に落とさない様にすれば良い。その方がコストは掛からないのだ。

 「ニート問題は教育問題だ」と「和民」の「渡邊美樹」社長が読売新聞にインタビューで答えているが、まったくピントはずれである。

たまたまの成功者がすべてを知り尽くしているがごとく、知識人扱いされるのは危険である。

熱意と幸運だけでたまたま成り上がった者が、政府の諮問会議の委員として参画することは若者にとって不幸なこと、迷惑なことである。

ここ10年で積み上がった「ニート」の問題は「経済問題」の要素が大きいのである。


格差社会の問題点(その1) 「地方」へのシワ寄せ

2006年10月20日 | 格差問題

どうして「東京」と「地方」の格差が問題となるほど大きくなったか。  

理由は
 1 不良債権処理を急いだこと    
 2 やみくもに規制緩和したこと    
 3 財政再建に走ったこと    
 4 市町村合併を推進したこと  
にある。

1 不良債権処理について

バブル経済崩壊と財政赤字と恐慌」で考察したように 不良債権処理は急ぐべきではなかった。
北海道拓殖銀行」が破綻した北海道経済がこのことを訴えている。

他にも「地方」では不良債権を急ぐ余り、心臓とも言える「地方銀行」が致命的に傷ついた。

その後、「東京」と違って、「地方」は民間主導、輸出主導の景気回復に取り残されたため、「地方銀行」には厳しい経営が続くこととなった。

したがって未だに銀行整理の話がでるのは「地方銀行」である。


2 やみくもに規制緩和したこと

規制緩和といっても「地方」や「弱者」に対して厳しい内容の規制緩和ばかりが実施された。

まず、大型店舗参入の規制緩和(大規模小売店舗法の施行)により、どこの地方都市にも中心市街地に「シャッター通り」という名称の廃墟が誕生した。
このことは地方銀行の不良債権をさらに大きくした。  

また、労働者派遣法の規制緩和(製造業)により「労働者の所得減少」と「地方の若者の流出(トヨタ、松下、キャノンといった大手企業の工場へ)」を引き起こすこととなった。
 
そして「地方」として重要である「農業部門への株式会社参入」といった雇用が生まれる可能性のある「良い規制緩和」は行われなかった。 


3 財政再建に走ったこと

追い打ちを掛けたのが、公共事業の削減、地方交付税の削減等による地方経済の縮小であった。
 
橋本内閣の大失政の後始末など、国は需要喚起施策として、公共事業をやらざるを得なくなり、地方公共団体を巻き込んで事業を実施したわけである。

当然、国は「地方」に赤字公債が積み上がることを容認していたのである。

ところが、ある時点で急に「財政危機だ」「構造改革だ」「景気が良くならないのは財政赤字が原因だ」「地方公共団体にも破産制度を導入する」とむちゃくちゃな方針転換をしたわけである。

もともと自主財源のある「東京」などの都市部と、自主財源の少ない「地方」の事情を無視して財政再建に走れば、「地方」が落ち込んでいくのは自明の理と言えよう。

加えて、地方自治体は赤字の穴埋めで公有地の処分まで行っている。
これは国が率先して行ったことだが、デフレ対策と言いながらさらにデフレを振興している訳で、地価の下落を一層進めていったのである。

財産収入以上に、地価デフレの影響から税収が落ち込み、何をしたやら意味がない行動であった。

それから忘れてはならないのが、農業補助金の削減により「地方」のさらに中山間は過疎化が加速化しているということである。
「地方」は工場の中国移転や公共事業の削減と併せてトリプルパンチを受けたのである。

4 市町村合併を推進したこと

これは、国が「地方交付税の特例」を餌にというか、脅しに使って、合併を強要したと言える悪政である。

市町村合併は確実に、地方の需要を引き下げることとなる。
中には、どさくさに紛れて施設を建設する市もあったが、基本的には効率化(議員数 ・職員・会議の数の減)=需要の削減を図るわけでデフレ要因となる。

これではお金の回りは確実に減ることになる。

いつも思うことだが、お金の回りを悪くしても税収は不変という仮定での「行財政改革」は間違っているのである。

せめて削減した予算を公共事業費に振り替えれば、「マクロ経済」的には変わりはないのだが...

地方は既に死んだか、死にかけている。


「小さな政府」にすべき? ハァ~?

2006年10月18日 | 小さな政府
バブル経済崩壊後、よく耳にするのが「小さな政府」を目指そうというもの。

資本主義経済に特有の、大きな景気循環が起きる中で、「小さな政府」に決めることを無謀に思う。

望ましいのは、

バブル経済時のように、民間が好景気に沸く時には「小さな政府」にする。
つまり公共部門は、最低限の事業を行い、税収が上がっても、来る不況(バブルの揺り戻し)に備えて、財源を温存する。

反対にここ10年のような超不況・準恐慌時には、先行投資的公共事業(電線の地中化、光ファイバー整備、老朽化した橋梁等のメンテナンス、耐震化整備等)を行い、資産デフレを防ぐために土地も先行取得する。』

ことではないのか。

金利が上がって土地の価格が上がってから公共が動くのは、後の世代から見た場合、愚かな行動に思えるはずである。

バブル経済崩壊の際などには「大きな政府=借金を抱えても大きな投資を行う」になることも必要なのである。

つまり、「公」は「民」の裏道を行くべきではないかと思うのである。

「金は天下の回りもの」

2006年10月18日 | 財政問題

ケチくさい金持ちが増えることは、この日本にとって最悪である。

タレントの「薬丸裕英氏」などのように「庶民感覚を売り」にして活躍するのはテレビの世界だけにして欲しいものだ。
現実の生活では、収入に見合った贅沢をして欲しいのである。

金持ちがお金を使わなくなったら、日本全体が貧困になるからである。
たとえば「クラウン」を買うのを止めて、皆が「カローラ」や「軽自動車」を買う様な世の中にしてはダメなのである。

全世界で例えると「米国」や「中国」が借金を気にしてお金を使わなくなったら....と考えてみたら。
これらの国が日本と同じように「財政均衡」とか「プライマリーバランス」とか言いだして歳出削減をしだしたら...、世界経済はめちゃくちゃになってしまうだろう。

つまり昨今のように、みんなが借金を気にして、使うお金を減らし土地や株を売ったとしたら、国民みんながますます貧困になっていくのである。

日本の金融資産が1400兆円もあったら、それに見合う借金の額になるのも当たり前と考える必要がある。

そして「米国」「中国」にも「プライマリーバランス」云々を主張する御用学者、政治家はいるのだろうが、実際の国家運営は現実路線で行われていることに注目しなければならない。 だから、「米国」「中国」では日本のように経済の縮小を目指すような施策はとられていないのである。

「中国」が発展し、「日本」が沈んでいくということは、どう考えてもおかしいだろう。


トヨタ自動車系列の日野自動車が、偽装出向1100人

2006年10月18日 | 規制緩和
最近、新聞を賑わせはじめた「偽装請負」、「偽装出向」。

これは小泉内閣の「不良債権早期処理の要請」と引き換えに、財界から要望のあった「労働者派遣法の規制緩和=安価な労働者の供給」を実現した結果によるものである。

労働者を商品のごとく売買する「規制緩和」。
低賃金で雇われる若者は車も買えないし、自活できないし、従って結婚も子供もできない。
低所得が低消費を引き起こし、晩婚化・非婚化につながり少子化となるのだ。

偽装工作の多い、自動車業界・電機業界は自分で自分の首を締めていることに気づくべきである。

これに関して一番責任があるのは、為政者や御用学者であろう。
「規制緩和」のどこが需要拡大するのか?と、規制緩和推進者代表として経済財政諮問会議の民間議員「八代尚宏」に尋ねたいところである。

財務相の「国債発行30兆円以下」に「生ぬるい」と批判続出

2006年10月18日 | 財政問題
『財政制度等審議会(財務相の諮問機関)は4日、尾身幸次財務相の就任後の初会議を開いた。

財務相が2007年度予算編成で国債の新規発行額を2006年度当初予算と同じ30兆円以下に抑える方針を示したことに対して「生ぬるい」などの声が続出。

地方交付税と社会保障関係費を2本柱に歳出削減を徹底し、国債発行額も一段と抑制すべきだとの考えで一致した。

30兆円枠については「税収増を考えて、さらに低いところを狙うべきだ」「その程度では国民は納得しない」などの指摘が相次ぎ、委員の1人からは「25兆円ぐらいを狙うべきだ」との発言も出た。』とのこと。

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誰かは分からないが、このお馬鹿な委員には『小泉内閣の失政の中で一番分かり易かったのが「国債発行30兆円以下」だったということをお忘れか?』と言わなければならない。

必要な国債発行額は収入と支出の差分として決まるものであり、発行額自体の目標を設定・達成するのは非常に難しいのである。

国債発行額は結果的・受動的に決まるものなのである。
小泉内閣のように、日本が金融恐慌をやっと逃れた様な経済状況において「国債発行30兆円以下」などという経済運営を行うなんて全く常識ばすれである。

だから「カッコいい」と思って言ったことが、後から「そんな公約などたいしたことない」なんてカッコ悪い、開き直りになるのである。 GDPが500兆円から470兆円に下がってもいい覚悟があるのなら、それはそれでいいのである。

ただ、みんなは個々に大事な生活があるからそうはいかないのである。
5兆円~10兆円歳出をカットすると言うことは、GDPを20兆円、30兆円下げるということを意味する。

そして中途半端な意地を張って貫き通そうとすると「株価の下落に始まる資産の下落、それに伴う年金特別会計の悪化」、「失業率の上昇そして雇用特別会計の悪化」、「自殺者の増大」、「輸出偏重に伴う為替介入額の増大」と余計なコストがかかることになる。

よく言われるような、80兆円の一般会計予算だけの話ではないのだ。
余計なコストとして2001~2004年に毎年「国債追加発行5兆円+特別会計数兆円+為替介入10数兆円」が必要となったのを理解しているか。

お馬鹿な委員には全ての職を辞する覚悟で発言しろと申し上げたい。
あなたの無責任な発言の裏で1万人の方が自殺しているのだ。


※小泉内閣の「国債30兆円枠」発言について

小泉内閣は、「国債30兆円枠を守る」ことを公約として掲げた。政権発足1年目の予算案では表面上、公約を達成した。(一般会計予算上での話)

しかし、政権運営2年目以降は国債発行額は30兆円を突破し、公約は達成されなかった。国会で公約違反を追及されると、「この程度の公約を守れなかったことは大したことではない」と答弁し、批判されたため、その後発言を撤回し謝罪した。

景気が自律回復する中、2006年予算において、再び国債発行額を30兆円以下に抑える結果となった。