麻生太郎がまたやった。桜井よし子など気心が知れた連中に依頼された講演会ゆえ気軽に軽口を叩いた心算だったのだろう。『ナチス』なる禁句が出たから堪らない。先ず、待ってましたとばかり共同通信が歪曲した記事を流し、朝日が後追い、政治面から社説、そして使える紙面を使って麻生叩いて大喜びだ。期待通りだとご満悦、これで安倍の足を引っ張れる。当分『麻生=ナチス』でお楽しみが続く。このニュースが発端で、早速、中、韓国が反応した。これに呼応して米国のユダヤ人人権団体がコメントを出した。日本では民主、共産、社民など野党が鬼の首でも取ったような発言をしている。今日から臨時国会が始まる、さァそれ予算委員会を開けと少数野党が麻生を質問責めにして安倍内閣の足を開会早々から引っ張ろうと目論んでいる。衆参両院で安定多数を獲った与党に対抗するには中々有効な手段がない野党にとって麻生発言は正に『タナボタ』だ。閣僚連中の失言、食言を期待して耳を兎のようにそばたてている。やりそうだと期待していた御仁が早速やらかしてくれた。野党の連中にとっては『神様、仏様、麻生様だ』天のお恵みだと少数多党が細腕だがてぐすね引いて待っていた。麻生は立派なワイマール憲法があるのに何時の間にかナチス憲法に変えた。大騒ぎせず静かに討議して改憲すればいいとの趣旨だったようだ。ナチス憲法はないので麻生は誤認している。ワイマール憲法下のドイツ国会は授権法を成立させて憲法を骨抜きにしてナチス=ヒットラー独裁政権が誕生した。講演でも、文章でも批判する方は都合のいい所を『撮み食い』して針小棒大に騒ぐのが手だと、従来から失言が多い麻生は十分承知していると思うのだが吉田ワンマン爺さんの隔世遺伝なのだろうか、それにしては言質に取られる発言が多く、べらんめえ口調だがユーモアは少ない。白足袋臣茂には数多い言行があるが失言は少ない。却って核心を衝いた発言が多いし、ユーモアもある。1947年二・一ゼネスト(昭和22年)2月1日の実施計画されたがマッカーサー連合国軍司令官の中止指令によって中止させられた。その年1月1日の年頭の辞で吉田は「政争の為に徒に経済危機を絶叫し、社会不安を増進せしめ、生産を阻害せんとするのみならず、経済再建の為に挙国一致を破らんとする・・・彼等の行動を排撃せざるを得ない。然れども、かかる不逞の輩が我が国民中に多数ありとは信じない」と述べた。労働組合を不逞の輩とした。また1950年(昭和25年)の自由党の両院議員秘密会で発言「永世中立とか、全面講和などというのは言うべくして到底行われないことだ。それを南原繁東大総長などが、政治家の領域に立ち入ってかれこれ言うことは曲学阿世の徒で、学者の空論に過ぎない」と一刀両断に切って捨てた。1952年(昭和27年)京都の演説会でカメラマンにコップの水を浴びせ「人間の尊厳を知らないのか」とやった。1953年(昭和27年)2月衆院予算委で右派社会党の西村栄一との質疑応答で西村が「総理大臣は興奮しない方がよい」吉田「無礼なことを言うな」西村「何が無礼だ」とやっているうちに着席しながら、吉田が小声で呟いた「バカヤロー」がマイクに入ったので西村が聞き咎めて大騒ぎになった。西村「バカヤローとは何事だ。取り消せ」吉田「私の言葉は不穏当でありましたから、はっきり取り消します」「一国の総理が取り消した上からは、私は追及しません」と一旦収まったが右派社会党が議会軽視だ、懲罰委員会への付託動議を提出、3月2日の採決に自由党非主流派が欠席、また広川弘禅農相(後に罷免)らの一派も欠席したので付託動議が可決された。右派社会党を裏から唆したのは鳩山一郎、三木武吉など反吉田一派と言われている。これが世に言う『バカヤロー解散』だ。この時の広川(僧籍を持っていた)の裏切りに「坊主は三代祟る」と皮肉った。第一次安倍内閣、民主党政権でも数々の失言でしくじっている。政治家は「真意が伝わってはいない」と言うが曲解されるのが当然と考えて発言しないと直ぐ揚げ足を取られる。『揚げ足取り』は大相撲だけではない。一部マスコミ、野党の常套手段だ。それにしても『懲りない麻生閣下』だ。