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昨日のブログで佐敷東の城跡に登った事を書きました。
今日のブログは佐敷東の城跡の事です。
佐敷東の城跡には戦国時代に相良氏のお城があった山です。
子供の頃は加藤清正が建てたお城があった山を城山(しろやま)、相良氏のお城があった山を城山(じょうやま)と呼んでいました。
しかし、城山(じょうやま)にお城があった事を知ったのは、佐敷の歴史の勉強を始めてからでした。
今回の記事は役場の深川裕二氏のご指導により記事にしました。
この佐敷東の城跡のふもとには月照山東泉寺が明治の初期までありました。
元々は曹洞宗のお寺で、のちに臨済宗で京都の妙心寺の末寺だったそうです。東泉寺跡には真言宗の僧侶で月照庵主幽真が建てた
一字一石経碑(寛文13年西暦1673年)が倒れた状態で残っているそうです。
元々は真言宗の庵のあった場所に禅瑞が禅宗の東泉寺を復興したそうです。
元々あった場所から数百メートル場所が移転しています。
元々あった場所を地元では東泉寺という地名で呼んでいます。
そこは学術的には古東泉寺と分けて呼ばれています。
佐敷東の城跡の入口に建てられている石碑には「禁入酒肉五辛」と刻まれています。
禅宗のお寺には良く建ててあるそうで、肉やお酒、ニンニク、野蒜、ニラ、玉ねぎ、ラッキョウなど、
臭いがきつくて精力のつく野菜の持ち込みを禁ずるという意味だそうです。
また石碑の脇には荒神様もお祀りしてあります。
もう一つ佐敷東の城跡のふもとには、相良氏の家紋と同じ家紋のお墓がいくつか建てていらっしゃいます。
「長剣梅鉢」です。
この家紋は相良氏が戦国時代まで使っていた家紋だそうです。
江戸時代になってからの家紋はまた違う家紋です。
戦国時代に縁のあったお宅の家紋だと推測されます。