あざみの気まぐれ日記

備忘録のつもりで書いています。

「アンセルノはどこな」

2013年02月06日 | 日記






地方紙の夕刊・読者投稿欄「クスクス爆笑珍事件簿」に
「アンセルノはどこな」
という見出しがあった。
「アンセルノ」 ???何のことなのか?
意味が分からなかった。

読んでみると・・・

ショッピングセンターの食品売り場で「アンセルノはどこな」と聞いているおばさんがいたそうだ。
投稿者はフランス語のワインかクッキーかと思ったそうだ。
ところがなんとおばさんは他の人が押している「ショッピングカート」を指さして「アンセルノ」・・・

つまりこれは「アン」→「あの」 「セル」→大分弁で「押す」を「せる」という
「あのせるの」→「あの押すの」
「どこな」→「どこにあるの?」
「あの押して買いものするカートはどこに置いているんですか?」ということになる。

これが妙に私にバカ受け!

家族みんなに「「アンセルノはどこな」とお店でオバサンに尋ねられたら何と答える?」と聞く始末。
娘だけがすぐに言い当てた。

「マドリード」の近くに「アンセルノ」があってもいいようなそんな気がする・・・

「幸せのおすそ分け」

2013年02月06日 | 日記




先日、面白半分にタロット占いをしてもらった。
その時、占い師が「『幸せのおすそ分け』の範囲内で何かすると良いと思います」というようなことを言った。

「幸せのおすそ分け」???私の辞書にはない言葉。

そう言えばゴルフ仲間がちょくちょく何かプレゼントしてくれる。
昨日は一人の人が「薬膳茶」、もう一人の人は京都「よーじや」のぬか袋をくれた。
もしやこれは「幸せのおすそ分け?」

時々、「長年駅のトイレ掃除をしている」「雑巾を縫って学校に寄付している」「折り紙を折って交通安全用アクセサリーを作っている」などテレビや新聞で見かけることがある。
見返りを求めず、「何か自分が社会の役に立てれば良い」という気持ちからではなかろうか。
それは「自分はまだ健康でこういうことができる。幸せだ」という思いからかもしれない。
今まで私はそういう人たちにあまり目を向けることが無かった。
しかし、最近、なんと立派な境地なんだろうと感じる。
なかなか私には真似ができそうにない。

それで今日一つ思いついた。
切り絵の「しおり」を作って人にプレゼントしたらどうだろう?
本を読むことが少なくなって「しおり」など必要ない人が多いと思うが
なんでも人から頂くと私は嬉しい。喜んでくれる人もいるかもしれない。

思い立ったら即やってみなくては気が済まない私の性格。
「しおり」を試しに作ってみた。
娘に見せたら「いかにも手作りって感じ!」と言う。
娘には私の雑さが目に付いたのかもしれない。

夫が家事をしてくれるので、少し余っている私のエネルギー、はてさて何に使おうか???
気まぐれだから気が向いたことしかしないという自分ではどうすることもできない厳しい制約付きだが・・・。















※夫は今日は「鳥に3分の2食べられた」と言いながら金柑もぎをしていた。
 「鳥はえらいね。ちゃんとお父さんのために3分の1は残してるんだから」と娘。
鳥に「幸せのおすそ分け」をしたのか?それともしてもらったのか???