ATSUー歴女(おばさん?)のひとりごとー

見たこと・聞いたこと・ちょっと調べたこと,気ままに「My 日記」として書いています。

救出された屏風の下張り文書(2009年台風9号)

2019-10-21 07:28:59 | 古文書
前ページ「下張り文書」と多少重複しますが,
こちらは,NHK古文書解読実践コース第2回の
「あなたの声」

先日,兵庫県立歴史博物館で「下張り文書の世界」という展示を見ました。
下張り文書の説明や
下張り文書のはがし方なども写真パネルつきで解説されていました。
また,
「2009年台風9号の際に兵庫県佐用町で被災した家から救出された屏風」
も展示されていました。
(この台風は8月に上陸。
 気象庁のホームページによると,
 「死者25名,行方不明者2名となり,
  特に,兵庫県佐用郡佐用町では死者18名,
  行方不明者(状況不明も含む)2名」となっています。
 うちの主人もたった1日ですが,仕事の関係でボランティアに行きました。
 友達の息子さんは(当時高校生)
 ちょうど夏休みだったこともあり,
 高校の生徒会で何日かボランティアに行ったと聞きました。)
(  )は「あなたの声」には書いていません。

その屏風の下張り文書には,
「播磨国佐用郡大谷五左衛門家文書」のうちの
「中川宮家令日記断簡」(中川宮家の家政職員が作成した日記)
(文久3年(1863)~元治元年(1864)ごろ)もありました。

「小松帯刀」や「島津大隅守殿」「大久保一蔵」などの名前が書かれています。
(島津には「殿」がついている。)
「幕末京都の政治情勢を記録する文書が,
 どのような経緯で下張りに利用されたのかは,
 今のところ分かっていません。」
と解説に書かれていました。

この文書の内容も価値もわからなかった大谷五左衛門さんの子孫が
下張りにしちゃったのでしょうか?
でも,下張りになったから残ったのかもしれませんね。

以上,「あなたの声」でした。




写真は,「播磨国佐用郡大谷五左衛門家文書 中川宮家令日記断簡」の一部です。
(前ページの写真と同じです。)
この写真の範囲には,「大久保一蔵」は載っていません。


全く関係ありませんが,
今日,明日は魚吹八幡神社の祭りです。
お天気が心配です。



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