ATSUー歴女(おばさん?)のひとりごとー

見たこと・聞いたこと・ちょっと調べたこと,気ままに「My 日記」として書いています。

まだ,アマビエ?!?

2021-06-28 14:17:01 | 日記
またこんな季節です。
もう1年以上も「アマビエ様!」と言っています。

兵庫県立歴史博物館の特別展「驚異と怪異」で,
京都大学付属図書館の「アマビエ」や「件」を見たのは,
昨年の6月26日でした。

先日,新聞(朝日新聞の書評 6月12日)に載っていたので,
東郷 隆『病と妖怪 ―予言獣アマビエの正体』
図書館で借りました。
この本自体は,2021年4月発行です。

東郷 隆『病と妖怪 ―予言獣アマビエの正体』(「読書メーター」6月24日より)
昨年春,
兵庫県立歴史博物館で特別展「驚異と怪異=モンスターたちは告げるー」があるはずでした。
が,コロナです。
いつ,本当に「驚異と怪異」ができるのかどうかもわからない時,
担当の学芸員の先生が,
Twitterでこの本の前半に載っていたようなことを紹介してくださいました。
(ただし,この学芸員の先生は,
 「アマビエ」は「アマビコ」の字の写し間違いだろうと言っています。)
そして,6月23日になって,やっと「驚異と怪異」が始まりました。
そこで,本物の「アマビエ」=京都大学付属図書館蔵や件の剥製を見ました。
感動しました。

続けて,(6月26日)
小松 和彦編『妖怪学の基礎知識』
数年前に読んだ本の再読です。
「妖怪」の歴史がよくわかります。
『古事記』などにも「鬼」や「大蛇」などの記述はありました。
でも,造形化されませんでした。
それが,仏教が入ることにより,絵画・造形化されるようになり,
中世になると,絵巻物に妖怪的な存在が書き込まれるようになります。
中世後期になると,絵巻や絵本と形式をとり,庶民にまで享受層が広がります。
娯楽化のはじまりです。
そして,江戸時代になると,
恐怖の対象・畏怖の対象であった化物(妖怪)は・・・
この後は,香川雅信氏の『江戸の妖怪革命』の方が詳しいので,後日。

後日。と書きましたが,
すでに読んで,感想を書いていました。(2020年6月17日)
香川 雅信『江戸の妖怪革命』
以前,文庫版を読みましたが,
文庫版には書かれていなかった「第4章 妖怪玩具=遊びの対象になった妖怪」
「第5章 からくり的ー妖怪を笑いに変える装置」などを読みました。
今,「アマビエ」ブーム。
予言する妖怪,それに託する江戸時代の人々。という,単純な江戸時代の庶民観ではなく,
妖怪を「図鑑」にし,「玩具」にし,「笑い」にするという側面を持っているのです。
・・現代人と似ているかも?
江戸時代,安永のころには,平和で庶民も楽しむことができるようになり,
また,字が読めるようになったからできること。
ですね。

ちなみに,「2021年度 大学入学共通テスト 国語 第1問 評論」は,
『江戸の妖怪革命』の序章の一部から出題されていました。
受験生の人気になり,
入試直後は売り切れて,ネットで本が買えない状態になっていました。

そして今読んでいるのは,
アダム・カバット『江戸滑稽化物尽くし』
だんだん,アマビエからそれてきました (;^_^A

さらに,それていきますが,
雑誌『和楽』8月号(7月1日発売)
付録は,
妖怪ではありませんが,
歌川国芳浮世絵手ぬぐい金魚づくし,・・・ネットで注文してしまった !(^^)!

コロナが収束したら,
「そういえば,あの時,アマビエってヘンなのが流行ったよね。」
というのでしょうか。
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右から?左から?

2021-06-20 16:56:02 | 日記
6月17日の「なるほど・・・」二つめ・・・続きです。
家にある
帝国書院『図説日本史通覧』(2014年発行)
の明治以降終戦まで(203ページ~285ページ)に載っている
横書きのもの

たとえば,(「 」の書き方は,ワープロの使い方がよくわからないので,すみません。)
「債公録金府政国帝本日大」や貨幣に出て来る横書きの文字,
「子踊の豆伊」など文学作品の表紙など
横書きは,ざっと数えると33か所。(たぶん)
(数えていませんが,圧倒的に,縦書きが多い。)

そのうち,左から右へ書いたものは,3か所のみ。(たぶん)
①生糸の輸出用ラベル「SILK」など英語部分。
(ただし,ラベル内の日本語は右から「・・・国野下本日大」)
②『KING』創刊号(1925年) 表紙の英語。
そして,
③277ページ「修正された写真」として出ている写真に描かれた検閲のメモ。
何と手書きで書かれたその文字は,左から。
「消すこと 上6-109」

ということは,どういうこと?
日常的には左から書くことも多かった?
数字は左から?

わかりません。
でも,おもしろい!

じゃあ,算数の教科書は?

また後日。
もし,調べたら書きます。

6月22日追記
「国立教育政策研究所 教育図書館
  近代教科書デジタルアーカイブ」の
「国定教科書(尋常小学校)」を見ると,「算術 算数」「唱歌」
「国定教科書(高等小学校)」では,「簿記」「唱歌・音楽」「英語」も
左から右へ書かれていました。
*国定教科書:明治36年(1903)小学校教科書国定制度が確立,
昭和18年(1943)中等学校・師範学校も国定制となったが,同22年(1947)検定制に移行。

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なるほど・・・

2021-06-17 14:41:19 | 日記 博物館・美術館...
15日,久しぶりに電車に乗って,姫路へ。
コロナ,だいぶ減ったし,
緊急事態宣言が終わったら,人がふえるかなあ?
コロナワクチンの兵庫県の大規模接種センターが始まったら,
姫路駅周辺は絶対人が増えるよね!?!
と思い,その前に・・・

久しぶりの姫路城,
歴博側から(北東側)からの写真です。
いつ見てもいいですね。

そして,歴博。
今,特別企画展「広告と近代のくらし」をやっています。

と,その前に,
1階「歴史工房」をのぞきます。
その一つ。屏風。
屏風と言えば,
博物館のガラスケースの中に展示されている,じゃばら折のものを思い浮かべます。
以前,ブログに載せた,「洛中洛外図舟木本」や「朝鮮通信使室津湊御船備図屏風」のように。
が,当然といえば,当然ですが,
屏風は風や視線をさえぎったり,部屋を区切ったりするためのもの。
だから,「L」字型や「コ」字型に置かれたりもするのです。
江戸時代の本などの挿絵にそんな屏風が出てきたりするのです。
ということは,家にある本の浮世絵とかにもあるかも・・・。
今日の「なるほど・・・」の一つめです。

「歴史工房」では,他にも,「兵庫県のはじまり」「あの世とこの世」の企画をしています。
「あの世とこの世」は大好きなんですが,長くなるので,今日は省きます。

2階に上がって,「広告と近代のくらし」
やっぱり書くと長くなるので,
今日の「なるほど・・・」二つめ。
昭和4年の大阪三越のカタログです。
「大阪三越」と書かれています。
が,昭和15年の阪急のカタログは,
「グロタカの急阪」なのです。
なるほど・・・,この時期って,右から書くのと,左から書くのが混在していたんですね。
じゃあ,学校では,どう教えていたんでしょうか。

今日は「なるほど・・・」でした。





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朝鮮通信使が通った海!

2021-06-10 12:18:22 | 日記 地域


6月10日の瀬戸内海。
道の駅みつからの写真です。
写真のだいたい右の方へ行くと,室津になります。

少し前の写真になりますが,
ふらっと,室津を散歩した時の写真。
廻船問屋・嶋屋
(現・たつの市立室津海駅館)
ここには,朝鮮通信使関係の展示があります。


 室津には,こんなのもいくつか・・・

そして,2021年度第2回課題で取り上げられた朝鮮通信使については,

(この屏風については,
 2021-03-05の「チョコっと(は,2月いっぱいで終わりましたが):室津海駅館」
 に写真を載せています。)
実は,この屏風には,室津を出て,賀茂神社の岬を廻って,
高砂沖に進んでいく船団も描かれています。

だから,上の写真の海は,
かつて朝鮮通信使も通った海ということになります。
(通ったのは,瀬戸内海の島々の向こう側かもしれませんが)

でも,朝鮮通信使の人たちが泊まる時,
そこに住む人々は,どうしたのでしょうか。

室津ではありませんが,
以前こんなことを書いていたのが,見つかりました。
(室津の西,岡山藩牛窓について書いたものです。)

2016-02-29
倉地克直『「鎖国」のなかの「異人」たち
     近世日本人は朝鮮をどうみていたか』(角川選書)
享保4年(1719年)の史料は池田家文庫の中に30点近くあり,
「朝鮮人御用留帳」17冊も残されている。(中略)
使節一行の宿舎として準備された町屋は44軒。
この町屋提供は牛窓の住民に大きな負担。
なぜなら,通信使来朝時に宿舎として使われた後,帰帆時までの約半年,家の人が立ち入る事ができない。
ほか,岡山藩士のために,146軒の町屋準備。
こちらは1ヶ月前から藩士が待機しているので,1ヶ月以上家に帰れない。
ほか,船や水主の動員
先だって通行する献上船の馬や鷹などのえさの提供。
(ただし,先を急いだため,えさや官人への下行物は,次の室津まで運んで,室津で渡す。)

たいへんですね。
「たいへん」で片付けられないほど大変ですね。

こんなことを考えると,第2回課題は,とてもおもしろいです。頑張ります!
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久しぶりに国芳です。(NHK「浮世絵ミステリー」)

2021-06-08 14:52:00 | 日記 国芳
久しぶりに国芳です。
2016年から2017年にかけて,国芳のことをたくさん書いていましたが,
久しぶりです。

6月4日 NHK BSプレミアムで
「浮世絵ミステリー 歌麿 国芳 ヒットの謎 江戸 メディアの闘い」
がありました。

歌川国芳に限って書きます。
とはいえ,
この番組は,浮世絵師 対 幕府(?)
というか,
絵師が,幕府の規制とどう対抗したか,に重点が置かれているため,
国芳の武者絵とか,
国芳たちは,うけたかったんじゃないの?儲けた?
とかいう点はほとんどありません。

歌麿には寛政の改革
国芳(というか,国芳やその弟子たち)には天保の改革
といった視点が中心です。

その天保の改革で,
株仲間が解散され,
30軒の版元が浮世絵を独占していたのに,
10年間で,140軒に!
うちわ問屋なども参入してきます。
そういえば,国芳の絵のうちわは展覧会等でたくさん見たことがあります。
(神戸市立博物館 「ボストン美術館所蔵 俺たちの国芳 わたしの国貞」など)
幕府は浮世絵の版元の力を弱めようとしたのに,
逆に浮世絵は活性化します。

おもちゃ絵やすごろくなども流行ります。
(以前,明石市立文化博物館で「江戸の遊び絵づくし」,面白かったです。)

もちろん,風刺では,
国芳の「源頼光公館土蜘作妖怪図」は詳しくこの番組で解説していました。
この絵も,そうですが,
風刺絵は,時に絵が絵師を離れ?
一人歩きします。不満をもつ庶民が,想像し,噂します。
「源頼光公館土蜘作妖怪図」は自主回収。

国芳には,隠密がつけているそうですが,
出版停止処分にすれば,かえって,人気が上がるということもある,
というようなことを書き残されています。

そして,安政江戸地震
国芳たちは,
『安政見聞誌』という絵が入った記録を残しています。
しかし,2か月後,江戸城の門を描いた(もちろん地震で壊れた)ため,
出版停止になります。

この『安政見聞誌』
早稲田大学の「古典籍総合データベース」ですべて見ることができます。
くずし字のかな文字がわかれば,だいたい読めます。
ちょっと,長いので,少しずつ読んでいます。

最後に,
私の国芳グッズです。


エコバックとメモ帳は,雑誌『和楽』の付録,
国芳の猫又は,
神戸市立博物館 「ボストン美術館所蔵 俺たちの国芳 わたしの国貞」
のガチャポンであてたもの。
ファイルは,
兵庫県立歴史博物館「五大浮世絵師展」で買ったもの,
ちなみに,ファイルの中は,
上に書いた『安政見聞誌』の江戸城の門です。


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