ATSUー歴女(おばさん?)のひとりごとー

見たこと・聞いたこと・ちょっと調べたこと,気ままに「My 日記」として書いています。

何度見ても飽きません,南蛮美術;神戸市立博物館

2019-11-27 10:21:15 | 日記 博物館・美術館...
国芳も好きですが,
国芳ファンになったのは,ここ数年。

南蛮美術ファン歴は,ん・・・40年弱かな?
(年が・・・ばれる?)

学生時代は,毎日神戸に通っていましたから,
帰り道,
阪急春日野道駅で途中下車して,南蛮美術館によく行っていました。
何年生の時だったかな?
南蛮美術館は,ほかの小さな博物館といっしょになり,
りっぱな神戸市立博物館となりました。

その神戸市立博物館が,2年近く休館し,
先日リニューアルオープン!

先週金曜日に,行ってきました。
(ごく一部を除き,写真撮影可でした。)



ロビーです。
床もトイレもピッカピカになっていました。

かつては,2階の喫茶店の前は,段になっていました。
阪神淡路大震災の時にできたものです。
それもきれいになり,
喫茶店の位置もかわっていました。
経営者も。
前のおばちゃん(経営者さん)どうしているかな?
ちょっとさみしい・・・。
(詳しくは,2017-08-19「神戸市立博物館」)

今回は,リニューアル記念「神戸市立博物館名品展」
今まで何度も見たことがある神戸市立博物館の名品ですが,
何度みても飽きません。

国宝の桜ヶ丘銅鐸は,360度見てきました。
これも何度みても好きです。

南蛮美術の数々,
大好きです。

その中の一つ。



この写真では,わかりづらくて,すみません。
「都の南蛮寺図」です。
教科書で見たことがあるような・・・。
よく見ると,
南蛮の帽子屋さんも絵が描かれています。

ほかにも,教科書でおなじみのザビエルとか,南蛮屏風,
江戸初期の地図とか,いっぱいおもしろいものがあるのですが,
書くときりがないので,今回はここまで。

図録も買いました。
家には,以前買った図録
「国宝 桜ヶ丘銅鐸・銅戈」も「南蛮美術コレクション」もあるんですけどね。

でも,今回の記念です。

ゆっくり図録も楽しみます。

また,行きます,神戸市立博物館。
コメント (7)
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地震・台風の被害とレスキュー(古文書等)

2019-11-18 12:31:50 | 古文書
NHK古文書解読実践コース2019年度第2回の
「あなたの声」には,
「救出された屏風の下張り文書(2009年台風9号)」(2019.10.21)
に書いた通りのことを書きました。

先日,そのNHK古文書解読実践コース第2回が返ってきました。

成績はいつの通り「A」(あの「A◎」は幻?)
先生の「講評」には,
もちろん私のリポートについても書いてくださっているのですが,

私の「あなたの声」を読んでくださって,
「台風,地震の度に史料レスキュー活動が活躍しますね。
 しかし今回は多摩川で川崎市の博物館の収蔵庫がやられました!
 被害はこれから明らかになると思いますが。」
と書かれています。

関西に住んでいる私は,関東のことを詳しくは知りませんでした。

すぐに,ネットで調べました。

川崎市市民ミュージアムのホームページには,
「お知らせ 
 台風19号の被害により,当面の間,
 休館させていただきます。」
とあります。

11月16日 朝日新聞デジタルには,
川崎市市民ミュージアムは,台風により,地下部分が水没。
収蔵品を保管する収蔵庫すべて水没。
そして,カビの繁殖を防ぐため,
紙の収蔵品は冷凍コンテナで一時保管する方針であることなどが書かれていました。


改めて,台風19号の被害の大きさにビックリしました。

古文書等のレスキューについては,
今まで何度か書いていますが,
2018年の「今日は震災23年です。」の記事に下のようにまとめています。

2016-01-22「秀吉の手紙 その1」
 一部,古文書や文化財のレスキューについて書いています。
 先日,NHKニュース関西版だったと思いますが,
 神戸大学の奥村さんを中心とするレスキューの報道がありました。
 【阪神・淡路の経験から】地域に残る歴史資料を守る
  http://www.nhk.or.jp/sonae/douga/hinanseikatsu_0003.html

2016-03-11「秀吉の手紙 その2  特別展「秀吉からのたより」」
 同じく,一部,古文書等のレスキューについて書いています。 
  この時の古文書の修復については,
  「大津波被災文化財保存修復技術連携プロジェクト」
  「歴史資料ネットワーク」で調べていただければ,分かると思います。


奥村さんのNHKの話は,すでに古くなっているので,検索しても出てきませんね。
すみません。

地震・台風の被害とレスキューについては,
2015年1月の
「特別企画展 阪神淡路大震災20年
 災害と歴史遺産
  ー被災文化財等レスキュー活動の20年ー」
の研修会できいた
陸前高田市立博物館学芸員の先生が忘れられません。

もうすぐ,阪神淡路大震災25年です。




 
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検地帳について(天正八年帳) (途中経過です。)

2019-11-14 11:05:25 | 古文書
博物館で特別展をしたり,
それが新聞やテレビのニュースで取り上げられたりすると,
「もしかしたら,家にあるこの文書・・・」
と貴重な古文書が見つかったりするものです。

今回ここに書く天正八年の検地帳の写しもその一つです。

2017年の特別展「ひょうごと秀吉」を見に来られた方が
所蔵する文書のコピーを博物館に持ってこられたのが始まりのようです。

以下,
兵庫県立歴史博物館紀要 『塵界』 第30号2019年

前田徹氏「天正八年十月二十四日付け 播磨国飾東郡緋田村検地帳写」
をもとに,
私なりにまとめたものを書いています。

いつもそうですが,
私の読み間違い,解釈の間違いもあるかもしれません。
興味を持たれた方は,
兵庫県立歴史博物館紀要 『塵界』 第30号2019年
を読んでください。
姫路市立図書館で借りることができます。



A:天正八年帳(緋田村)写し・・・書風から16世紀後半まで
  1580年 信長の家臣羽柴秀吉実施
1.①地名(小字名) ②面積 ③耕地等級等 ④分米 ⑤名請人
 の順に書かれています。
2.貼紙の断片やそれを剥がした糊の跡
 →実用に用いられ,記載の内容の変更など訂正を加えるなどして
  使用された痕跡                  (カ)
3.丸く小さな印か何らかの文字が彫られた楕円印(印文 「守□(しかく)」)を
 割印として用いる。
 写しを作成する際かあるいは何か別の帳簿と照合した際の検印や目印
4.単位・「畝」(織田検地帳から全国へ)とともに,中世的な「大」「小」「半」
 1反=360歩と思われる。
5.名請人・「御着 石原方」
       「石原」は「方」がついているので,名字であることが明らか。
            「方」:侍身分に対する中世的な敬称
(6~8は11月19日追記)
6.集計・本体の一筆ごとの数値を集計→計算が合わない
     単純な計算ミス?
     たとえば,村からの指出を踏まえたものなど,
     本帳の本文記載とは別の材料を基に記載されている可能性
7.名請人の所属村
 緋田村の住民は筆数,分米高ともにおよそ半分弱
 残りは,的形・三(見)野・福留(泊)・東山といった近隣村落の住人が名請
8.畠の年貢額集計に銭が用いられている。
 本文では,石高


B:慶長七年帳(明田村(旧・緋田村))写し
  1602年 池田輝政が実施
1.文禄検地帳(秀吉直轄下)以降
①耕地等級・地目(地目は略するものもある) ②地名 ③面積
 ④分米 ⑤名請人 の順に書かれています。
3.合点類は,慶長七年帳にもみられる。
4.1反=300歩
5.名請人は名字を記さず名前のみ(太閤検地以降)


箇条書きにしました。

実は,まだ,半分くらいしかまとめていませんが,
難しい論文を読むのに疲れたので,
ここで終わります。


「天正八年帳」は今,
兵庫県立歴史博物館 特別展「お城ができる前の姫路」で展示されています。
(11月24日まで)

写真撮影不可ですし,
論文には天正八年帳すべてが載っていますが,それをここに載せるわけにはいかないでしょう。

というわけで,
近いうちに歴博に行くので,
看板に載っている天正八年帳をいずれここに貼り付けます。

太閤検地以降の検地帳については,
NHK学園で古文書を学んでおられる方は,
『基礎コース テキスト』の
②「検地水帳」を参考にしてください。


追記(11月16日)
兵庫県立歴史博物館 特別展「お城ができる前の姫路」
のチラシから


天正八年帳については,論文をもう少し読み進め,
「おもしろ~い!」と感動したことがあったので,
後日追記します。
今日は時間がないので,すみません。

(以下,11月19日追記)
兵庫県立歴史博物館特別展「お城ができる前の姫路」によると,
村高の増加
天正八年 419石 → 慶長七年 805石
  倍増に近い増加
先行する太閤検地に比べて二割の打出し
近世初頭,検地は何度かくりかえされており,
その都度村高は増加(打出し)させられる。
→検地で課税可能額の把握を強化


追記,追記で私自身はわかっても,
読む人にはわかりづらくて,すみません。

天正八年帳には,
「畠の年貢額集計に銭が用いられている。」
という点から,
貫高制・石高制とか,経済の変化,
なぜ,銭から米になったのか・・・とか
気になるのですが,
テーマが大きすぎて,すぐに理解できそうもありません。

とりあえず,ここでこのタイトルを終わろうかと思います。
自分なりに勉強になりました。



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黒岡神社(兵庫県揖保郡太子町)のいのししの絵馬

2019-11-10 16:34:30 | 日記 地域
明日は,「こころの祭 姫路」
ふらっと近くのお寺に行こうかと思っていたのですが,
用事が入り,行けそうにありません。
その代わりというわけではないのですが,
昨日は龍野公園を散歩。
ちょっともみじの葉が色づいていたところもありました。
そして,今日は家から車で約15分。
揖保郡太子町の黒岡神社に行ってきました。
(他の用事のついでに,ちょっとお参りしてすぐ帰ってきましたが)

でも,面白いものを発見。
いのししの絵馬
きっと,1月からあったのでしょう。



「あれ~ 絵馬に何か文字が隠れているような・・・。」
とのことで,
どうやら,黒岡神社の七か村の名前が隠れているようです。

ん・・・。
田中,沼田,東出ヶ丘,下出の4つは見つけました。
まだ,北村,町与,川島の3つが隠れているようですが,
わかりません。

だいたい,私,こういうのは苦手なんですよね。(でも,おもしろい)

以前,太子町立歴史資料館でいただいた「太田の文化財めぐり」によると,
黒岡神社の場所は西国街道(山陽道)の少し北
「奈良時代,家島まで攻め込んできた
 新羅の軍船を撃退したという伝説の将軍・藤原貞国と八幡神,
 平安時代,九州へ向かう途中でここに参詣した菅原道真をお祀りしています。」
とのこと。
ただし,
境内にある,藤原貞国の墓とされる貞国塚は,
実際は,貞国よりも200年ぐらい古い古墳だそうです。

ところで・・・
今年春の兵庫県立歴史博物館の特別展「五大浮世絵師展」には,
北斎の「文字絵六歌仙」がありました。
一見すると,単なる歌仙の絵のように見えるけど,
着物の輪郭線がその歌仙の名前を表す文字となっていました。

黒岡神社の絵馬は,これと同じですね。


さて,今年もあと2ヶ月を切りました。
黒岡神社,次はねずみの絵馬が出てくるのでしょうか。

 

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