ATSUー歴女(おばさん?)のひとりごとー

見たこと・聞いたこと・ちょっと調べたこと,気ままに「My 日記」として書いています。

稲岡神社 姫路市青山

2015-11-29 16:59:46 | 日記
今日は,娘とドライブ
娘は,なぜか神社が好き(単に母である私の影響)

と言うことで,姫路市青山 稲岡神社

江戸時代,旅と言えば,何と言っても伊勢神宮参拝
そう言えば,この前の古文書の課題は,
伊勢神宮参拝帰りの人が,病気になり,青山で亡くなり,
備前の親が引き取りに来たことについて書いたものだった。

この稲岡神社には「お陰参り図絵馬」がある。
正確には,現在は歴博にあり,神社には,複製品がある。

文政13年の全国的に流行したお陰参りに青山の人たちも伊勢神宮に参拝し,
無事帰ってきて,絵馬を奉納したことを以前の歴博の講座で聞いたことがある。
(2014年2月15日 松井良祐(県立考古博物館学芸員)「お伊勢参りあれこれ」)

ここ,稲岡神社は旧山陽道から近く,村の中心だったかもしれない。

帰りに,太子町の黒岡神社に寄る。

明治・大正の頃の伊勢神宮参拝の絵馬は,稲岡神社にも黒岡神社にもたくさんあった。
黒岡神社も旧山陽道から近いだろう。


青山の古文書は成績優秀Aだったけど,
今している課題は難しい。

NHK学園通信教育で古文書の勉強を初めて,約2年。
今学習中のコースはもうすぐ終わる。
いまのところ,成績はオールA!
成績がすべてAなら,古文書の生涯学習インストラクター2級の受験資格を得ることができる。
この資格を取ったからってどうなるものでもないけど,将来,地元の公民館で古文書講座を開きたいと思ったら,この資格が生かせるのかしら?
ちなみに,1級をとるには,あと最低2年勉強し,成績Aをとり,論文を書き,審査に合格しないといけないらしい。

地域の神社には,絵馬だけでなく,古文書もいっぱいあるんだろうなあ。
いや,・・・大学や歴博に預けているかな?



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

司馬遼太郎と播磨

2015-11-23 16:38:04 | 日記
先日,歴博で,職員さんがお客さんから高田屋嘉兵衛についての小説のことを聞かれました。

司馬遼太郎の『菜の花の沖』

実は私はまだ読んでいません。

高校生・大学生の頃は司馬遼太郎にはまりました。

好きな本を羅列
『関ヶ原』『城塞』『世に潜む日日』『花神』『竜馬がゆく』『国盗り物語』『新史太閤記』などなど

去年は,『播磨灘物語』を読み直しました。大河ドラマにあわせて

司馬遼太郎の祖父の代までは,播磨に住んでいたらしい。

「祖父惣八は播州人である。
 兵庫県姫路市の浜寄りの郊外広という村の出身で,
 そこに江戸時代のあいだずっと百姓をしていた家系に生まれた。
 戦国のころは播州三木城にその先祖が籠城したということであるが,
 身分はわからない。
        司馬遼太郎  「歴史と小説」より」

広畑神社にある司馬遼太郎の石碑の文章です。

英賀神社には,『播磨灘物語』の文学碑と英賀城の石塁蹟もあります。

小説は小説,歴史学とは違います。
でも,私は,小説から歴史に入りました。
大学で先輩に歴史小説や伝記のような女性史の話をすると,
「それは,歴史ではない。」と言われたことを今も覚えていますし,
大学で勉強する中で,そのことはわかってきました。

でも,小説は小説として,司馬遼太郎は好きです。
たとえボランティアでも,歴博に行っている者として,
『菜の花の沖』は読むべきですよね。
(歩いてすぐの図書館がただ今改装工事中。来年3月まで開かない・・・。)

姫路文学館も来年夏までリニューアル工事でお休みらしい。
姫路文学館の司馬遼太郎記念館が新しくなったら,また行こう。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「朝ドラの子みたいやなあ」

2015-11-21 13:59:02 | 歴博
昨日は歴博ボランティアの日でした。

あいかわらず,本来の仕事をろくにせず,
(本の整理とか・・・)
先輩ボランティアさんとお話。
昨日の午前中は,めずらしく解説希望の団体さんがなかったので,先輩ボランティアTさんと歴史話

Tさん「あんた,朝ドラの子(「あさが来た」のあさちゃんのことらしい)みたいやなあ。」
私が,「なんでどす?」じゃないけど,すぐにTさんにいろんな事を聞くかららしい。
Tさんは,教えてくれることももちろんあるが,
「自分で調べてみ。」とか「それは知らんかった。」と言ってくれる。


で,新しく,わかったこと

まず,以前書いた
「熊野勧進十界曼荼羅には地獄はあっても極楽はありません。」の
念仏さえ唱えれば,極楽に行けるなんて,
「そんなに頑張らなくても,みんな極楽浄土に行けるんじゃないですか?」の件

Tさん曰く,
「あんた,阿弥陀仏1つだけをひたすら信じて,毎日毎日念仏唱えていられるか?」
そりゃそうです。


先日,一乗寺に行った話から・・・
三重塔古い順
①法起寺  ②薬師寺東塔  ③④当麻寺東塔西塔  ⑤一乗寺
ちなみに薬師寺の東塔は,一見,六重塔に見える。
それは,裳階(もこし)があるから。
ちなみに,漢字は?と聞くと,「自分で調べてみ」とのこと。
なんと,高校の教科書に載っていました。(山川・詳細日本史)

あと,国分寺の話
国分寺には,僧20人
国分尼寺には,僧10人いたらしい。
一番大きな国分寺は,武蔵国らしい。
またまた,山川の教科書を見ると,
「大事業であるため,諸国ではなかなか完成せず,のちに地方豪族の協力を求めている。」と欄外に書いてありました。


そうこう話ばかりしていた時,案内をしていた職員の方が私たちの所に来て,
「高田屋嘉兵衛のことを書いた小説ってなんでした?」
え,え・・・っと,
司馬遼太郎の『菜の花の沖』です。
お客さんに聞かれたらしい。
高田屋嘉兵衛は兵庫県・淡路島の人。
北前船でも有名ですが,高校の教科書的に言うと,
「ゴローウニン事件」で有名。
今読んでいる本(村井早苗『キリシタン禁制と民衆の宗教』:寺請制度が知りたくて・・・)が読み終わったら,
図書館で借りて読んでみます。

やっぱり私は「朝ドラの子?」


PS.昨日の歴博ボランティアの時,
 私のことを「朝ドラの子」と言ってくれたボランティアの大先輩Tさんが極楽浄土に行かれたことを聞きました。
 「体調悪いから1ヶ月ほど休みます。」と言って,お休みされていたTさんは,そのまま歴博に戻ってこられませんでした。
 知識だけでなく,たくさんのことをTさんから教わりました。
 ショックです。
 たった1年しか,ご一緒できませんでしたが,本当にお世話になりました。
 今,私がTさんにできる恩返しは,しっかり勉強することですよね。
 次の特別展までに,「妖怪」の勉強をします。  
 ありがとうございました。  (2016年7月9日追記)


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

法華山一乗寺と聞き込みローカル線気まぐれ下車の旅

2015-11-17 11:43:08 | 日記
昨日は代休の主人と久しぶりに二人で加西へ

歴博で一乗寺の三重の塔のことを聞いてから,久しぶりに行きたいと思っていたところ,
10月にBSジャパンの「聞き込みローカル線 気まぐれ下車の旅」
で北条鉄道を取り上げていて,
主人も行きたくなり,意見一致!
車の苦手な私はラッキー!
二人でぶらっと出かけることに。

まず,一乗寺
季節が良かったね。
紅葉がすごくきれい。紅葉と三重塔それに本堂が少し見えるところが最高でしたね。
空気もちょっとひんやりして気持ちいいし。

三重塔は,兵庫県で国宝に指定されている建造物の1つです。
兵庫県で国宝指定の建造物は11あり,そのうち,10が播磨です。
姫路城関係が,5つもあり,そのほかは,この一乗寺の三重塔,
鶴林寺に2点,浄土寺,朝光寺です。
(歴博で勉強中)
ちなみに,国宝建造物の都道府県別の数は
第1位 奈良県  第2位 京都府  第3位滋賀県
そして,第4位が兵庫県です。
(これも歴博勉強中)


ぐるっとみてまわり,横道に逸れる。
これが楽しみ

すると,7,80センチぐらいの高さかな?十一面観音の石仏のようなものが,いっぱい池の周囲にある。
2,3メートル間隔ぐらいで
お寺の名前が書いてある。
帰りに入山券売り場のおばちゃんに聞いた。
「100あるんです,観音様が。播磨などの寺の名前が書いてあって,100の寺をまわったのと,同じになるんです。」
なるほど
そういえば,太子町の斑鳩寺には,ぐるっと1回まわすと1回お経を唱えたのと同じになるって言うのがあったよね。

もう一つ,
その石仏のさらに奥,
鳥居が
赤い鳥居には,平成13年だったかな?(うろおぼえ,十何年かだった)が一番新しかったけど,
すでに朽ちて土台しか残っていないものもあった。
苔むした階段を上っていくと,たしかに神社が・・・
神仏習合・・・なんでしょうね。
それにしても,一乗寺の敷地内かな?と思われるような所なのに,この苔・こけ・苔

奥の院は,土砂崩れのため通行止めとのことで,行けなかったのが残念です。
「賽の河原」見たかったなあ。


さて,一乗寺を後にして,
北条鉄道・法華口駅
そして,テレビでもやっていた防空壕,滑走路をちらっと見てきました。

今度は,鶴林寺に行くぞ!!

(これぐらいにして,仕事に戻ろう。:在宅勤務)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

江戸時代庶民の旅~金比羅参りと室津~ 江戸時代の観光マップ・ガイドブック

2015-11-13 14:11:12 | 日記
いま,室津海駅館(旧・廻船問屋嶋屋)で,
特別展「江戸時代庶民の旅~金比羅参りと室津」が開催されています。

江戸時代,戦争がなくなったこと,街道が整備されたことなどから,庶民の間でも,お伊勢参りや善光寺,金比羅参りなどの旅が盛んになります。
手形がないと旅には出られませんが,お参り関係は簡単に手形を出してもらえたようです。

展示でおもしろかったのは,
ガイドブック,というか,旅の心得を描いた本。
それに,観光マップ。

西日本の地図では,大坂や京都はもちろん,観光名所が載っているものもありました。
この近辺では,書写山(ただし,変体仮名で書いていた。)
ほか,明石,高砂・・・この辺は港だったようですね。
もちろん室津。
(ほかにも,熊野とか高野山とかも書いていましたよ。)
要所要所の間「○里」と距離つき

宿に泊まると行っても,変な宿もあるかもしれません。
そこで,旅籠の組合(浪花講)ができ,「この組合の宿なら安心」ってとこでしょう。

もっとおもしろかったのが,1つの古文書
金比羅さんに行くには,船で四国に渡らないと行けません。
室津からも四国に渡る船が出ていました。
でも,
「最近は網干とかの業者が増えて,室津の業者は利用者が減って困っています。
お役人様,室津にもまわしてください。」
ってとこでしょうか,この古文書は


そういえば,この前の古文書の課題文
備中の女の人2人が,伊勢参りに行った帰り,そのうちの1人が病気にかかり,青山(現在の姫路市青山)で亡くなってしまった。
備中の親などに連絡が行き,引き取りに来た。
間違いなく病死です,と親は亡骸を連れて帰った。

それにしても,今日の室津での金比羅参りの絵を見ても,この古文書を見ても,何と軽装か・・・
今の旅行は,着替えだけでカバンがいっぱいになるのに,
江戸時代は,たったこれだけですか?と思うくらい荷物が少ない。
そりゃ,歩くわけだから,荷物が多かったら困るでしょうけど・・・。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする