ATSUー歴女(おばさん?)のひとりごとー

見たこと・聞いたこと・ちょっと調べたこと,気ままに「My 日記」として書いています。

関ノ口遺跡第2次調査の成果

2017-08-30 13:26:52 | 日記 地域 遺跡
昨日,地域の人向けに関ノ口遺跡第2次調査の成果発表・現地説明会がありました。
「地域の人向け」というのは,
今年2月に行われた関ノ口遺跡第一次調査現地説明会の時のように,
広く発表して,(新聞とかにも出て)する現地説明会とは異なり,
新しい大きな成果はないけど,
発掘調査で近隣の人には迷惑等もかけたこともあり,
成果を説明しようというものだそうです。

場所はJR網干駅のすぐ北,
最近私が使っている駐車場のすぐ南。
先週金曜日に歴博に行くためにこの駐車場に車を停めたとき,
発掘作業をしている人に
「暑いのに大変ですね。」と声をかけると
「来週の火曜日10時半から現地説明会をしますよ。」と教えてくれました。

しかし,ネットを見ても載っていません。
姫路市埋蔵文化財センターに電話すると,
「発掘の現地説明会にもメリハリをつけている。」とのことでした。

ちなみに,大々的に発表された前回の現地調査(今年2月)は,私はインフルエンザでした。


さて,遺跡の話

資料のプリントには,

はじめに
中播都市計画事業JR網干駅前土地区画整理事業にともない,
平成26年度から事業地内の試掘調査に着手し,
事業内での遺跡の範囲を確定しつつあります。
昨年度からはその遺跡内で発掘調査を開始しています。

おもな調査成果
・竪穴住居4棟
(弥生時代中期2棟,古墳時代初期1棟,古墳時代中期?1棟)
・柱穴を含む小穴約80基(弥生時代中期,中世)
・調査区南端での遺跡の端と思われる地形の落ち込みを確認
*昨年度(1次)の調査と比べると遺跡数・遺物量はともに少ないものの,
 集落の境界付近の様相を知る重要な手がかり


説明会の前にこのプリントをいただきました。(写真付き)
発掘現場の横には,1次調査で出てきた土器
縄文土器の破片,古墳時代の土器(完成品?)が置いてありました。
縄文土器は縄目のあるものもありましたが,ないものもありました。
東北地方とは違い,派手な縄文土器はないそうです,土偶も出ていません。
教科書通り,厚手の赤茶けた色でした。
古墳時代のものは,薄く,きれいでした。色も全然違って,灰色のような色でした。
こちらは専門の職人が作っているそうです。
英賀保(姫路市飾磨区)の方でいい粘土があったようで,
粘土を取った後の穴が残っているそうです。

ちなみに,今回出土した土器はまだ洗っていないとのことでしたが,
遺跡内に出土の状況がわかるようにと,うわっかさの土だけ取り,
掘り出していない土器を見せてくれました。
説明会が終わるとすぐに掘り出し,
洗って片付けるそうです。
空気に触れたままほおっておくと,
土器が乾燥し,傷んでしまうそうです。

説明で面白かったのは,竪穴住居跡です。
ここでは,ほぼ同じ場所で竪穴住居を2回立て替えていることが分かったそうです。
また,粘土の塊が発見されました。
住居内で土器をつくっていたのかもしれません。
このあと,X線をあてて,土器の粘土と比較し,調べるそうです。

調査には写真撮影は欠かせません。
発掘調査の写真はデジタルではなく,フィルムだそうです。
説明の方は
「デジタルはうっかり消してしまうことがあります。
 また,フィルムの写真だと,江戸時代終り頃の写真でもきれいに残っているでしょう。
 私が死んだ後でも,きちんとした資料が残れば,ほかの人が調査できます。」
とのこと。
当たり前ですが,プロです。


そのうちここも埋められてしまいます。
昨年9月に説明を聞いた鍛冶田遺跡も今はもう埋められています。



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神戸開港150年記念特別展「開国への潮流」:神戸市立博物館・・・プチャーチン&「将軍の港」

2017-08-26 10:46:42 | 日記 博物館・美術館...
8月18日,神戸市立博物館に行ったことはすでに書きましたが,
特別展のことは後回しでした。

神戸開港150年記念特別展「開国への潮流」

すべて書くと長くなるので,
私がびっくりしたというか,恥ずかしながら知らなかったため,
へ~と思った2点を中心に

1つ目がプチャーチン
開港というと誰もがまず,ペリーを思い浮かべると思います。
でも,ほぼ同時期,ロシア使節プチャーチンが日本に来ていました。
ペリーの浦賀は1853年6月,プチャーチンの長崎は7月(山川日本史による)

ちなみに,プチャーチンは長崎・箱館を経て,
1854年9月,大坂湾に現れます。
大坂の支配を司る大坂城代は直ちに近隣の諸大名や蔵屋敷に命じて守備にあたらせます。
大坂町奉行らはロシア側との交渉にあたります。
(ちなみに,今までオランダ語で交渉していたと思われていたようですが,
 神戸市立博物館に残る史料には,「露西亜船渡来一条書類」
 当初より漢文の筆談を中心に身振り手振りで交渉していたとあります。
 そして,都合が悪くなると,言葉が通じないふりをしていた・・とか。)
これを契機として,朝廷は対外的危機感を強め,
幕府も今まで重視してこなかった大坂湾の防備強化に取り組む必要に迫られたそうです。

安政の五か国条約,兵庫開港5年間の延期決定等を経て,

1864年,将軍徳川家茂の2回目の上洛。
1年前の上洛は物資等の輸送は蒸気船が使われ,将軍は陸路。
しかし,2回目の上洛は将軍自身も蒸気船で上洛へ。
将軍は5か月あまり畿内に滞在しますが,その間,上洛艦隊が駐留したのが兵庫。
1866年の第2次長州征討では,幕府の兵員,物資の蒸気船隊での輸送基地となります。
幕府にとって,大坂の外港にすぎなかった兵庫港が,
将軍の上洛の艦隊の駐留や将軍の戦争を支える幕府直轄港・幕府海軍の拠点,
すなわち「将軍の港」へと港湾としての性格を変えたことを意味するのです。

坂本龍馬・勝海舟で有名な神戸海軍操練所が神戸にあった理由がやっとわかりました。


長くなりました。
「兵庫」「神戸」については,諸説あるそうですが,
ブラタモリでも,やっていましたね。

最後に
ちょっと・・・恥ずかしいですが,

開港されて10ヶ月たったころ,すでに明治
五代友厚が小松帯刀に送った書状が展示されていました。
「え?五代さま(頭に浮かぶは,ディーンフジオカの顔:朝ドラ「あさが来た」)が
 小松帯刀(頭に浮かぶは,瑛太:大河ドラマ「篤姫」)に?」と思ってしまいました。
図録を買ったので,これからしっかり書状を読みます。



コメント (6)
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神戸市立博物館

2017-08-19 14:28:31 | 日記 博物館・美術館...
昨日,神戸市立博物館に行ってきました。
今,
神戸開港150年記念特別展「開国への潮流」と
南蛮古地図企画展「絵画と地図で読み解く日欧交流」をやっています。

このことについては,後日。


今日は神戸市立博物館について


はっきり何年かは覚えていませんが,
私が学生だった頃,
南蛮美術館などが合併して,今の神戸市立博物館ができました。
大正時代の銀行が前身です。

南蛮美術館は大好きでした。
個人が収集した南蛮美術品や古地図,まさに今回の企画展のような展示がころころ変わりながらありました。
ザビエル(教科書に出てくる)などが好きでした。

学生時代はよく行きましたが,
卒業して神戸に行くことがほとんどなくなりました。
仕事,結婚・子育て・・・

その間に阪神淡路大震災がありました。


前々から気になっていました。

神戸の街はどのくらいは被害を受けたのだろう。

数字は聞きます。
震災の映像や写真は見ます。
そごうや阪神高速の被害は何度もテレビで見ました。

神戸に親戚や友達もいたので,断片的には聞きます。

この博物館はどうだったんだろう?
入り口で受付の人に聞いてみました。
「大丈夫だったようですよ。」
若い人だったので,それ以上は聞きませんでした。

お昼の休憩で
博物館内の喫茶店に入りました。
店員さんは
「ひびは入ったようですが,大丈夫だったようですよ。」

そこに経営者のおばあさんが話をしに来てくれました。
「ひび・・・っていうほどのもんではなかったなあ。
 でも,ここ見て?
 (喫茶店入り口,展示室前廊下との境目)
 5センチの段差があるんや。」
(確かに今は斜めになっています。)
 そして
「ここは割れていてねえ,当時は若かったから,よいしょっとまたいではいったんや。」
(博物館自体は1年ほど休館したようです。)
(「大変だったでしょう?」と私が聞くと,)
「私ら,戦争知っているからなあ。そのこと思ったら大丈夫や。」
そして,
「震災の時は,ダイエーがはよーから店,開けてくれてなあ。
 すごい人やった。」
「私も別のところで店していたんやけど,
 600円の定食を500円で売った。
 よー売れたで。」
「風呂は山崎(現在の兵庫県宍粟市)の親戚のところまで行って入れてもろた。」
「姫路やったら物があったから,買った。」
「あんた,こっち見てみ。」(喫茶店の窓から外を見る。)
「あの建物はなあ,明治の建物や。
 最初の兵庫県知事(たぶん,伊藤博文のこと)が建てたんや。
 ええ建物は,地震でも壊れへん。 
 あの建物の方がぐっと古いのに,どないもない。」

この神戸市立博物館は来年2月5日からリニューアル工事のため1年半も閉まってしまいます。

「私はもう年やからなあ。もう喫茶店はせーへん。」
とのこと。

「また,来てな。」「あんた,また,来てな。」
何度もそう言ってくれました。

ありがとう,喫茶店のおばあちゃん。

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「あなたの声」古文書解読実践コース・リポートができるまで

2017-08-16 14:44:11 | 古文書
なんとか解読実践コース(2016年度C・D)第7回課題提出・・・できそう・・・。

いつものように「あなたの声」

「はじめての古文書」そして基礎・応用・応用Ⅱ
やっと今の「解読実践」と
古文書の勉強を再開して丸4年たちました。
(その前に学生時代にほんの少し,
 NHK学園のこの古文書,1階挫折)

かつては,字を追いかけるのがやっとでした。
もちろんそれでも,まちがいだらけでした。

今は
①まず,テキスト(解読実践コース)をざっと読みます。
②1つの課題を2回ぐらいに分けて,
 がんばってわかるところを答案用紙に書いていきます。
 (集中力がもたないので,2回に分ける。)
③最初から最後までテキストも見ながら読んで,
 答案用紙に書き加えたり,直したりします。
 この時は,テキスト以外に家にある20年ほど前に買った
 『古文書読解事典』や漢和辞典を参考にします。
 東大史料編纂所などがつくった
 「木簡・くずし字解読システム」(ネット上の)を使っていた時もありましたが,
 全くとんちんかんな字が出てくることも多いので,
 今は使っていません。
④③を日をあけて2~3回くりかえします。
 突然,ひらめいたりします。
⑤「あ~,これ以上ムリ,わからない。」と思ったら提出です。

でもなぜか,かえってきた答案を見て,いつも
「なぜこの字をまちがえた?」
と思ってしまいます。
コメント (9)
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最近読んだ本2冊ほか:網野善彦『無縁・公界・楽』&清水克行『大飢饉,室町社会を襲う!』など

2017-08-15 16:09:39 | 日記 本
「読書メーター」より

網野善彦『無縁・公界・楽』
この本が歴史学の新しいページのスタートのような気がします。
30年余り前,先輩が「これは歴史ではない。」と言った本(この本は増補版ですが)です。
しかし,いつのまにか,網野さんは歴史学においてすごい存在になっていました。
再読して,しみじみと思いました。

清水克行『大飢饉,室町社会を襲う!』
最近読んだ藤木久志氏の本といい,清水克行氏の本といい,
かつて私が抱いていた中世の民衆像を打ち砕いてくれたように思います。
中世の民衆は,荘園領主と守護大名を手玉に取って,要領よく,賢く生きていたというイメージがありました。
(30年以上前の学生時代のことですが。東大出版会の『一揆』のシリーズを読んだりしてね。)
飢饉,飢餓,疫病・・・。
女の子がいい・・・だって,売れるでしょ?有力者の愛人にできるもん。
男の子?間引きましょうか?
庶民にとって「お腹がいっぱいになる」いえ,「生きる」のが大変な時代なんですね。


さらに,
歴史とは何か・・・と思った本2冊
(ただし,それぞれ市沢氏・川合氏が書いている一部しか読んでいません。)


市沢哲編『太平記を読む』 2008年 吉川弘文館
市沢哲「太平記とその時代」

太平記は「史学に益なし」なのか。
『平家物語』は平家の滅亡と源頼朝の勝利をなすべくしてなった,必然的なものとして描いており,
中世史研究をリードした石母田正氏の領主制理論まで強い影響を与えた。
(川合康氏指摘)
歴史的結果を必然視する史観は『太平記』にも見いだせる。
だからといって明治時代の歴史学者久米邦武(くめくにたけ)が言ったように
「『太平記』は史学に益なし」か?
川合氏が文書史料だけでは十分に明らかにできない
中世の戦争の様相を『平家物語』を引用してヴィヴィットに描き出したように,
『太平記』も時代が移り変わるダイナミックな史料として
文書や記録史料にない歴史的価値を持っている。
『太平記』と文書・記録史料などを組み合わせ,
歴史的な結果からの遡及によって見失われた『太平記』の時代のダイナミズムについて考えたい。


というわけで,
川合康氏の本へ

川合康編『平家物語を読む』 2009年 吉川弘文館
川合康「平家物語とその時代」

安元(あんげん)3年(1177年)の政変
→『平家物語』の「鹿ケ谷事件」として理解されている内容を含んでいる。
これは,
清盛の権力を「おごり」に満ちた専制的権力として印象付けるために語られた「物語」
比叡山延暦寺の衆徒と後白河院の近臣勢力の激しい政治対立のなかで,
清盛が上洛して行った軍事介入。
つまり,
『平家物語』は「盛者必衰のことはり」から,
平家一門の滅亡を必然視して,
治承・寿永の内乱史を再構成している。


市沢氏・川合氏の本は,歴博当番の空いた時間にざっと読んだだけです。
両氏の本も
呉座さんが紹介してくれた網野氏・藤木氏・清水氏の本も
中世の歴史の見方にかかわる本だと思います。

難しいことはよくわかりませんが,
歴史も歴史学も変わるのです,ね。


PS.NHK「歴史のへーほー」おもしろかったですね。(8月16日放送)
歴史も歴史学も変わるんです。
30年前の教科書との比較。
(「士農工商」は今はないのですね。
 明治になってから,いかに江戸時代の身分制は厳しかったか
 ・・・というためにつくられたとか・・・。)
淀殿,日野富子・・・
(「英雄たちの選択」でも
 日野富子が昔とはずいぶん見方が変わったのだと思っていました。)

さ,『応仁の乱』読み直すぞ!
     (8月18日追記)
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