ATSUー歴女(おばさん?)のひとりごとー

見たこと・聞いたこと・ちょっと調べたこと,気ままに「My 日記」として書いています。

こうやって軍国少年がつくられるのですね。:日本玩具博物館「玩具のなかの戦時色」

2024-08-15 06:21:29 | 日記 地域

日本玩具博物館です。
もともとは,玩具が好きで,趣味で集めた館長さんが個人でつくった博物館です。
それが今は9万点もあるそうです。
今は姫路市ですが,かつては香寺町だったのんびりした風景の中にあります。
白壁土蔵が素敵でしょ。6つの建物からできています。
でもね,一部の蔵はエアコンがなくてとても暑いんですよ。

たまたま11日の朝,朝日新聞の「ひょうご」版に乗っていた記事を見て,行ってきました。
夏季テーマ展示「玩具のなかの戦時色~戦時下のこどもたち~」です。(写真撮影可)

こんな双六やカード,カルタで遊んでいたら,軍国少年になりますよね。
怖ろしかったです。
本当に怖ろしかったです。
時間の都合で,今日はここまで
この展示は9月29日までです。
なお,ほかにもホッとする常設展,企画もあります。
8月15日に記す

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ふぅ~・・・地元図書館と隣町の歴史資料館がいいですね。

2024-08-06 10:58:05 | 日記 地域
最近の記事から
NHK NEWS WEB 2024年8月1日 18時20分  
   “126年間で最も暑い7月” 全国の平均気温 過去最高に
NHK 兵庫 NEWS WEB 08月02日 16時28分  
  兵庫県内の新型コロナ感染者数 去年のピーク超える
朝日新聞デジタル 2024年8月6日 5時00分  
  お米品薄、なぜ? 千円値上げ「これじゃ買えない」

米は2日に2軒目のドラッグストアでなんとか買いました。うちの近所はいつも通りの値段でした。
今日は先日なかったスーパーでも米を売っていました。普通の値段です。
でも,米の棚は空いている時もありますし,少し前から,10キロ入りの米は置いていません。
「いつぞやみたいに,タイ米が混じるかも・・。」と言っていた人もいましたが,どうでしょうか。
まさか「米騒動」ということはないでしょう。 (*'▽')
そういえば,今,地元図書館で借りて読んでいる本は,
仲間が紹介してくれた,玉岡かおる氏の『お家さん』です。
主人公の鈴木よねは,姫路出身,神戸の鈴木商店の鈴木岩治郎に嫁ぎます。
夫の死後,よねは「お家さん」とよばれるようになり,大番頭の金子直吉らの力量で,鈴木商店を巨大商社に成長させます。
今,下巻を読み始めたばかりですが,もうすぐ「米騒動」で大打撃を受けるはずです。
その後,三井・三菱と肩を並べる大商社となりますが,・・・
高校日本史の教科書には(山川出版社)こう記述されています。
「1927(昭和2)年・・・(金融恐慌)。時の若槻礼次郎内閣は,経営破綻した鈴木商店に対する巨額の不良債権をかかえた台湾銀行を緊急勅令によって救済しようとしたが,枢密院の了承が得られず,総辞職した。」
以前,ドラマにもなったそうですね。天海祐希が鈴木よね,小栗旬が金子直吉だったようです。
ゆっくり楽しんで読みます。

隣町の歴史資料館・・・太子町立歴史資料館では,今,企画展「近世の村と大庄屋の庭園」をやっています。
初日の7月20日,7月の歴史講座の後チラッとのぞいてきました。
8月の歴史講座は「横山家文書から見る近世の村」というテーマです。
今回の企画展とタイアップした講座なので,その後にまた書きます。

暑いし,また,コロナコロナといい始めたし,こんな時は,やっぱり地元の図書館と車で15分の太子町立歴史資料館がいいですね。まあ,ほとんど家にいますが・・・。

あ~ほんと暑い,暑い,あつい!!
エアコンがないと過ごせません。もし,こんな時,大地震がきて停電になったらどうしよう・・・。
そんなことを考えながら,再び,安政元(嘉永7)年の地震について考えています。
なんとかやっと,地元で形にできそうです。

今日は本当は宍粟市のたたら製鉄の学習館と遺跡を見に行く予定でした。
でも,諸事情で,行けなくなりました。
それで,かわりにブツブツと書きました。 (;^_^A

PS.ちなみに,8月6日の姫路の最高気温は37.1℃,最低気温は27.2℃でした。
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行きたいないなぁ~有馬温泉;「テルマエ展」ほか

2024-07-11 10:11:48 | 日記 地域
4月に行ったこんぴらさん以来,私の「江戸時代の旅ブーム」は続いています。
まずは,6月6日に行った        
兵庫県立兵庫津ミュージアム「企画展 温泉♨と西国三十三所j巡礼 ーひょうごを巡る旅ー」
写真撮影不可だし,思ったほど史料の展示はありませんでしたが,「往来手形」は「お~!」と感激。少し前,地域のコラム(?,と言っても,歴史講座の先生や生徒が順番に書いているものですが)で往来手形を取り上げたので (^^♪

その後,神戸市立博物館の「テルマエ展」で有馬温泉も取り上げられると知り,「ブラタモリ」を見て(ずっと以前,録画していました。)またまた感激!!「直線を見たら,秀吉と思え!」なんてね。

そして,昨日,行ってきました,神戸市立博物館!!

(写真撮影一部不可)
展示のメインはもちろん古代ローマ・テルマエですが,今回は有馬温泉部分のみ書きます。
       「諸国温泉功能録」(江戸時代後期)有馬温泉は大関です。
        ちなみにもう一つの大関は草津です。

浮世絵ももちろん楽しいですが,かわいかったのは式亭三馬『浮世風呂』 

そして,私にとっての目玉は「有馬茶会記」(秀吉なので,江戸時代のちょっと前ですが)

天正18(1590)年,小田原攻めで北条氏を滅ぼした秀吉は,有馬で茶会を開いています。
「天正十八年十月四日 於有馬茶湯
 次第 阿弥陀堂て御茶湯 座敷
 二畳敷
 (中略)
 客来   一番 利休 小早川 有馬法印   (以下略)」
「ブラタモリ」によると,秀吉が建立を命じた蒸し風呂も有馬に残っているそうですね。
(ただし,秀吉は死去したので入浴はしていない。)
秀吉前と秀吉後では,温泉街も道路もずいぶんと違うそうですね。
もちろん,有馬でも「直線を見たら秀吉と思え」だそうですね。
私が有馬に行ったのは,もう40年ほども前になります。
その時は,まだ学生でお金もないから,温泉街を歩いただけで,温泉には入りませんでした。

「行きたいないなぁ~有馬温泉」  (*^^)~
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あと7か月あまりで阪神・淡路大震災30年です。;新長田の鉄人28号

2024-06-07 08:56:40 | 日記 地域
少し前,こんぴらさんに行った後,
兵庫県立兵庫津ミュージアム「企画展 温泉♨と西国三十三所j巡礼 ーひょうごを巡る旅ー」のチラシを見たので,
よしっ!いくぞ~!!と計画。
「ん・・山電板宿で神戸市営地下鉄に乗り換えて,新長田で地下鉄の海岸線に乗り換えて・・・
 あっ!新長田!鉄人28号!!ついでに寄っていこう!」
もともとは,ついで・・・のつもりでした。

そして昨日,
新長田駅の駅員さんに場所を聞いて,ほぼJRの線路沿い歩いていくと,ドカーンと出てきたのは鉄人28号の背中でした。
デカッ!(大きい)
これが第一印象です。
前に回って,写真をパチリ!

中国語らしき言葉を話す観光客が鉄人28号の真似をして片手を振り上げ写真を撮っていました。
ついでにふらっと商店街を散策。
確か・・・鉄人28号って震災復興のシンボルと言われていたはず・・・
長田は震災の時,火災で大変だったと聞いたけど・・・

この後行った兵庫津ミュージアムのレストランで,シェフに尋ねてみました。
「話したくなかったら,話さないでくださいね。」
と前置きをしてから長田のことを尋ねると,
シェフは,当時,垂水(神戸市垂水区)に住んでいたけど,そこはそれほど被害はなかったこと,
仕事の関係で翌日長田に入ったけど,家屋がすごく倒壊していたこと,
火災は,鉄人28号よりも少し東,それに鷹取付近ですごかったこと,
筋がひとつ違うだけで,被害の大きさがずいぶん違っていたこと,
などを話してくれました。

家に帰ってから調べました。
「JR新長田駅前の若松公園に立つ鉄人28号の実物大モニュメント。神戸出身の漫画家横山光輝の往年の名作だ。困難に立ち向かう不屈の姿が、阪神・淡路大震災から立ち上がる被災者の姿と重なる。」(神戸新聞 「新長田になぜ鉄人28号? 不屈の姿がシンボルに」 2018/12/19)

「(神戸市)各地区の火災の状況(中略)長田区全焼4,759件半焼13件(中略)合計全焼6,965件半焼80件
 (神戸市)各地区の建物倒壊の状況(中略) 長田区全壊15,521件半壊8,282件 (中略)合計全壊67,421件半壊55,145件」
(神戸市ホームページ 「阪神・淡路大震災被害の状況(物的被害)」最終更新日:2023年10月13日)

「神戸市長田区の「カトリックたかとり教会」は、キリスト像を残して火災で全焼しましたが、その後、敷地がボランティア活動の拠点となりました。教会の礼拝堂では午前5時半から追悼式が行われ、信徒や仏教の僧侶、地元の人たちなどおよそ40人が、宗教や宗派、国籍を超えて参加しました。聖書の一節を日本人の信徒が日本語で、ベトナム人の信徒がベトナム語で、それぞれ読み上げました。そして、午前5時46分になると全員で黙とうしました。続いて、僧侶がお経を読み上げる中、焼香が行われ、犠牲になった人たちに祈りをささげました。」(「17日午前5時46分 神戸 長田区の教会 宗教や宗派 国籍超え祈り」(NHK NEWS WEB【1日の動き】阪神・淡路大震災から27年 次の世代へ記憶伝える」2022年1月17日 18時21分)



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室町時代の香美町のオーロラ

2024-05-16 07:27:29 | 日記 地域
最近,オーロラが話題になっていますね。
オーロラについての解説はおいといて,まず,5月15日の朝日新聞地方版「ひょうご」には,
「香美町でも11日夜,オーロラと見られる現象が撮影された。」とあります。
また,国立極地研究所の片岡准教授の「今回,本州で観測されたオーロラの中では最も西側とみられる」との話が載っています。
そして,カラーでその写真も掲載されていました。
でも,私がもっと興味を持ったのは,14日のカンテレ「報道ランナー」でのニュース!
(「newsランナー」に名称がかわっていました。失礼しました。)
香美町で室町時代のオーロラについて書かれた古文書が発見されていたそうです。
同じく片岡准教授によると,応安3(1370)年に香住沖にオーロラが出現した可能性が高いとのこと。
この古文書は来年3月に地元の公民館で公開されるそうです。

今日はとりあえず,ここまで
オーロラについては,また追記していきます。

香美町は兵庫県とはいえ遠い~!
私としては,ぜひ,兵庫県立歴史博物館で展示してほしいです。
できれば,香川先生の解説をつけてください。
先生,これって,室町時代の「怪異」ですよね。

PS.もう少し詳しい記事を見つけました。(5月17日)
読売新聞オンライン 5月16日
「香美でオーロラ 650年前も?」
「史料は,「但馬美含郡卯月嶋山長福寺縁起」と呼ばれる古文書(ただし,江戸時代に書き写したもの)で,香住区一日市にある八坂神社と近くの長福寺の創建にまつわる伝承が記されている。夜に空が輝くという現象が1370年(応安3年)秋に続いたとの記述も含まれていた。」
「同様の記述は,八坂神社と長福寺の由来を記した別の史料「天王御 影向(ようごう) 縁起」(戦前に刊行された『兵庫県神社誌』に収録されていた。)にも記されている。」
「京都でオーロラが同じ年に目撃されていることなども踏まえ,香住でも目撃されていた可能性が高いとする論文を今年3月に(片岡准教授が)発表した。」
・・・つまり,同時代史料というわけではないのですね。
もうしばらく調査(!?!)

PS.本を読んで調べよう!(5月18日)
図書館の本を予約しました。
①片岡龍峰『日本に現れたオーロラの謎 時空を超えて読み解く「赤気」の記録』2020年 (*赤気;せっき)
②岩橋清美 片岡龍峰『古典籍・古文書にみる記録 オーロラの日本史』2019年

もう姫路の図書館から地元の分館に本が届き,昨日借りてきました。(5月20日追記)
①は宇宙空間物理学の先生,片岡龍峰氏(国立極地研究所),②は片岡龍峰氏と歴史学の先生岩橋清美氏(国文学研究資料館)のコラボ!

PS.6月9日の日曜日には,水門が閉じられているのに気がつきました。
田んぼには徐々に水が入ってきています。
近隣は,15,16日に田植えだそうです。
今年はまだ梅雨入りしていません。でも,少しずつムシムシしてきているように思います。
さて,オーロラ
上に,「これって,室町時代の「怪異」ですよね。」と書きました。
しかし,・・・以下,岩橋清美 片岡龍峰『古典籍・古文書にみる記録 オーロラの日本史』から
①『日本書紀』には,推古天皇28(620)年「赤気」の記述あり。オーロラの可能性がある。
②天武天皇即位を契機に天文現象に関する記述がふえる。天文観測に力を入れたと考えられる。
律令制下では天文暦学を司る陰陽寮がおかれている。
③藤原定家の『明月記』によると,建仁4(1204)年オーロラと思われる「赤気」にけっこう詳しい記述があり,「恐るべし 恐るべし」と書かれている。
④『吾妻鏡』によると,仁治2(1241)年,「赤気」か「彗星」か陰陽師や天文道の者を召して議論,結論出ず。
そうなのです。もはや中世から単純に「怪異」という状況ではないことがわかりました。
残念ながら,室町時代のオーロラについては,この本に記述はありませんでした。
江戸時代になると,庶民レベルで記録が残っています。
⑤『星解』に載っている明和7(1770)年のオーロラの絵は,すごいです!!!(ネットで調べたらすぐに出てくると思います。)
⑥『金木屋日記』には,安政6(1859)年におけるオーロラの記述があり,(この時は,世界各地で観測されている。)火事という噂や地震と関連付けた人の話も載っている。 
おおざっぱですが,『古典籍・古文書にみる記録 オーロラの日本史』から興味があった部分だけ,取り上げました。 (6月11日追記)
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