ATSUー歴女(おばさん?)のひとりごとー

見たこと・聞いたこと・ちょっと調べたこと,気ままに「My 日記」として書いています。

鰐口 調査?途中経過1

2015-06-28 17:13:07 | 日記
鰐口(わにぐち)とは仏堂の正面軒先に吊り下げられた仏具の一種である。・・・Wikiより

以前,斑鳩寺で,鰐口のことを尋ねた。
浄土真宗の寺院にはない,と言っていた。
ネットで調べると,真言宗の寺院に多い,と載っていたものがあった。
(真偽のほどはわからない。)

子どもとドライブがてら,調査?

鰐口があった寺院
・・・斑鳩寺;元々は聖徳太子の時代から,と言われる。戦国時代に焼けて,再建後は天台宗。
   下太田廃寺;白鳳期の創建が想定されているが,現在は薬師堂のみ。
   破磐神社の三光堂;「神仏混淆の世,神前に配置されていた仏体が
             明治時代の神仏分離令によって取り除かれ,
             この御堂に安置された」と説明の看板があった。
   津の宮山徳寿院;真言宗高野山派 

鰐口がなかった寺院
・・・浄土真宗本願寺派の寺院 圓勝寺は確認済み 
               本願寺派後回し(鰐口はないと聞いているため)
               まだわからない。
   浄土宗西山禅林寺派 大覚寺 
             善慶寺(キリシタン灯籠のことで以前書いたけど,
                 すっごくきれいなお寺でびっくりした。
                 灯籠はわからなかったけど,感動した。
                 以前は失礼しました。)
   真言宗はあると思ったのに・・・林松寺(東寺真言宗)は鰐口がなかった。


結局,まだよくわからない。

PS.鰐口があった寺院追加・・・魚吹津構のお堂(?)

よくわからないが,鰐口について考えられること
①浄土宗・浄土真宗にはない。
②古いお寺にはある(?) 斑鳩寺とか下太田廃寺とか
③案外江戸以降の小さなお堂にはある(?) 破磐神社の三光堂とか魚吹津構のお堂

禅宗寺院はまだ調べていない。
あれ,網干には法華宗(日蓮宗)寺院がない? 法華宗寺院も調べていない。

真言宗はあったりなかったり・・・時代によって違うのかしら?

6月29日追加
   
   
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『戦いの日本史 武士の時代をよみなおす』

2015-06-22 06:59:46 | JMOOC
JMOOCで本郷先生の講座が9月に還ってくる。

単純な私は,本郷和人先生の本を読みたくなり,図書館で『戦いの日本史 武士の時代をよみなおす』で借りてきて一気に読んだ。

以下,感想

霜月騒動は,御家人対御内人ではなく,統治派と権益派。
信長に天皇は必要ではなく,秀吉には必要だった。なぜなら,小牧・長久手で家康を滅ぼせなかったから,というか,全面戦争を回避したから。
「天下」とは何か,信長の天下と他の戦国大名の天下の意味は違う。
・・・本郷節,炸裂!!読みやすく,わかりやすかった。JMOOCでの話とかぶる部分もあり,私にとっては本郷説の再確認となった。 (読書メーター)

本郷先生の本は,ほかに『天皇はなぜ生き残ったか』『武士とはなにか 中世の王権を読み解く』を購入。
読むぞ!!と思っていたけど,歴博の大先輩のお話しから,先に半藤一利『昭和史』を読もうかな?・・と。でも,とっても長編だし,近現代は得意じゃないから読めるかしら?

やっぱり,日本中世史はおもしろい
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現地で話を聞くということ

2015-06-20 16:23:40 | 歴博
私が尊敬する大先輩Mさん
Mさんのお話しから,歴博ボランティアをしようと思うようになった。10年かかってもMさんのようにはなれないが,Mさんから知識や考え方を吸収したい。

そのMさんは,全国を調査してまわる。
現地で現地の人から話を聞いて,調べる。(もちろん本も読むが)

たとえば,
織田信長は,伊勢長島一向一揆では徹底的に一揆勢を滅ぼした。
しかし,徳川家康は,三河一向一揆では信長のように徹底的に滅ぼしたわけではない。
再興されたその寺に行って話を聞いてきたらしい。「そのかわり,がっつりとられましたよ。」・・金を・・である。何度も要求してきたという。

今,北前船の総仕上げをしているらしい。
9月から始まる新潟兵庫連携企画展「北前船」でのMさんの解説を楽しみにしています。

PS.このブログを読んでくださった方へ
 私の日々の歴史に関する感想などの本当におもしろくもないし,写真もなくてわかりにくいブログを見てくださって,ありがとうございます。おまけにローカルすぎる話が多くてすみません。でも,きっとこの調子で気が向いたら書くと思います。私の「歴史ノート」です。
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幼稚園児の歴史教育

2015-06-19 14:49:25 | 歴博
歴博ボランティア4回目

今日は,幼稚園5歳児70人の団体が来た。

私は,本の部屋の留守番役。まだ,解説の資格は取っていないので(ボランティアでも解説となると歴博独自の資格が必要)

解説が終わって本の部屋に戻ってきた大先輩方,今日はさすがに「つかれた」と・・・

職員の方は,むかしのあそびのコーナーで遊んでもらったと言っていた。
そうか,その手があったのか・・

大先輩Mさんは,園長先生に「この子たちは自分の家の住所を知っていますか?」と尋ねたらしい。園長先生は「半分ぐらいの子どもしか知らないと思います。」との返事だったそうで,困っていた。「何を説明したらいいか?」


7月4日からは「姫路 今むかし partⅡ」が始まる。

それこそ,小さい子が,おじいちゃんおばあちゃんと来るかもしれない。

大先輩Mさん「昭和の姫路を説明するには,昭和の日本を勉強しておかないと・・・」

半藤一利「昭和史」を紹介してくれた。私は解説はできないけど,本の部屋に小学生たちが宿題の自由研究をするために来るかもしれない。
頑張って読みます。


PS.大先輩Mさんからいろんなことを聴けた。勉強になった。今は時間がないので,後日。
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姫路城

2015-06-13 09:59:35 | 日記
雨上がりの金曜日午前,まだ雨が落ちてきそうなどんより雲

「こんな日だったら大丈夫,待たなくていいよね。7月になったら暑いし,忙しくなるし」って思い,姫路城へ

が,そんな日は中学生や高校生の団体さんが・・・

そうでなくても,結構な人で,私がお城を降りる頃には,登る方は規制がかかったようです。


さて,ガイドブックに載っていることを書いても仕方がないので,ボランティアガイドさん(シルバーさんは2000円いるが,外国人へのボランティアさんは無料。その外国人向けの人)と日本語で少し話をした。

ボランティアさん「釘を使っていません。木を組んだ構造です。その方がかえって地震にも強いのです。」
といった話から始まったけど,話がはずんで・・ボランティアさんの話

「明治になり,版籍奉還・廃藩置県・廃城令と続きます。
 でも,姫路城は残ることになりました。
 その後,陸軍が来ます。
 戦時中,姫路も空襲にあいます。(陸軍もあるわけですし)
 でも,姫路城の天守は残りました。
 レーダーは今のように性能がいいわけではないから,お堀があるので,天守の所も池のようにうつったらしいのです。」
「これは,母の話ですけどね
(と前置きして,
 当時,おかあさまは姫路の二階町のちょっと西のあたりに住んでいて,空襲に遭い,命は助かったけど,家は焼けてしまったそうです。)
 残った天守閣を見て,
 『がんばらなあかん』と思ったそうです。」

7月4日から歴博で「姫路 今 むかし PartⅡ」という特別企画展がはじまります。
その前に,ちょっと勉強になった気がしました。

PS.天守閣天井の配管とスプリンクラーらしきものが気になった。西の丸にはなかった。
 西の丸で案内係(?)の人に聞くと,「あちらは国宝で,世界遺産ですからね。建物の高さも関係あると思います。高いからスプリンクラーをつけないとダメなんですよ。」とのことでした。 

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