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ATSUー歴女(おばさん?)のひとりごとー

見たこと・聞いたこと・ちょっと調べたこと,気ままに「My 日記」として書いています。

NHKスペシャル アジア巨大遺跡 第1集「カンボジア アンコール遺跡群」

2015-10-28 14:31:49 | 日記
何回かに分けて,やっと「カンボジア アンコール遺跡群」を見ました。

遺跡調査というと,“発掘”と思いがちですが,ヘリコプターによるレーザー調査っていうのがあるんですね。

水利技術や海のシルクロードの港から,道を通し,交易。
平和を築くために,シヴァ神もヴィシヌ神も含めた宗教ごった煮の観音。
ジャヤーヴァルマン7世は日本で言ったら鎌倉時代の初め頃の国王。
平和だったから,アンコール朝は長く続いたのだ,と言っていた,この番組では。
だから,繁栄したと・・・。

反論。
それって,国王側の言い分では?
こんな遺跡や土木工事をさせられた民衆は?
平和だったから,たいした問題じゃないわけ?

日本の江戸時代を思い出した。
戦国時代から江戸時代になり,平和になったら,民衆はそれで幸せ?
身分制・士農工商そして,えた・は?

でも,戦争がない分生産力はぐっと伸び,人口も増加したんですよね。(本郷先生のJMOOC「日本中世の自由と平等」)

とか何とか言ったけど,アンコール遺跡群があんなに大きくてすごい水利とか整備されていているなんて知らなかった。

行ってみたい!!!

ところで,江戸時代の方は,1月から始まるJMOOC 田中優子先生(法政大学)の「江戸文化入門」を楽しみにしています。
今,田中氏の『カムイ伝講義』を読んでいます。
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戦乱の中の情報伝達&古文書&歴博からの電話

2015-10-20 13:38:46 | 日記
“積ん読”になっていた本。
先日,東寺百合文書が世界記憶遺産に登録されたことを機に読み直しました。
歴史は丹念に古文書などを集め,読み,ジグソーパズルのようにぴったり合う場所に入れて組み立てるものです。
新見庄という荘園を見ていく中で,一地方の歴史というだけでなく,日本の歴史の全体像が浮かび上がってくるように思いました。
中世は“当知行”と本郷先生の講義で聴きましたが,新見庄においてもやはり当知行でした。
その後どうなったの?と思ったところもありましたが,史料が残っていないところは,書きようがないのですね。

(コメント)
応仁の乱以降の新見庄は,まさに,日本史でしたね。
新見庄は細川と山名・大内両軍の最前線。備中国内の国人は京都に出陣。
土一揆。
「日本国乱世の時分」(東寺百合文書サ函324)
(字数オーバーのため,コメント欄に書く。)

酒井紀美『戦乱の中の情報伝達: 使者がつなぐ中世京都と在地 (歴史文化ライブラリー)』
読書メーターに書き込み


今日は,ひょこっと仕事があいた。

古文書の次の課題もまあできた・・・と思う。
地元,現在の姫路市青山の近世の古文書,
伊勢参りに行っていた帰りに病気になり,亡くなった娘のひきとり・・・
これは,自信あり!!!

とはいえ,不安な文字もあり


古文書やっている最中に歴博から電話
解説ボランティアの講習を受けませんか?
受けたいです。解説したいです。先輩方のように
でも,家を空けられません。
今ムリしてやっても,どっかなんかしわ寄せが来て,中途半端になります。
したいです。解説も

でも今は,しっかり勉強しましょう。
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斑鳩寺と赤松政秀

2015-10-19 06:38:03 | 日記
昨日,ふらっと車で15分ほどの太子町・斑鳩寺に行った。

斑鳩寺については以前書いたし,昨日は,娘とふらっと散歩しただけなので,省略。

ただ,・・・なんで,今まで気がつかなかったのだろう・・・石碑(?)のようなものがあり,赤松政秀とその子広英の供養?

尼子との戦いの混乱で焼けた斑鳩寺の再興に尽力した人だそうです。

赤松政秀ってだれ?

家に帰ってから調べると,昨年の大河ドラマ「軍師 官兵衛」にも登場した龍野の城主
大河ドラマでは,官兵衛が主役なので,あんまりいい役ではなかったけどね。
角度を変えれば,全く違う。
ちなみに,私が住んでいるところは,姫路市でも,官兵衛とは敵対していた英賀の勢力圏だったところ。

今年は大河は1回しか見ていない。
去年の官兵衛ははまったけど(地元ですしね。)

意外な(私としては)発見でした。
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播磨風土記は平安時代後期の写本で,巻物でした。

2015-10-17 09:50:13 | 歴博
昨日は,歴博ボランティアの日。

埼玉県から来られたご夫婦や茨城県から来られた方ともお話しができて楽しかったです。

先日から歴博では,特別陳列『播磨風土記』をしています。

“風土記”というと,奈良時代天平文化と誰もが思うでしょう。
そうなんですが,原本が残っているとは限らないのです。
今残っている播磨風土記は,平安時代後期の写本でした。
三条西家で秘本とされていたものが,江戸時代,特に幕末になって,写されたり,研究されたりするようになったそうです。

なにより,びっくらぽん!!(すみません,朝ドラ「あさがきた」に今凝っているもので・・・歴史好きとしては,おもしろくてたまりません。)

本ではなく,巻物であることです。

私は勝手に,“本”を想像していました。
もちろん,幕末の写本の写本は“本”です。
でも,平安時代後期の三条西家のものは巻物です。

じゃあ,他の風土記は?古事記や日本書紀は?もしかして,源氏物語や平家物語も巻物?
いつから“本”が普通になったの?

鎌倉幕府の記録『吾妻鏡』は?貴族の日記は?

きりがないですね。

新たな課題を見つけてしまいました。
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東寺領矢野荘

2015-10-15 09:51:36 | 日記
今日の朝日新聞に載っていました。

東寺百合文書の世界記憶遺産登録を記念して,相生市立図書館で,東寺と東寺領矢野荘の関わりのパネル展示をするそうです。

11月14日からだったかなあ?

まだ,大学を卒業して間もない頃,歴博の友の会の会報に投稿したことがありました。

矢野荘と悪党のこと,東寺領矢野荘のこと

懐かしいです。

先日,歴博でその記事を見つけました。
恥ずかしいねえ,知ったかぶりして。
今なら恥ずかしすぎて書けませんねえ。
ボランティアの大先輩方の方が,ほんとうはよっぽど詳しいですよ。

それはさておき,
昔を懐かしみながら,
相生に一度足を運ぼうと思います。
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