ATSUー歴女(おばさん?)のひとりごとー

見たこと・聞いたこと・ちょっと調べたこと,気ままに「My 日記」として書いています。

6月の一コマ

2022-06-22 12:40:12 | 日記 地域
 宮内の信号北西の水門です。
昨日は雨がよく降っていたので,水の勢いがすごかったんですが,今日はお天気になりこの程度です。

江戸時代の百姓だの,水だの書いている割には,今のことは何も知らない・・・ということに改めて気づかされました。
田植えって地区ごとに一度にするのではないのですね。
隣同士の田んぼでも田植えが終わっているところと,そうでないところがあるんですね。
家の周りには,田んぼがいっぱいあるのに,農業とは全く関わりなく半世紀以上過ごしてきました。
ちょっと,自転車で散策しましょう。
(ちなみに,昨日は近所を歩いて,びしょぬれになった。)


次は,魚吹神社北の信号近く(信号の南西)

レンコン畑と・・・あれ?この前まで麦だ!と思っていたのに,刈り取られている?
少し水も入っています。二毛作?しばらくしたら,田植えでしょうか?

魚吹神社北の信号から西へ旭陽小学校南の信号までの間

こちらは少し前,たぶん先週の土日かその一週間前(不確かでダメですね。)に田植えを終えています。
この道は,ほぼ毎日通っている道なのに,いい加減なものです。

江戸時代の百姓・・・
を勉強するのもいいけど,
今をしっかり観察しないといけない,と反省した次第です。


追記(6月27日)
今朝,上の写真のレンコン畑で蓮の花が咲いているのを見ました。
そういえば,早朝,つばめ2羽が元気に飛んでいるのも見かけました。
でも,ウグイスも「私もいますよ❗」といわんばかりに鳴いています。
雨は先週火曜日降って,それ以降は降っていません。
近所の水だけ入っている田んぼの田植えはまだのようです。
それにしても暑いですね。ここは猛暑日にはなっていませんが,関東では先週土曜日は40℃越えのところもあったとか…
この夏,水不足にならないことを祈ります。
雨をくだされ,おぉてんとう!
(「雨をくだされ,おぉてんとう!」は,太子町立歴史資料館 2017年度企画展の名称です。
この企画展では,江戸時代の『斑鳩寺記録』の中から,雨乞いに関する史料等が展示されていました。)

写真は,太子町の黒岡神社茅の輪です。(6月26日) 
 (雨乞いとは関係ないですね。)


コメント (2)
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永富家住宅の花菖蒲

2022-06-14 12:47:34 | 日記 地域
今まで何度行ったか分からないくらい行っている永富家住宅。
でも,6月は初めてかな?花菖蒲です。


永富家は鎌倉時代から続いた旧家で、江戸時代には名字帯刀を許されていた龍野藩内屈指の豪農です。建物には武家屋敷のようなしつらいが施され、書院風の座敷構えをもつ十二間取りの主屋などがあります。江戸時代後期の民家の代表的なものとして、1967年(昭和42年)に国の重要文化財に指定されました。また、門前に広がる付属庭園の秋恵園(しゅうけいえん)では6月に花菖蒲が咲き、訪れる人の目を楽しませてくれます。(たつの市観光協会 公式サイトより)

本当は,花が目的ではありません。
前回,ピンボケで大きく載せることができなかった地籍図(部分)です。(写真撮影可)

地租改正に関しては,後日,たぶん,2~3か月後?にぼちぼち書きたいと思います。

他にも,「永富家の饗応」等の文書もしっかり見てきました。

しばらく,このブログをお休みしていたのですが,
やっぱり書こうかな~?!と気分が変わり,
ちょっとずつ書きます。

そうだ!たつの市立龍野歴史文化資料館のおばちゃんにも
「宣伝しといてね~!」と言われていることもあるのでした!!!
(実は6月3日にたつの市立龍野歴史文化資料館の
企画展「老中脇坂安董と朝鮮通信使」
;令和4(2022)年5月28日(土曜日)~7月3日(日曜日)に行っています。)
「宣伝しといて」ってどういうことでしょう?
顔を覚えられている?まさかブログを知っている?
クイズに答えてファイルをもらってきました!

では,時間の都合で,今日はここまでにします。
また,気が向いたら書きます。
よろしくお願いします。


PS.上に書いた「地租改正に関しては,後日,たぶん,2~3か月後?にぼちぼち書きたいと思います。」ですが,
急に,仕事等が忙しくなりました。
「2~3か月後」には無理です。
「2~3年後」かな?
ちなみに,大学卒業前,卒論の件で教授に「この続きを楽しみにしている」と言われ,(リップサービス)
うれしくなり,「10年後を楽しみにしていてください!」と私は言いました。
あれから,30年以上・・・いやおおかた40年。
いまだに「続き」はできていません。
もちろん,教授はすでに亡くなられています。
でも,今でも「続き」を私が死ぬまでに書き終えるのが夢です。
あの時は,活字になった史料からしか書けませんでした。
今度は,古文書を勉強し,「続き」を書きます!
ここに宣言します!   (6月19日追記)










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