ATSUー歴女(おばさん?)のひとりごとー

見たこと・聞いたこと・ちょっと調べたこと,気ままに「My 日記」として書いています。

旧金毘羅大芝居「金丸座」;残念ながら中には入れませんでした。

2024-05-11 14:52:12 | 日記
伊勢も,こんぴらさんも「聖」だけでなく,「俗」があるから参詣(?)するわけで,この点については後日また。
と書いてから,また20日もたってしまいました。
ブラタモリで言っていた「俗」の部分,旧金毘羅大芝居「金丸座」です。

ブラタモリによると,ここでは,江戸時代に富くじが行われていました。
注目すべきはその頻度,出雲では年2回だったけど,こんぴらさんでは月にほぼ2回だったそうです。
中にも入りたかったのですが,まもなく四国こんぴら歌舞伎大芝居,とのことで,入れませんでした。
それにしても,松本幸四郎さんなど,錚々たるメンバーが来るのですね。
NHKのカメラが私が写真を撮っている横に控えていて,
「今,神事やっているから・・」と小声で。
写真だけ撮ってこの場を離れました。

PS. 順番があとさきしますが,下の写真は金刀比羅宮から下っている途中にあった宝物館です。

(中は写真撮影不可)
江戸時代の「象頭山社頭並大祭行列図屏風」ははりついて見ました。
あれっと思ったのが,「蒙古襲来絵詞模本」
宝物館の方は,「この宝物館は日露戦争戦勝を記念して建てられたんですよ。」とのこと。
昨年,3回にわたって私は「地元の神社から戦争と平和を考える・・・」を書きました。
そして,「ひとりごと(「地元の神社から・・」「ちょっと気になる絵馬」等)」を昨年5月に書きました。
今回も,「神社」について考えさせられました。

膨大な犠牲者が出たにもかかわらず,作戦が「成功」と評価されたことで,人的犠牲に対する感覚のマヒが陸軍の中で起きたことは確かである。なるべく人的な被害を少なくして任務を達成するのではなく,犠牲を恐れず任務を遂行することが称揚されるようになった。これは,人的犠牲の多さは指揮官の「勲章」であるといった転倒した意識を陸軍に植え付けることになるのである。(山田朗『戦争の日本史20 世界史の中の日露戦争』282ページ)
戦争にはいつの時代にも〈美談〉はつきものであるが,(中略)失敗を失敗と認めず,むしろそれが日本的な戦いである,日本的な軍人の行動である,と変換してしまったという点で,日露戦争とその後のあり方そのものを象徴するものであったといえよう。(山田朗『戦争の日本史20 世界史の中の日露戦争』309ページ)

話がこんぴらさんからどんどん逸れていくので,この辺りで終わります。

とはいえ,ずっといきたかったこんぴらさん,
行けてよかったです !(^^)!
やっぱり,行かないとわからない!
今度は,旧金毘羅大芝居「金丸座」の中に絶対入りたいです!

6月には,兵庫県立兵庫津ミュージアムの
企画展「温泉♨と 西国三十三か所巡礼 ーひょうごを巡る旅ー」
に行こうと思っています。
チラシの「温泉を巡る旅」「聖地を巡る旅」っていう言葉がいいですね。
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金毘羅信仰

2024-04-22 14:14:15 | 日記
「続きは後日」と書いてから20日近くたってしまいました。
実は,ほぼ書けていたのに,間違えて全部消してしまったのです。 ( ;∀;)
気を取り直して,



写真は金刀比羅宮・大門を入って,五人百姓のすぐ先です。
桜の写真を撮りたかったのではありません。奉納されている燈籠の写真を撮りたかったのです。
「特別展「江戸時代庶民の旅~金毘羅参りと室津~」2015年」に
印南敏秀氏が「金毘羅参りと室津」を書いています。
そこには,このあたりに,嶋屋半四郎(嶋屋は現在は室津海駅館になっている)奉納の燈籠がある,と書かれているのですが,どこにあるのかよくわかりませんでした。
でも,たくさんの燈籠は,江戸時代の人々がこんぴらさんを信仰し,参詣したことを物語っていると思います。

さて,金毘羅信仰
せとうち観光専門職短期大学の「観光Web講義」の一つ,
谷崎友紀氏の「こんぴら詣での今昔」によると,
江戸時代,旅人たちは,伊勢参宮を終えたのちに金毘羅参詣をおこなうようになり,旅の範囲が広がり,金毘羅参詣が流行したことで,旅人たちは瀬戸内海を越えて讃岐国を訪れ,そのまま厳島神社や錦帯橋まで足を延ばす者も現れたそうです。
現在,金刀比羅宮は主祭神を大物主命とし,崇徳上皇を合祀しています。農業・殖産・医薬・海上守護など広汎な神徳を持つ神様だといわれています。
でも,私には,海上守護が一番しっくりきます。
以前,「ブラタモリ」で,帆のついた樽のようなものを瀬戸内を通る船が海に落とし,漁師がそれを担いで金刀比羅宮に運んでいた,と言っていました。実際に,宝物館でこの樽のようなものが展示されていました。
北前船などの船員が,あちこちで金刀比羅宮の話をし,金毘羅信仰は広がったと言っていたと思います。
もちろん,伊勢も,こんぴらさんも「聖」だけでなく,「俗」があるから参詣(?)するわけで,この点については後日また。

785段の階段を登るのは,さほど疲れませんでしたが,
登りは階段ばかり見ていたように思います。
お参りして,階段を降りる時に見た景色・・・満開近かった桜や,人々が階段を登っている様子,大門を出てからはお土産屋さんで買い物を楽しんでいる人々の姿,・・・いいですね。
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こんぴらさんへ

2024-04-04 11:11:01 | 日記
♪こんぴらふねふね・・・♪
ふねふね?
相生発10時27分の新幹線こだまに乗り,わずか16分で岡山に
岡山で乗り換え,11時5分発特急南風に乗り,
琴平着はなんと12時5分!!
相生からわずか1時間半余りで琴平に着いてしまうのです。
もちろん船に乗るわけでなく,瀬戸大橋をぴゅ~んと通ると,四国です。

さて,江戸時代
天明6(1786)年の西国巡礼が目的の『西遊紀行』によると,
著者は,伊勢参りの後和泉・河内・大和・京都・丹波・摂津の西国札所を巡り,播磨路の名所旧跡を訪ね,
その後,室津から船に乗り,明け方丸亀に着き,金毘羅参りの後善通寺に引き返して泊まり,
翌日,善通寺に参って丸亀から児島に渡って泊まったそうです。
安政4(1857)年の「道中安全帳」によると,
商人の田村善蔵は,伊勢参りの後,大和を巡り,住吉大社に参り,その後,大坂で芝居を見て夕方に金毘羅船に乗り,
丸亀には3日後の早朝に着き,金毘羅に参って,お札を受けた後,善通寺に参り,丸亀で泊まり,丸亀から児島に渡ったそうです。
(特別展「江戸時代庶民の旅~金毘羅参りと室津~」2015年)
そうです。
この特別展を室津海駅館で見てから,ずっとこんぴらさんに行きたかったのです。
そこにあった1枚の古文書
「船持中渡世につき嘆願」(文化13(1816)年,佐藤家文書)
けっこう読みやすい文書で,当時,翻刻文や解説も見ながら,かじりついて読んだことを覚えています。
室津の渡海船業者が網干などの業者に客をとられて困窮している,と嘆願している文書です。

それから約9年
2024年4月2日
やっとこんぴらさんに行きました!
続きは後日・・・


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駿府城・江戸城・姫路城

2024-02-22 11:14:06 | 日記
静岡,東京観光その2
今回は,「城」です。
2月9日,丸子宿の後,登呂遺跡にちょこっと行き,そのあと,駿府城公園へ
 時間が遅かったので,発掘現場を見学することはできませんでした。
でも,すきまからのぞいたのがこの写真。
ひろ~い!広い!
「駿府まち巡りマップ」によると,この発掘現場のどこかに天守があったはずです。
でも,残念!よくわかりません。
『静岡のトリセツ』によると,
「駿府城の慶長期天守台の大きさは,南北(西辺)約68m,東西(北辺)約61m。
 徳川将軍家の居城である江戸城の天守台が南北(西辺)約45m,東西(北辺)約41mなので,それを大きく上回っている」そうです。

翌10日に行った江戸城(皇居東御苑)
 天守台です。
姫路城を見慣れている私には,天守台はそう大きく感じられませんでした。
確かに,大奥跡や本丸大芝生はすごく広かったです。
石垣の石の大きさが姫路城と比べ物にならないように思いましたが。
なぜ大きく感じないのか・・・
後日,兵庫県立歴史博物館で見た江戸城です。 
歴博では,天守の大きさ比較ができます。(すべて50分の1)

こちらは,姫路城  
私は,姫路城の天守,大天守も3つある小天守も全部ひっくるめて見ていたのです。(姫路城は連立式天守)
姫路城の大天守ためだけにある天守台の大きさは,江戸城と比較になりません。(もちろん江戸城の方が大きいです。)
江戸城の天守の大きさなんて,すごいのなんのって!
が,・・・姫路城,・・・どこまでが大天守の天守台?小天守などの天守台と一部つながっている?

駿府城や江戸城の話のはずが,いつの間にか姫路城の話に・・・

10日夜,姫路に帰ってきた時に撮った写真を下に貼り付けます。



次に,東京に行くことがあれば,江戸城をぐるっと,皇居ランのコースを歩いてみたいです。
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丸子(鞠子;まりこ)

2024-02-13 12:10:20 | 日記
2月9日の「チコちゃんに叱られる!」では,「『天狗(てんぐ)』ってもともとなに?」で,懐かしい兵庫県立歴史博物館の香川先生が出演されていました。(やっぱり妖怪と言えば,香川先生よねえ)
とはいうものの,実はリアルタイムでは見ていません。チコちゃんが始まる時刻は,私はなんと,静岡から東京への新幹線の中でした。・・・・・ (◎_◎;)
2月10日に子どもの事で東京に行く用事ができて,(おめでたいことです !(^^)! )
ついでに,9日は静岡で観光し,10日に東京観光をしてきたのです。

なぜ静岡?
一番の目的は丸子!!!
私のスマホには歩数計が入っていて,その歩数計では,広重の東海道五十三次を巡ることになっているのです。
そうです!広重の丸子に行きたい!!と・・・


写真は今の丁子屋です。
     慶長元年創業の元祖丁子屋では,広重の絵の通り,
「登路ゝ(とろろ)汁」を食べてきました。
そして,丸子宿周辺を散策。
「丸子宿本陣跡碑」など見ながら,旧東海道をバス停一つ分歩きました。

静岡では,登呂遺跡,駿府城公園など見てきたのですが,
また後日。

ちなみに,10日には東海道起点日本橋も見て来ました。 
何度もつくりかえられたので,江戸時代の面影はありません。
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