ATSUー歴女(おばさん?)のひとりごとー

見たこと・聞いたこと・ちょっと調べたこと,気ままに「My 日記」として書いています。

姫ちゃりでちょこっと姫路 その2;「特別展 没後10年 西山松之助 ある文人歴史家と江戸学の軌跡」?

2022-10-31 10:58:34 | 日記 地域
  その2は姫路文学館
「特別展 没後10年 西山松之助 ある文人歴史家と江戸学の軌跡」です。
はじめ,どこかでチラシを見たとき,
「だれ?」と思いましたが,(すみません。勉強不足なもので)
「江戸学」のことばに惹かれました。
「江戸学(えどがく)とは、江戸に関する過去の史料を評価・検証する過程を通して歴史的事実、及びそれらの関連を追究する学問である。」とWeblio辞書には書かれています。
でも,
「江戸学」と言えば,田中優子氏でしょ!と思う私は,過去の自分のブログを「田中優子」で検索

2015年11月 田中優子『カムイ伝講義』について私はこう書いています。
カムイ伝講義 (ちくま文庫)
江戸時代とはどんな時代であったのか,歴史の教科書や参考書,歴史学者が書いた本,小説,今までいくつか読んだ。でも,この本では,江戸時代の人間,生きていた人々や生活が見えてきた気がした。

江戸時代の百姓というと,「生きぬよう,死なぬよう」のイメージが大きいです。
かつて,搾取されていた農民,を学んだものとしては,「生きぬよう」が強烈でした。
しかし,中世との比較で考える時,近世は,「死なぬよう」が大きいことを改めて思いました。

たとえば,綿花を栽培します。
新しい技術を学びます。
農業書がつくられます。
その本を読んだり,試行錯誤します。
字が読める者は字を教えます。
みんなで,綿づくりを考えます。
これが農民の一面です。
搾取されるだけではありません。
一揆を起こすだけではありません。
綿花を作るだけではありません。
それを流通のルートにのせなければなりません。
農民は綿花を作っても,着物までつくるわけではありませんから。
分業がされているのです。
江戸時代ってすごいですね。

ただ,明治になり,産業革命が入ってきたり,外国の安価な綿が入ってくると,
日本の綿花は急速に廃れたそうです。

江戸時代を考え直さなくてはいけませんね。

そして,2016年2月
グローバリゼーションの中の江戸 (岩波ジュニア新書 )
JMOOCの田中優子先生の「江戸文化入門」の講座にあわせて読みました。講座とほとんどかぶっている内容ですし,写真が多くて読みやすかったです。江戸時代観が変わりました。じゃあ次の明治は?と思いました。

そういえば,JMOOCの田中優子先生の「江戸文化入門」,おもしろかったですね。

話が田中優子氏になってしまいました・・・。
特別展は,西山松之助氏です。
明治45年(1912年)兵庫県赤穂郡有年村東有年に生まれ,少年期を過ごします。
その後,姫路師範学校を経て,東京へ
いろいろあるのですが,東京教育大学の助教,のちに教授となります。
(同時期,家永三郎氏も東京教育大学に勤めていたそうです。
 家永三郎・・・なつかし~い!学生時代,教科書裁判の勉強をちょこっとしましたねえ。)
そこで,西山氏は,近世文化史の研究をするわけですが,
『江戸文化史』(昭和62年(1987年)岩波セミナーブックス)の中で,江戸学をこう定義しています。
「江戸学とは,江戸という大都市の様々な歴史の実態を具体的に実証したり,その理法を明らかにする学問である。」

田中優子氏の『カムイ伝講義: カムイ伝のむこうに広がる江戸時代を読み解く (単行本)』は2008年。(私が読んだのはのちの文庫本です。)
またまた私の勉強不足ですが,「江戸学」の定義が変わってきているのでしょうか?狭くなってきている?
また,田中氏の話ですが,
図録には,田中優子氏の
「西山松之助展に寄せて 江戸文化を体現した人」
という文章が載っていました。(やっぱり,江戸学と言えば,田中優子氏なのでしょう。)
その中で,
「私が西山先生に学んだ大事なことが二つある。」として,
「江戸時代の人々は何をどう遊んだのか,文化を遊ぶとはどういうことか,その人生において体現し,その実践が可能であることを教えてくれたことだ。」
展示にも,西山松之助氏が茶杓史を研究するだけでなく,自ら茶杓をつくったり,
歌舞伎の研究だけでなく,自ら歌舞伎に出演したことが解説されていました。
そして,もう一つが,
「江戸っ子」の明確な定義,
「江戸っ子の特性を明確なかたちに典型化したのは,18世紀後半に活躍した天才的江戸町人作家,山東京伝である」ということ。
と田中優子氏は言っています。

2016年に学んだ,JMOOCの田中優子先生の「江戸文化入門」の資料を今探してみると,
「Week4-6 江戸っ子の誕生 山東京伝の世界」とあるじゃないですか。(はい,すっかり忘れています(;^_^A)
その中に,「西山松之助」の名前も出てくるじゃないですか。

勉強し直しですね。

「江戸学」といえば,田中優子氏でしょ!
と言っているだけで,私の頭の中は空っぽであることが判明しました (-_-;)

本題から外れっぱなしですが,今回はこれで終わります。

ここまで,読んでくださった方がおられましたら,お疲れ様でした。



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姫ちゃりでちょこっと姫路 その1;総社

2022-10-29 11:06:48 | 日記 地域
10月27日,久しぶりの姫路です。
姫ちゃり(レンタル自転車)に乗って,
まずは,総社   
「総社では、古来より臨時に行われてきた重要な2種類の祭礼があります。
時代の変遷は経ていますが、現在は60年ごとに「丁(てい)卯(ぼう)祭/一ツ山大祭」20年ごとに「臨時祭/三ツ山大祭」が執り行われています。
起源は、藤原純友の乱・平将門の乱を鎮定するため、天慶2年(939年)に斎行された「天神(てんしん)地祇(ちぎ)祭」に由来するとされていますが、はじめは式年(定まった期間)ではなく、天災や特に国中安泰を願う時、不定期に執り行われていました。
三ツ山大祭が式年となったのは、天文2年(1533年)播磨国守護職 赤松政村(晴政)の下知による時からで、20年に一度行うことが定められてから後も、播磨国の平安と発展を祈るお祭りとして、今日まで一度も途絶えることなく継承されています。」
という,歴史ある祭です。詳しくは,ホームページを見てください。
と,2016年に私はブログに書いています。


今回はちょうど「~伝統を再現する~造りもの展」を総社御門2階でやっていて,
チラッとのぞいてきました。
会場でいただいた「神のやま 第6号」によると,
総社の祭礼で山がつくられ始めたのは1521年(大永元年)からで(播磨国飾東郡国衙庄総社略記)
いわゆる装飾された曳山でした。
山は,翌年の臨時祭で形式が改められ,置山にされたようです。(『総社集日記』)
1733年(享保18年)の臨時祭を描いた絵図には,山から台が迫り出し飾り人形が据えられています。(英賀神社蔵)
享保の改革で倹約令が厳しくなり,造り物のついた山は作られなくなりますが,
これと入れ替わるように,町中の造り物と曳き物が登場します。
各町で作られ始めると,他に引けを取らない演出や趣向を凝らすようになります。
1793年(寛政5年)『臨時祭礼見聞録』によると,
造り物は大型になり,屋根にも作られ,家の屋根から屋根へ橋を渡し造作するなど,近代まで盛んでした。
「神のやま 第6号」には,1928年(昭和3年)の時の写真がたくさん載っていますが,
まるで町じゅう「お化け屋敷?」いや,「菊のない菊人形?」のようです。
(すみません。よくわかりませんね。)
町ごとで競っていたようですが,
太平洋戦争,
その後も,造り物は人形師や興行師の手によるものとなったようです。
しかし,2013年(平成25年)造り物を復活させようと総社が呼びかけ,十点の造り物が復興しました。
残念ながら私は行ったことがありません。でも,見てみたいですね。
(とんちんかんなことを書いていたらすみません。)

今回の「~伝統を再現する~造りもの展」によると,
毎年少しずつ造り物をつくっていっているとのこと,
写真はその造り物の一部です。

この後,姫ちゃりで工事中の歴博の前を通り,文学館へ
(文学館「特別展 没後10年 西山松之助展」については,後日)
姫路城の周辺をぐるりと姫ちゃりで走りました。
写真は姫路市立美術館と動物園の間の道から撮りました。
ほとんど紅葉していないのですが,ここだけかすかに・・・。


そして,山電に乗って帰ろうとすると,
なんと,「阪神甲子園球場100周年記念ラッピングトレイン」
全くの偶然,見ることができました!
他にも,星野さんの胴上げとか,高校野球のワンシーン・巨人の星・タッチなどなど


久しぶりの楽しい休日でした。
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10月の一コマ;祭

2022-10-21 10:09:20 | 日記 地域

今朝,9時半ごろ,
すいているうちに
魚吹八幡神社に行って,お参りしてきました。

津の宮(魚吹八幡神社)はまだ,準備中(?)といった感じですが,
私同様,お参りの人が次々来ているようです。

家に帰ってくると,太鼓に三味線の音,
今,地域の流しがすぐそこの道を通りました。

「3年ぶり」を今日,明日,楽しみます。

稲刈りもほぼ終わりました。(まだのところもありますが)
今回をもって,「一コマシリーズ」(?)とりあえず,終わります。

PS.
  21日お昼前

PS.稲刈り後・・・こういう稲を組んでいる(?)風景は,今はそんなに見かけないのですが,
でも,たまにあります。     10月25日追記




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10月の一コマ;まもなくです!

2022-10-04 14:06:23 | 日記 地域
この前の台風の後ぐらいから,気がつけば,水路の水は減り,水門は全開!
(現在,「結」というものはないのでしょうが,
自治会か何かが,共同で管理し,役員さんか,当番さんかが水門の管理をしているのですね,
きっと・・・あ,「水利組合」ですね。
三石天満神社にありました。「水利組合」という言葉が書いてある小さな石碑が)
休耕田の水はなくなり,ひからびた感じ。
こうやって稲刈りに近づくんだなあ・・・と何も知らない私は思いました。
(何を書いているんだか・・・と農家さんは思うでしょう。すみません。)
そして今日の風景・・・

まもなくです!稲刈り!!

そして,まもなくです!  をもうひとつ。 
 
宵宮 令和4年10月21日(金)
昼宮 令和4年10月22日(土)
令和4年は例年通りの通常斎行といたします。
コロナ禍で2年間行事縮小であった魚吹八幡神社秋季例祭ですが、
令和4年は例年通りの斎行とし、
提灯練り、屋台・檀尻練り出しを行います。   (魚吹八幡神社ホームページより)


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