第4回「あなたの声」は「御堂関白記」
のところで,私は,
なんと,道長本人が書いた自筆本は
半年を1巻とする具注暦(古い暦の一種)に記され,
日々の記述は暦の余白に書きこまれていました。
それも,今回見た部分は,
寛弘6年(1009年)11月16日,新嘗祭の件で,
15日条の枠に書き誤ったのか,
挿入符と線で16日の記事である旨を示しています。
(上の写真は別の日の部分です。)
(すみません,私のパソコン力では,マネして書けません。)
これでは,私が日々の予定をカレンダーに書きこんでいるのと変わらないではないですか!
1000年以上も後の人に見られるとは思っていなかったのでしょうね。
でも,古写本(これも国宝)は普通に文章を書いていました。
と書きました。
この点について,
倉本一宏『藤原道長「御堂関白記」を読む』より
①半年を1巻とする具注暦(古い暦の一種)に記され,
日々の記述は暦の余白に書きこまれていました。
→道長が暦博士や陰陽師に料紙を渡して間明き2行ある特注の具注暦を作らせていました。
②15日条の枠に書き誤ったのか,
挿入符と線で16日の記事である旨を示しています。
→これだけではありません。
当て字や省略などが頻出,主語・述語・目的語などの順がめちゃめちゃな場合が多いのです。
実務経験を積まないうちに政権の座についてしまったので
(「偉人たちの健康診断」によると,五男だが,長男等が疫病で亡くなったため。)
漢文に習練する機会もなかったようです。
ただし,徐々に漢文に習熟していっています。
また,2行で書ききれない時は,裏(紙背)にも書いています。
③1000年以上も後の人に見られるとは思っていなかったのでしょうね。
→実は私も思ったのですが,・・・道長は字が汚い,と言われているそうです。
自分の日記を他人に見せることを想定していないそうです。
(「件の記等,披露すべきに非ず。早く破却すべき者なり。」
寛弘7年暦巻上の褾紙(ひょうし)見返)
そんな道長ですが,
BSプレミアムの「偉人たちの健康診断」によると,
(最近再放送されていましたね。
私は初回を見ていたのですが,
ブルーレイに録画していたのを先日見直しました。
この番組の中では,何度も「御堂関白記」が出てくるし,
倉本一宏氏も解説していました。
あまり関心がなかった時は,気が付かないものですね。)
道長は,糖尿病だったそうです。
「御堂関白記」などの記述を調べ,
そこの書かれている道長の飲んだ薬,症状からそう判断しています。
原因は,不規則な生活。体内時計の乱れ。
ほかにも,
過敏性大腸炎,頭痛,
ストレス
隠れ疲労
次第に目が見えなくなり,
動脈硬化,心臓発作・・・となります。
「この世をばわが世とぞ思ふ…」の歌ったころには,
既に満月すら見えていなかった可能性が…。
ということで,
昨年・2018年11月23日の朝日新聞デジタルには,
「平安の貴族・藤原実資(さねすけ)の日記「小右記(しょうゆうき)」や
道長自身の日記によると,
道長はこの歌を寛仁2(1018)年10月16日に詠んだ。
兵庫県の明石市立天文科学館の井上毅(たけし)館長が調べると,
この日は確かに満月だったという。
今年の旧暦10月16日は11月23日だ。」
とあります。
下の写真は,ニュースを聞いて,私が携帯でとった写真です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/5a/2c/6e597785d1964316a5f0dfe11ee684db_s.jpg)
さて,
「御堂関白記」の古写本の最後は,
(「御堂関白記」の自筆本は近衛家の陽明文庫のものが残っている。)
治安元年(1021)九月
一日に初念仏,
そして,
「五日丁丑,十七万遍」
PS.これは,京都文化博物館で見た
「近衛家 王朝のみやび 陽明文庫の名宝9」で展示されていた
「御堂関白記」の「寛弘6年(1009年)11月16日」
を見て,私が書いた日記です。
道長についてのキチンとした人物像や歴史的な検証をしたものではありません。
のところで,私は,
なんと,道長本人が書いた自筆本は
半年を1巻とする具注暦(古い暦の一種)に記され,
日々の記述は暦の余白に書きこまれていました。
それも,今回見た部分は,
寛弘6年(1009年)11月16日,新嘗祭の件で,
15日条の枠に書き誤ったのか,
挿入符と線で16日の記事である旨を示しています。
(上の写真は別の日の部分です。)
(すみません,私のパソコン力では,マネして書けません。)
これでは,私が日々の予定をカレンダーに書きこんでいるのと変わらないではないですか!
1000年以上も後の人に見られるとは思っていなかったのでしょうね。
でも,古写本(これも国宝)は普通に文章を書いていました。
と書きました。
この点について,
倉本一宏『藤原道長「御堂関白記」を読む』より
①半年を1巻とする具注暦(古い暦の一種)に記され,
日々の記述は暦の余白に書きこまれていました。
→道長が暦博士や陰陽師に料紙を渡して間明き2行ある特注の具注暦を作らせていました。
②15日条の枠に書き誤ったのか,
挿入符と線で16日の記事である旨を示しています。
→これだけではありません。
当て字や省略などが頻出,主語・述語・目的語などの順がめちゃめちゃな場合が多いのです。
実務経験を積まないうちに政権の座についてしまったので
(「偉人たちの健康診断」によると,五男だが,長男等が疫病で亡くなったため。)
漢文に習練する機会もなかったようです。
ただし,徐々に漢文に習熟していっています。
また,2行で書ききれない時は,裏(紙背)にも書いています。
③1000年以上も後の人に見られるとは思っていなかったのでしょうね。
→実は私も思ったのですが,・・・道長は字が汚い,と言われているそうです。
自分の日記を他人に見せることを想定していないそうです。
(「件の記等,披露すべきに非ず。早く破却すべき者なり。」
寛弘7年暦巻上の褾紙(ひょうし)見返)
そんな道長ですが,
BSプレミアムの「偉人たちの健康診断」によると,
(最近再放送されていましたね。
私は初回を見ていたのですが,
ブルーレイに録画していたのを先日見直しました。
この番組の中では,何度も「御堂関白記」が出てくるし,
倉本一宏氏も解説していました。
あまり関心がなかった時は,気が付かないものですね。)
道長は,糖尿病だったそうです。
「御堂関白記」などの記述を調べ,
そこの書かれている道長の飲んだ薬,症状からそう判断しています。
原因は,不規則な生活。体内時計の乱れ。
ほかにも,
過敏性大腸炎,頭痛,
ストレス
隠れ疲労
次第に目が見えなくなり,
動脈硬化,心臓発作・・・となります。
「この世をばわが世とぞ思ふ…」の歌ったころには,
既に満月すら見えていなかった可能性が…。
ということで,
昨年・2018年11月23日の朝日新聞デジタルには,
「平安の貴族・藤原実資(さねすけ)の日記「小右記(しょうゆうき)」や
道長自身の日記によると,
道長はこの歌を寛仁2(1018)年10月16日に詠んだ。
兵庫県の明石市立天文科学館の井上毅(たけし)館長が調べると,
この日は確かに満月だったという。
今年の旧暦10月16日は11月23日だ。」
とあります。
下の写真は,ニュースを聞いて,私が携帯でとった写真です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/5a/2c/6e597785d1964316a5f0dfe11ee684db_s.jpg)
さて,
「御堂関白記」の古写本の最後は,
(「御堂関白記」の自筆本は近衛家の陽明文庫のものが残っている。)
治安元年(1021)九月
一日に初念仏,
そして,
「五日丁丑,十七万遍」
PS.これは,京都文化博物館で見た
「近衛家 王朝のみやび 陽明文庫の名宝9」で展示されていた
「御堂関白記」の「寛弘6年(1009年)11月16日」
を見て,私が書いた日記です。
道長についてのキチンとした人物像や歴史的な検証をしたものではありません。