ATSUー歴女(おばさん?)のひとりごとー

見たこと・聞いたこと・ちょっと調べたこと,気ままに「My 日記」として書いています。

偉人たちの健康診断; 藤原道長&倉本一宏『藤原道長「御堂関白記」を読む』

2019-12-27 12:07:41 | 日記
第4回「あなたの声」は「御堂関白記」
のところで,私は,

なんと,道長本人が書いた自筆本は
半年を1巻とする具注暦(古い暦の一種)に記され,
日々の記述は暦の余白に書きこまれていました。
それも,今回見た部分は,
寛弘6年(1009年)11月16日,新嘗祭の件で,
15日条の枠に書き誤ったのか,
挿入符と線で16日の記事である旨を示しています。
(上の写真は別の日の部分です。)
(すみません,私のパソコン力では,マネして書けません。)
これでは,私が日々の予定をカレンダーに書きこんでいるのと変わらないではないですか!
1000年以上も後の人に見られるとは思っていなかったのでしょうね。
でも,古写本(これも国宝)は普通に文章を書いていました。

と書きました。

この点について,
倉本一宏『藤原道長「御堂関白記」を読む』より

①半年を1巻とする具注暦(古い暦の一種)に記され,
日々の記述は暦の余白に書きこまれていました。
→道長が暦博士や陰陽師に料紙を渡して間明き2行ある特注の具注暦を作らせていました。

②15日条の枠に書き誤ったのか,
挿入符と線で16日の記事である旨を示しています。
→これだけではありません。
 当て字や省略などが頻出,主語・述語・目的語などの順がめちゃめちゃな場合が多いのです。
 実務経験を積まないうちに政権の座についてしまったので
 (「偉人たちの健康診断」によると,五男だが,長男等が疫病で亡くなったため。)
 漢文に習練する機会もなかったようです。
 ただし,徐々に漢文に習熟していっています。
 また,2行で書ききれない時は,裏(紙背)にも書いています。

③1000年以上も後の人に見られるとは思っていなかったのでしょうね。
→実は私も思ったのですが,・・・道長は字が汚い,と言われているそうです。
 自分の日記を他人に見せることを想定していないそうです。
(「件の記等,披露すべきに非ず。早く破却すべき者なり。」
 寛弘7年暦巻上の褾紙(ひょうし)見返)


そんな道長ですが,
BSプレミアムの「偉人たちの健康診断」によると,
(最近再放送されていましたね。
 私は初回を見ていたのですが,
 ブルーレイに録画していたのを先日見直しました。
 この番組の中では,何度も「御堂関白記」が出てくるし,
 倉本一宏氏も解説していました。
 あまり関心がなかった時は,気が付かないものですね。)
道長は,糖尿病だったそうです。
「御堂関白記」などの記述を調べ,
そこの書かれている道長の飲んだ薬,症状からそう判断しています。
原因は,不規則な生活。体内時計の乱れ。

ほかにも,
過敏性大腸炎,頭痛,
ストレス
隠れ疲労

次第に目が見えなくなり,
動脈硬化,心臓発作・・・となります。

「この世をばわが世とぞ思ふ…」の歌ったころには,
既に満月すら見えていなかった可能性が…。

ということで,

昨年・2018年11月23日の朝日新聞デジタルには,

「平安の貴族・藤原実資(さねすけ)の日記「小右記(しょうゆうき)」や
 道長自身の日記によると,
 道長はこの歌を寛仁2(1018)年10月16日に詠んだ。
 兵庫県の明石市立天文科学館の井上毅(たけし)館長が調べると,
 この日は確かに満月だったという。
 今年の旧暦10月16日は11月23日だ。」
とあります。

下の写真は,ニュースを聞いて,私が携帯でとった写真です。




さて,
「御堂関白記」の古写本の最後は,
(「御堂関白記」の自筆本は近衛家の陽明文庫のものが残っている。)
治安元年(1021)九月
一日に初念仏,
そして,
「五日丁丑,十七万遍」


PS.これは,京都文化博物館で見た
「近衛家 王朝のみやび 陽明文庫の名宝9」で展示されていた
「御堂関白記」の「寛弘6年(1009年)11月16日」
を見て,私が書いた日記です。
道長についてのキチンとした人物像や歴史的な検証をしたものではありません。









 
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二条城と上月城(兵庫県佐用町)

2019-12-20 11:30:44 | 日記
まず,年に1回の京都!
前回は,京都文化博物館で見た「御堂関白記」について少し書きました。

さて,今回は,二条城
少し前,
BS朝日の「京都ぶらり歴史探訪」で二条城をやっていました。
お城と言えば,奈良大学の千田嘉博氏!
千田さんのわかりやすい,興味深い,そしておもしろいお話を聞いて,見て,
しっかり予習しました。
そのせいか,二条城に行っても,
「あ,これがあの石垣。」とか,
「確かに,狭間がない。」とか,
「なるほど,戦いの城じゃないなあ。」
と確認していったような感じになってしまいました。
でも,二条城のあの広さは,テレビではわかりませんね。

写真は有名な二条城二の丸御殿です。



(中は撮影不可でした。)
(二条城の説明等は,ホームページや他の方の説明を見てください。)

狩野派の障壁画,私は絵よりも絵のまわりの金箔に圧倒されました。
でも,・・・
私たち観光客は,廊下から部屋の中をのぞき,障壁画を見ていますが,
はずされている廊下側のふすまも入れて,中で障壁画を見ると,
やっぱり,・・・遠侍の障壁画,虎に囲まれて,怖いかも?

私の一番のお気に入りは,狩野山楽ではないかといわれる「松鷹図」です。
あれはすごかったです。ド迫力!でした。


そんな二条城に行ったのが12月13日。
その2日後,
今度は,日曜日だし,いいお天気だし,
家族で近場にドライブ&山登りしよう!と行ったのが,
兵庫県佐用町の上月城。

大河ドラマ「軍師官兵衛」にも出てきた中世の山城です。
上月城の説明は省きます。
詳しくは,佐用町のホームページをご覧ください。
https://www.town.sayo.lg.jp/cms-sypher/www/info/detail.jsp?id=2236

織田と毛利がせめぎあったところです。
今は,そこそこ整備されていて,
初心者の山登りにはちょうどいい感じでした。
私と娘はところどころで,「え~っ!」て叫んでいましたけど・・・。
(山を降りる時,ほんのちょっとだけど落ち葉で足が滑ったりしました。)

何も残っていないように見えましたが,
それでも,堀切のあとや曲輪のあとがかすかに残っていました。
頂上まで登り,降りてきて,
足は痛いし,ちょっと疲れましたが,
よーく考えると,
「あんなにドラマ(?)がある上月城なのに,
 それほど高くないんだ。」
と思いました。



写真は,堀切です。

2日違いで行った2つの城。
あまりにも違い過ぎて,
それもまたおもしろいです。
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第4回「あなたの声」は「御堂関白記」

2019-12-16 14:30:54 | 古文書
NHK学園古文書・解読実践コース2019年度第3回,返ってきました。
いつも通り,普通の「A」でしたが,
先生がいつも私が書いた事柄に(「あなたの声」はもちろんですが,ほかのことも)
お返事をくださるのがうれしいし,楽しみです。

NHK古文書解読実践コース2019年度第2回の
「あなたの声」には,
「救出された屏風の下張り文書(2009年台風9号)」(2019.10.21)
を書きました。

その「あなたの声」を読んでくださって,
「台風,地震の度に史料レスキュー活動が活躍しますね。
 しかし今回は多摩川で川崎市の博物館の収蔵庫がやられました!
 被害はこれから明らかになると思いますが。」
と先生は書いてくださいました。

そのことについて私は,
第3回の「質問」のところに,
川崎市市民ミュージアムのことについてネットで調べたことを書き,(2019.11.18)
「冷凍の話は,阪神淡路大震災20年の兵庫県立歴史博物館の企画で聞いたことがあります。」
と書きました。

すると先生は,
「この方法は,私は平成5年ぐらいに草加市の水害で初めて知りました。
インスタントラーメンの技術が活用されたんですよね。」
とまたお返事をくださいました。

又興味深いことを聞きました。

先生,いつもありがとうございます。


さて,第4回の「あなたの声」は
「御堂関白記」です。

先日,12月13日,年に1回(と自分で決めている)京都です。
二条城と京都文化博物館の
「近衛家 王朝のみやび 陽明文庫の名宝9」を目的に行ってきました。

二条城については後日。

今日は「あなたの声」に書いた
「御堂関白記」です。
(写真撮影不可なので,チラシから)



「あなたの声」
「御堂関白記」
先日,京都文化博物館で「御堂関白記」の定家の自筆本や
11世紀の古写本などを見ました。
「あの藤原道長の御堂関白記だ!
 国宝だ!ユネスコの世界の記憶だ!」
と気合を入れてみたのですが,
なんと,道長本人が書いた自筆本は
半年を1巻とする具注暦(古い暦の一種)に記され,
日々の記述は暦の余白に書きこまれていました。
それも,今回見た部分は,
寛弘6年(1009年)11月16日,新嘗祭の件で,
15日条の枠に書き誤ったのか,
挿入符と線で16日の記事である旨を示しています。
(上の写真は別の日の部分です。)
(すみません,私のパソコン力では,マネして書けません。)
これでは,私が日々の予定をカレンダーに書きこんでいるのと変わらないではないですか!
1000年以上も後の人に見られるとは思っていなかったのでしょうね。
でも,古写本(これも国宝)は普通に文章を書いていました。

(御堂関白記 2
〔藤原 道長/著〕 -- 京都 思文閣出版 -- 1983 --
 藤原道長「御堂関白記」を読む貸出可
 倉本 一宏/著 -- 講談社 -- 2013.12
 図書館予約しました。)

PS.今回の課題は,「白狐出生の件御尋ねにつき書付」でした。
解説には,
江戸時代には一般に新規の信心や社の創設などは規制の対象になっていて,
領内の吉凶・怪奇などを把握するのも領主の勤めと認識されていたことが書かれていました。
キリスト教などの宗教だけではないのですね,規制は・・・
改めて,江戸時代について考えさせられました。







   
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和楽12.1月号「そもそも十一面観音とは何なのか」

2019-12-09 07:25:36 | 日記 本
今日は,『和楽12.1月号』「そもそも十一面観音とは何なのか」から
『和楽』は私が時々買っている美術の雑誌です。
時々・・・というのは,西洋絵画には全く興味がないもので・・・。
ちなみに,次は(12月28日発売)買います!
浮世絵ですから。

さて,話が戻って,
「そもそも十一面観音とは何なのか」

「観音菩薩は多くの人々を救うために,33もの姿に変身します。」



「頭上に10ないし11の顔を持ち,あらゆる方向を向いて,人々を救う仏様として,
 古来日本では篤く信仰されてきました。」
「11の顔は,人の心にある11の悪や苦しみを取り除き,
 11の喜びや幸せを与えるといわれています。」
「標準的な十一面観音像では,・・・如来面がひとつ,
 (中略)慈悲の表情をたたえた正面向きの菩薩面が3面,
 向かって右側(下の写真は後ろから取っているので左側です)は 
 悪を戒める怒りの表情の瞋怒(しんぬ)面,
 左側(写真では右側)には牙を出して励ます狗牙上出(くげじょうしゅつ)面が3面,
 悪を蔑む笑いを浮かべる大笑面が1面のあわせて11面で構成されています。」



「頭上面本面の真上に「化仏」と呼ばれる阿弥陀如来の小さな像がついています。
 これは十一面観音が阿弥陀如来の化身であることを示す証です。」

写真は,兵庫県立歴史博物館にある
宝塚市・中山寺の「十一面観音立像」(レプリカ)(写真撮影可)です。


なぜ,今,急に仏像について書くのか・・・
思うところがいろいろあったからです。
普段,信仰心なんかないのに,
歴史・文化財として仏像を見るだけなのに,
仏像を見たり,
歴博の「熊野勧進十界曼荼羅」を見たくなる時があります。

では,今回はここまで
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