10月になると,播州では秋祭りが各地で行われる。
収穫を感謝するというものだと思うけど,そんなこと抜きにして,とにかく“血が騒ぐ”といった感じ。
子どもの時からずっとこの地区に住み,
(引っ越しは結婚の時も含め何度もしているけど,ずっと同じ小学校区)
自分が子どもの時は提灯を持って行った。
中学生の時は,祭りの後は必ずクラスで“祭ごっこ”が流行った。
高校生になっても,大学生になっても,祭には必ず行き,屋台を見た。
あの太鼓の音を聞かないと,やってられない。
当時は女は屋台にも壇尻にも参加できなかった。
でも,男の子を産んだから,子供会の役員として,壇尻について回ったこともあった。
魚吹八幡神社(私たちは子どもの時は,“津の宮”と言っていた。)の祭は,10月21・22日。
今日,地区の人が,“お花”を集めに来た。(お花とは,祭の寄付のことです。)
かつて,私が子供会の役員で(下っ端ですが)お花集めに行ったこともあるし,当然・・・と思っているので,
「ご苦労様です。」とお花を渡します。
でも,この地区にたまたま転勤できた人などは,なんで?と思うでしょうね。
以前,下っ端役員だった私も「私らが出したお花で,あんたらはお酒飲んでるんでしょ。」といやみ(?)をぶつけられたことがあります。
そんなこといわれても・・・と思いました。
地元の人間である私は,だって祭でしょ。と思いますが,答えになっていませんね。
中世では,神護寺領福井荘だったところと,今の魚吹八幡神社の祭の範囲がほぼ重なると,何かの本に載っていたような気がします。
少し前に読んだ『寺院消滅』にもありましたが,寺院より,神社の方がよりいっそう“消滅”の危機にさらされているところが多いそうです。
私が大好きな祭の100年後はどうなっているのでしょう。
こんな事言いましたが,私自身,主人は地元の人間ではなく,祭に興味もなく,そんなことなどもあり,見に行くことはしても,積極的に役員をすることはありません。今もしていません。
勝手な人間ですが,祭は好きです。
収穫を感謝するというものだと思うけど,そんなこと抜きにして,とにかく“血が騒ぐ”といった感じ。
子どもの時からずっとこの地区に住み,
(引っ越しは結婚の時も含め何度もしているけど,ずっと同じ小学校区)
自分が子どもの時は提灯を持って行った。
中学生の時は,祭りの後は必ずクラスで“祭ごっこ”が流行った。
高校生になっても,大学生になっても,祭には必ず行き,屋台を見た。
あの太鼓の音を聞かないと,やってられない。
当時は女は屋台にも壇尻にも参加できなかった。
でも,男の子を産んだから,子供会の役員として,壇尻について回ったこともあった。
魚吹八幡神社(私たちは子どもの時は,“津の宮”と言っていた。)の祭は,10月21・22日。
今日,地区の人が,“お花”を集めに来た。(お花とは,祭の寄付のことです。)
かつて,私が子供会の役員で(下っ端ですが)お花集めに行ったこともあるし,当然・・・と思っているので,
「ご苦労様です。」とお花を渡します。
でも,この地区にたまたま転勤できた人などは,なんで?と思うでしょうね。
以前,下っ端役員だった私も「私らが出したお花で,あんたらはお酒飲んでるんでしょ。」といやみ(?)をぶつけられたことがあります。
そんなこといわれても・・・と思いました。
地元の人間である私は,だって祭でしょ。と思いますが,答えになっていませんね。
中世では,神護寺領福井荘だったところと,今の魚吹八幡神社の祭の範囲がほぼ重なると,何かの本に載っていたような気がします。
少し前に読んだ『寺院消滅』にもありましたが,寺院より,神社の方がよりいっそう“消滅”の危機にさらされているところが多いそうです。
私が大好きな祭の100年後はどうなっているのでしょう。
こんな事言いましたが,私自身,主人は地元の人間ではなく,祭に興味もなく,そんなことなどもあり,見に行くことはしても,積極的に役員をすることはありません。今もしていません。
勝手な人間ですが,祭は好きです。