ATSUー歴女(おばさん?)のひとりごとー

見たこと・聞いたこと・ちょっと調べたこと,気ままに「My 日記」として書いています。

お花

2015-09-27 16:10:30 | 日記
10月になると,播州では秋祭りが各地で行われる。
収穫を感謝するというものだと思うけど,そんなこと抜きにして,とにかく“血が騒ぐ”といった感じ。
子どもの時からずっとこの地区に住み,
(引っ越しは結婚の時も含め何度もしているけど,ずっと同じ小学校区)
自分が子どもの時は提灯を持って行った。
中学生の時は,祭りの後は必ずクラスで“祭ごっこ”が流行った。
高校生になっても,大学生になっても,祭には必ず行き,屋台を見た。
あの太鼓の音を聞かないと,やってられない。

当時は女は屋台にも壇尻にも参加できなかった。
でも,男の子を産んだから,子供会の役員として,壇尻について回ったこともあった。

魚吹八幡神社(私たちは子どもの時は,“津の宮”と言っていた。)の祭は,10月21・22日。
今日,地区の人が,“お花”を集めに来た。(お花とは,祭の寄付のことです。)

かつて,私が子供会の役員で(下っ端ですが)お花集めに行ったこともあるし,当然・・・と思っているので,
「ご苦労様です。」とお花を渡します。
でも,この地区にたまたま転勤できた人などは,なんで?と思うでしょうね。
以前,下っ端役員だった私も「私らが出したお花で,あんたらはお酒飲んでるんでしょ。」といやみ(?)をぶつけられたことがあります。
そんなこといわれても・・・と思いました。
地元の人間である私は,だって祭でしょ。と思いますが,答えになっていませんね。

中世では,神護寺領福井荘だったところと,今の魚吹八幡神社の祭の範囲がほぼ重なると,何かの本に載っていたような気がします。

少し前に読んだ『寺院消滅』にもありましたが,寺院より,神社の方がよりいっそう“消滅”の危機にさらされているところが多いそうです。

私が大好きな祭の100年後はどうなっているのでしょう。

こんな事言いましたが,私自身,主人は地元の人間ではなく,祭に興味もなく,そんなことなどもあり,見に行くことはしても,積極的に役員をすることはありません。今もしていません。

勝手な人間ですが,祭は好きです。
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熊野勧進十界曼荼羅ーなぜ,地獄絵に鳥居があるのですか?

2015-09-25 14:32:11 | 歴博
先日,元歴博・小栗栖先生の『図説 地獄絵の世界』について少し書いた。
この本には,歴博にある「熊野十界勧進曼荼羅」について詳しく書かれている。
複製なら,いつでも,間近に見ることができる。

先週の歴博ボランティアの日,合間に熊野について調べた。



和歌山県立博物館
 『世界遺産登録10周年記念特別展 熊野 ー聖地への旅ー 2014年』より


神々は熊野の環境の中で神話・説話・伝承として出現した。

それが,神と仏がつながった。
本宮・新宮・那智山の神が,「三所権現」というまとまりをもって確認できる初例は11世紀後半。
それ以前の平安時代半ばから3つの聖地の融合は徐々に始まった。
その頃の三山はそれぞれ法華経を信仰する修行者が集まって神仏習合の場ともなっていた。
かつて雄大な自然に神の存在を感じて成立した熊野の聖地は,仏教と深く融合する中で,熊野三山として新たに捉え直されていき,地方神からの脱却を果たす。
本宮の本地仏は阿弥陀如来,垂迹神は家津御子大神(けつみこおおかみ)というように
熊野の参詣は現世を離れ,浄土に赴き,減罪や現世利益,後生安穏を願う山岳修験の擬死再生の修行として行われた。

上皇の熊野御幸,白河9回,鳥羽21回,後白河33回,後鳥羽28回

時代は変わり,明治
神仏分離,
神道国教化,
廃仏毀釈,
熊野三山も境内から仏教色が排除された。

明治39(1906)年,内務省 神社合祀政策
小社を整理して跡地を払い下げ,統合した神社を整備して尊厳を保ち,人々の精神的統合の核とするという趣旨
実際は昔からの集落の結束力を弱めて,新たな町村制に基づく,行政の単位の統合
神社行政を円滑に
明治39年に5819社あったのが,明治43年には609社になった。


「なぜ,地獄絵に鳥居があるのですか?」
これは,小学生の質問だそうです。
「神仏習合」
と答えてしまえば,簡単。

熊野の知識をちょっとだけ入れ,改めて,地獄絵を見る。

小栗栖先生の『図説 地獄絵の世界』
歴博にある「熊野十界勧進曼荼羅」

勉強やり直し

ボランティアの大先輩の一人が言っていた。
お盆前になると,老人会やデイサービスの団体さんがこの熊野十界勧進曼荼羅の話を興味を持って聞くそうです。
先日,「ちょっと,いす並べて。他は説明いらんから,この曼荼羅の説明詳しくして」と言われたそうです。

じっくり見よう

コメント (1)
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室津再発見・・・恥ずかしながら,50を過ぎて

2015-09-21 07:31:12 | 日記
昨日,久しぶりに室津にちょこっと行きました。

前行った時は,牡蠣のシーズンだったので,車も人もいっぱいでしたが,今日は駐車場に車もほとんどなく,のんびり歩いてきました。


まず気になったのが,「金比羅神社」
新しい小さなお宮があるだけでしたが,海には金比羅さんなんですね。
そういえば,網干の興浜にも金比羅神社はあります。
やはり,海です。今は埋め立てたから,海岸線からは遠いですが・・・


話は戻って,室津


見性寺
国の重要文化財に指定されている毘沙門天があるそうです。
・・・・子どもの時に見たような気がする。・・・違うかもしれない・・・
おじいちゃんのお墓があのあたりにあったような気がする
・・・・でも,見性寺は臨済宗?黄檗宗?
「神社・仏閣マップ」にはそう書いてあった。
でも,おじいちゃんの家は浄土真宗大谷派って聞いていたし・・・。
あそこにお墓があるだけで,お寺は別の場所かもしれない。


賀茂神社
昔,子どもの時,クマゼミをたくさん捕ったところ

いつのまにか,
平清盛が立ち寄ったところであることをアピールしていた。
でも,本当に立派な神社です。まるで,京都かどこかにある神社のようです。


他,浄運寺や
いろんなお寺をちょこっとのぞきました。

道が狭い。平地が少ない。
お寺は,狭い道の坂をちょっと登ったところにあります。
すべてがそうというわけではないのでしょうが,
そんな感じがします。

そして,まるで民家のよう。
昔はどうだったか知りませんが,
今は,立派な伽藍があるわけでもないし,広くない。

そのわりには,見性寺の毘沙門天のように,文化財として立派なものがある。


ちょっと見ただけで,こんな風にまとめてしまうのは,厚かましいとは思うのですが。


子どもの時,小さな田舎の漁村と思っていました。
でも,父が,
「室(室津)は,なあ,・・・」
足利尊氏や江戸時代の参勤交代の話と続きました。
子どもの時の私は,
「またまたお父さんは,オーバーなこと言って」と思っていました。

最近です。
室津を「再発見」したのは。

きっと天然の良港だったのでしょう。
姫路藩の飛び地として,たくさんの本陣や廻船問屋があったのでしょう。

今回は,嶋屋(室津海駅館)等,資料館には行きませんでしたが,またの機会に




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そういえば・・・神社の隣に真言宗のお寺

2015-09-14 09:34:19 | 日記
先日行ったけんか祭で有名な松原神社の隣にあったのは,真言宗のお寺でした。

網干の魚吹八幡神社の隣にも真言宗のお寺があります。
津宮山徳寿院。
「もとは,魚吹八幡神社の神宮寺だった。」と『網干を歩く』に書かれていた。
そして,住職のお話。
「当院は神宮寺であるので,一宗一派の信仰にとらわれずどなた様でもお気軽にお参りください」

神仏習合 (岩波新書) 新書 – 1996/7/22
義江 彰夫 (著)

たまたま主人が図書館で借りていたけど,
夫婦二人そろって「おもしろいね。手元に置いておきたい。」

今日,ネットで注文しました。
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楽太鼓 朝日山大日寺 鰐口はありません

2015-09-13 16:43:41 | 日記
昨日の土曜日,近くの朝日山大日寺に行ってきました。
やっと涼しくなったから,山登りも快適でした。


朝日山大日寺は真言宗の寺院。
でも,『網干を歩く』によると,鎌倉時代は,播磨における浄土宗布教の中心になっていたそうです。


正面ではなく,車道の方から登ると,道の山側には,仏様がぽつり,またぽつりと点在。
ん,・・いいですね。

すると,鳥居が2つ
「ここでも,神仏習合だね」と思いながら,階段を上り,鳥居をくぐっていくと,そこにあったのは,
“歓喜天”だそうで・・・
え?
天って一応仏教でしょう?
何で鳥居?

そして,いかにも新しそうな涅槃像と,ちょっと古そうな石仏,そして,本堂へ

本堂もお隣の弥勒堂も中を拝むことができました。

今度は,本堂の中を見てびっくり
どっかで見たことがあるような仏具?

家に帰ってから調べると,
たぶん“楽太鼓”です。
そして,どっかで見たことがある・・・英賀神社でした。

じゃあ,楽太鼓は仏具ではないのでしょうか?

そういえば,大日寺には,鰐口はありませんでした。
でも,今まで見た(数少ないですが,)神社・寺院で考えると,
鰐口があるのは,神社や真言宗の寺院・小さなお堂。
浄土真宗の寺院にはない。

楽太鼓は,真言宗の寺院や神社にある。


・・・・・・・
と言うことは,この前読んだ『神仏習合』によると,
神社と真言宗とは関係が深い。
鰐口も楽太鼓も神仏習合?


日本人は宗教に寛容だといわれる。
というか,
時代により,時代に合わせて宗教も変化する。


江戸時代の寺請制度や,明治の廃仏毀釈をもっと勉強しないと・・・・ね。


でも,ちょっと何か見えてきた気がする。
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