ATSUー歴女(おばさん?)のひとりごとー

見たこと・聞いたこと・ちょっと調べたこと,気ままに「My 日記」として書いています。

神仏習合 松原神社と松原山八正寺

2015-08-31 07:14:33 | 日記
ちょっと涼しかった昨日,ふらっと松原神社へ。
灘のけんか祭で有名な松原神社です。

車を降りて,正面から入らずに,何となく横・東側にまわると,真言宗の寺

松原山八正寺

帰ってからちょっと調べると,明治になるまでは,神仏習合で,松原神社と松原山八正寺は一つだったらしいです。

官兵衛の時代には,広大な寺領は秀吉側につかなかったから,
(敵対もしなかった)減らされたとか。
(千石あった寺領が60石に減らされた。と,山陽電車のホームページに載っていました。)


神仏習合 (岩波新書) 新書 – 1996/7/22
義江 彰夫 (著)


何と主人が今読んでいました。(近くの神社や寺院巡りばかりしている私に触発された?)
ちょっと難しい・・・と言っていますが,読み終わったら,借りよっと。


PS.次の古文書テキストは播磨国飾西郡青山村(現在の姫路市青山)です。
我が家から車で20分くらいです。
今度は前の「凶年記」よりも読みやすそうです。
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「凶年記」 やっと課題提出

2015-08-26 14:17:57 | 古文書
古文書の課題,「凶年記」やっと今から提出します。

長い文章にめげそうでしたが,なんとか,とりあえず課題を仕上げました。

江戸時代の飢饉や「騒動」リアルに書いているわけですが,
「死なぬよう,生きぬよう」を思い出しました。
そこが中世との違いです。

そういえば,久しぶりにJMOOCのホームページを見ると,法政大学教授・田中優子氏の「江戸文化入門」が来年1月開講されるようです。
家にも田中氏の『カムイ伝講義』があります。
1月までには読みたいです。

さて,通信教育で一人で古文書の勉強をしているわけですが,ちょっと読めるようになってくると,一人ではなく,古文書講座みたいなものに参加してみたくなります。でも,たいてい日曜日に講座があるので,介護等をしなくてはいけない私にはなかなかできません。残念です。



ちょっと最近,広げすぎ?
歴博ボランティアでしょ,
歴博の特別展「北前船」や特別陳列「播磨国風土記」も気になるし,
JMOOCの本郷和人氏「日本中世の自由と平等」はもうすぐ始まるし(2回目),
古文書も気になるし,


結局,どれもいい加減・・・

でも,歴史に浸りたいだけだから,・・・いいですよね。
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龍門寺 河野太通老大師とお地蔵さん

2015-08-23 16:36:50 | 日記
 昨日の朝日新聞夕刊に,網干浜田の龍門寺(りょうもんじ)の河野太通(こうのたいつう)・臨済宗妙心寺派元管長(85)のことが載っていました。
 
安全保障関連法案反対の声をあげている,もと花園大学学長・もと伝統教団でつくる全日本仏教会の会長らしい。
太平洋戦争時の仏教を反省し,今,行動しているようです。

そんなすごい人が,網干にいると言うだけでビックリ。(詳しくは,朝日新聞8月22日夕刊をご覧ください。)


今日,久しぶりに子どもと龍門寺へ

あれ?いつも閉まっているところが開いている。
門とか,地蔵堂とか

そこでお掃除されていた方に,尋ねると,毎月23日はお地蔵さんの日(と言う言い方はしなかったなあ。なんておっしゃったっけ?すみません。)
23日は朝からお経をあげたりしたいるらしい。


河野太通老大師(とホームページでは呼んでいた)とお地蔵さん

今日のなんか・・・不思議なできごと?でした。






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播磨風土記 その2

2015-08-22 10:05:55 | 歴博
昨日は,歴博ボランティアの日。

電車1本乗り遅れ,5分遅刻。すみません。

すでに,職員の方も,先輩ボランティアさんも団体さんの解説の準備中。

いつもの本の部屋に行くが,その手前で遅刻しているのに,のぞき見。
のぞき見した場所は工房と言って,今度,播磨風土記の展示するところ。

職員の方が,展示の打ち合わせ中。


あ,・・・あわてて,本の部屋へ。

播磨風土記に関する本が5,6冊積んであった。



そういえば,

高校の時,文化祭でした劇(私は演劇部でした。)
播磨風土記をもとにした劇でした。
大和が播磨に攻めてきて,
播磨のきれいな女性が大和に連れて行かれ,皇子に見そめられたけど,お願いして播磨に帰してもらった・・・そんなお話しだったような。

私の役は,播磨で古墳をつくらせている人
今考えると,播磨の人間だったのに,大和に与したのでしょうか?大和から派遣されたのでしょうか?

古墳をつくると言うことは,大和に従ったと言うこと。

「古墳は見よう見まねで勝手に造ったものではない。倭王権の政治中枢と地方の権力者たちがさまざまな関係を結び,古墳築造には一種の許認可があったと考えられます。その関係とは,婚姻,貢納や出仕など,倭王権への貢献度に応じた差配があったのでしょう。」(たつの市教育委員会教育事業部 岸本道昭「古墳が語る播磨」)


家に帰って,主人に話すと,
日本古典文学大系『風土記』が出てきた。(岩波書店1958年第1刷 1983年第26刷)
見開き右は漢字ばかり。左は書き下し文。
「のってる,のってる,知っている地名が」と主人。
読む根性が私にあるかしら・・・。
解説本を買おうかなあ。
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播磨国風土記編纂1300年

2015-08-20 11:35:08 | 歴博
10月9日から「播磨国風土記 特別陳列」が歴博で行われる。

編纂されたのは,1300年前だが,内容は,神の時代から書かれている。

「友の会だより」の
ひょうご歴史研究室研究コーディネーター 坂江渉氏の「播磨の神々と信仰の世界ー『播磨国風土記』を素材にして」によると,

『播磨風土記』には,「伊和大神」の神話群の話がある。
伊和大神は,記紀神話にはみえない播磨独自のローカル神で,荒々しい神だが,国作り・国占め・求婚のため,播磨各地を巡行する神らしい。
しかしこの神は変化する。
荒ぶる神の怒りや祟りが抑えられ,地域守護神にかわる。
しかも,神を鎮めまつった祭の主体は渡来系氏族など,畿内からの外来集団。
畿内の中央勢力による計画的な播磨支配の一端を語る史料として読み解ける可能性が出てくる。・・・とある。


古代にはあまり興味がなかった私ですがも,この話はおもしろい!!

特別展示では,播磨国風土記のどの部分が見られるのかわからないけど,
「伊和大神」に会いたいね。
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