ATSUー歴女(おばさん?)のひとりごとー

見たこと・聞いたこと・ちょっと調べたこと,気ままに「My 日記」として書いています。

日本美術は自由だ!&江戸あばんぎゃるど

2019-01-30 11:09:10 | 日記
今日は,(今日も)独り言です。


私は正直言って,美術たるものがわかりません。

でも,絵を見て,「ほおっ~!」と思ったらいいのではないかと。


『和楽』:2.3月号 「日本美術は自由だ!」
「教えてコバチュウ先生! 「日本美術」ってなんですか?」
コバチュウは,小林忠さん
「平和で楽しい江戸時代が日本美術を変えた!」の中で,
「武家や朝廷の美術を支える家は,
 狩野派,土佐派,その門弟たちが,血筋でアートを繋いでいた。
 ところが庶民は本当に好きな人がどんどん出て来るんですよ。
 (中略)
 絵を描くことが好きで好きでたまらないっていう人たちが出てくるんだから,
 いい絵ができるのはあたりまえなんですよね。」


BSプレミアム「江戸あばんぎゃるど」第二回「ガラスを脱いだ日本美術」
この中で,
屏風を美術館のガラスの中ではなく,
茶室(だったかな?)の中に置くシーンがありました。
すると,まるで3D,立体的になります。
そして,自然の光が畳に反射して,屏風にあたります。
朝の雨の時の屏風の絵,
日が差してきた時の屏風の絵,
夜の絵,
違うのです。
あたりまえですが,美術館とは,目の高さも違います。
年末に京都の養源院で見た
俵屋宗達の絵を思い出しました。
やっぱり,お寺にある絵が見たい。

詳しいこと(あんまり詳しくないかな?)は,NHKホームページを見てください。

そういえば,日本人の動植物に対する見方と
西洋人とでは,全く違うと言っていましたね。
「趣味どきっ!」では,
「国芳は猫が本当に好きだから,あの猫の絵が描ける。」
というようなことを言っていましたが,
共通するものがあるように思います。


ところで,

東京では
江戸のアバンギャルド一挙集結!
「奇想の系譜展」,やっているんですよね。
大阪か神戸に来てくれないかしら。
せめて,京都。

でも,今年4月終わりごろから
兵庫県立歴史博物館で「五大浮世師展」(?)をするようなので,楽しみです。

お寺で絵が見たい・・・,と矛盾するようですが,
いや,浮世絵は街や家で見るもの?







コメント (4)
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BSプレミアム「英雄たちの選択:承久の乱」:坂井孝一説&本郷和人説

2019-01-25 14:14:03 | 日記 テレビ
昨年12月,中公新書で,坂井孝一氏が『承久の乱』を書いたかと思えば,
今年1月,本郷和人氏が文春新書で『承久の乱』

こりゃ,おもしろい!と
坂井孝一氏の『承久の乱』を図書館で予約,
本郷和人氏の方も予約しようと思ったのですが,
なんせ出版されたばかりで,まだ図書館にはない・・・。
ということで,
本郷和人氏の『承久の乱』を注文。
明日コンビニに届きます。
注文したのは,昨日・木曜日朝。
BSプレミアムの「英雄たちの選択」で承久の乱をやると知って,
売り切れる前に・・・と注文。
読み比べると面白いかも・・・と歴女(歴おばさん)は思ったのです。


前置きはともかく,
「英雄たちの選択」では,
後鳥羽上皇に焦点を当て,承久の乱を見ていきます。
ゲストの一人に本郷和人氏,
本郷氏は,承久の乱を「戦いの本質は「在地領主vs.朝廷支配」」と位置付け。

坂井孝一氏はVTRで登場。
坂井孝一氏がVTRの中で
「北条義時は情報操作を行った。
 後鳥羽上皇は義時を討て,と言った。
 後鳥羽上皇は,義時を排除すればいいと思っていた。
 なのに,義時と政子は,幕府を討て,にすりかえた。」
というようなことを言うと,
本郷和人氏は,
「鎌倉幕府は“源頼朝とその仲間たち”だった。
 頼朝後,血みどろの闘争を繰り広げる中で,義時に正当性を与えることになり,
 “北条義時とその仲間たち”となった。
 だから,義時を討て=幕府を討て,だった。」
と反論。

こりゃ,2冊の本を読み比べないといけませんねえ~!(笑)

なぜ,天皇はなくならなかったのか?という話には,
本郷和人氏
「どうやって土地所有を正当化するのか。
 御家人たちは荘園制を乗り越える論理を組み立てられなかった。」


私の歴女の始まりは,
父親が歴史のおはなしをよく聞かせてくれたことにあると思いますが,
自立した?歴女の始まりは,
高校の時に見た大河ドラマ「草燃える」,
永井路子原作,主人公は北条政子です。
(歴史学をかじったのは,大学時代です。)

楽しみ楽しみ。

PS.全く関係ありませんが,
今朝,マイナス4等級の金星とマイナス2等級の木星の写真を携帯で撮りました。
1月31日・2月1日にはこれに細長い月もいっしょに見ることができるそうです。



PS.坂井孝一『承久の乱-真の「武者の世」を告げる大乱 』(中公新書)
坂井 孝一やっと図書館予約の順番が来て借りれた本。
ざっと読んだだけなので,いい加減なことを書いていたらすみません。
ちなみに,先に本郷和人氏の『承久の乱』を読んでいます。
本郷氏の方は,在地領主や荘園制など経済的な観点からの視点が中心だったように思います。
坂井氏の方は,院政の成立から丁寧に説明し,後鳥羽上皇の視点から見ていたように思います。
私が大学生だった頃は,経済から歴史を見ていた時代なので,
本郷氏の方がすとんと納得しました。
本郷氏の本はたくさん読んでいるからかもしれません。
変な感想,失礼しました。
(読書メーター感想より;5月28日追記)

 




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ふらっと京都:その3 京都国立博物館周辺の秀吉の遺跡写真

2019-01-23 13:59:20 | 日記
ふらっと京都に行ったのは,1か月も前。
いろいろ忙しかったり,違うことしていたり,
もう京都のことを書くのはやめようかとも思ったのですが,
やっぱり楽しかったので,
「秀吉の遺跡写真」ということで,
写真をはってまとめようと思います。
秀吉以外のことも,いっぱいあるのですが,
書き出すとまた時間が無くなって,中途半端になるので,
今回は写真3枚。

養源院の後,京都国立博物館へ

①方広寺大仏殿所用鉄輪


京都国立博物館の西の庭にありました。
秀吉創建の方広寺大仏殿の建築部材です。
巨大な建築物を支える太い柱をこうした鉄の輪が固定していたそうです。
写真手前は,江戸時代の東海道車石です。


②五条大橋橋脚桁


天正17年(1589年),秀吉が鴨川にかけた大橋の橋脚です。
京都国立博物館の西庭には,このような礎石や石仏などが野外展示されています。
私はこの庭のベンチに座ってお昼ご飯,コンビニパンを食べました。
(食べてもよかったのかな?)
暖かかったので,気持ちよかったです。
この後,博物館に入りました。


京都国立博物館の後は,三十三間堂へ


③方広寺大仏殿南大門と太閤土塀

三十三間堂のすぐ南からの写真です。
南大門は慶長5年(1600年)建造と推定されているそうです。
それに先立ち,天正期に秀吉が東大寺を模して発願した方広寺は,
文禄4年(1595年)に竣工。(京都国立博物館一帯)
この門は,大仏殿の南門,
築地塀は蓮華王院(三十三間堂)をも方広寺に取り込み,
その南限を区画する目的で設けられました。


今度は京都の
どのあたりに行こうかな~!





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兵庫県立歴史博物館「近現代兵庫の災害史」

2019-01-19 11:17:27 | 歴博
昨日,兵庫県立歴史博物館で「近現代兵庫の災害史」を見てきました。
前々回,ホームページに載っていた「大坂神戸兵庫湊 大津浪之新聞」の翻刻を載せましたが,
見にくかったところ,間違っているところもあるので,近いうちに訂正します。(少々お待ちください。)

さて,今回の展示,
一番のポイントは,
平成7年1月17日の神戸新聞夕刊だと思います。
神戸新聞社も地震で大きな被害を受け,新聞製作が不可能になったため,
夕刊は京都新聞社の全面的協力により発行されているそうです。


その記事の見出し
「近畿で大地震」
そして,
「死者203人 不明331人」
「家屋倒壊や火災」「JR全線不通」
写真は「高速道崩壊」

まだまだ地震の被害の大きさがつかめていなかったことがわかります。

(あの日,我が家も揺れて,(姫路は震度4でしたが)
 びっくりして,テレビをつけても,
 うつるのは京都や大阪ばかり。
 神戸や淡路がテレビになかなか出てこなかったのを覚えています。)


このほか,
嘉永7年の地震に関する「瓦版聞書諸国並大坂大地震つなみ」
安政2年安政江戸地震に関する「地震けん」なども展示されていました。
(もちろん,明治・大正・昭和・平成の地震や水害の史料もありました。)
これらの史料,簡単な解説と翻刻文がついています。
どんなことが書かれているのか,くずし字が読めなくてもわかります。
ちなみに,「瓦版聞書諸国並大坂大地震つなみ」の方が
「大坂神戸兵庫湊 大津浪之新聞」よりも読みにくかったです。
写真撮影可なので,瓦版も翻刻文も写真を撮ってきました。
また,時間のある時に翻刻に挑戦です。
(昨日も,展示のガラスにはりついて(?)翻刻に挑戦してみましたが,
 時間がかかるので,ちょっと恥ずかしくなって中断しました。)

たまたま担当学芸員の先生にも少しお話が聞けましたが,
(いつも担当学芸員の先生がこの場所にいるわけではありません。
 今日19日と20日は14時から解説があります。)
嘉永7年の地震に関する史料は,
「瓦版はあっても,播磨に詳しいものは見当たらなかった。」とのことでした。
残念です。
赤穂については,史料が残っているとのことでしたので,
また,『赤穂市史』を見てみようと思います。



お近くの方,特別展ではないので,史料の数は少ないですが,
ぜひ歴博で「近現代兵庫の災害史」みてきてください。
1月31日までです。
なお,このコーナーは無料です。

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くせのあるくずし:第2回返ってきました。近いうちに第3回提出です。

2019-01-15 15:00:33 | 古文書
今日は1月15日です。
明後日は,阪神淡路大震災24年です。
きっと,今年もお弁当を作りながら,テレビを見て,いっしょに黙とうすると思います。

この件については,後日,
兵庫県立歴史博物館の「近現代兵庫の災害史」を見てから書きます。


さて,今日は・・・,

NHK学園古文書・解読実践コース2018年度第2回課題が返ってきました。
もちろん,「A」です。
今回は先生が,
「よく解読出来ています」と書いてくださいました!

が,正確に言うと,
「よく解読出来ていますが,」です。

何が「が,」かと言えば,

「今回は東北の文書,当地方では今回のようなくせのあるくずしがよくみられるのです。
・・・こうしたくずしもある事を押さえておいて下さいね。」
です。

でも,「よく解読出来ています」はうれしいです。


さて,第3回の「あなたの声」です。
まだ文章はできあがっていませんが,

第3回の課題は,
「新河岸取り立て一件につき済口証文」でした。
既存の船問屋と新興の船問屋の商いをめぐる訴訟の際の「済口証文」です。
昨年は,「阿武隈川新規通船につき願書」がありました。
けっこう,通船や船問屋に関する争いや訴訟があるものだ,と思いました。
「阿武隈川新規通船につき願書」の時は,我が家のすぐ近くの揖保川について書きましたが,
きっと,私が知らないだけで,
揖保川の水運がらみの訴訟もいっぱいあるのだろうと思いました。

いつもは穏やかな揖保川ですが,
昨年7月には豪雨で,揖保川下流の我が家周辺は,「特別警報」が出され,
揖保川も「氾濫危険水位」に達し,
「避難勧告」も出されました。
幸い我が家周辺は,大きな人的被害はありませんでしたが,怖かったです。
現代ですら,こんな状況ですから,
江戸時代はなおさらでしょう。

2つの課題の古文書を読み,
我が家から徒歩2分の揖保川のことを考えました。


 
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