ATSUー歴女(おばさん?)のひとりごとー

見たこと・聞いたこと・ちょっと調べたこと,気ままに「My 日記」として書いています。

松ケ下村庄屋日記&斑鳩寺三重塔

2020-03-16 14:38:18 | 古文書
ただいまNHK学園古文書解読実践コース第6回返却待ち。
第7回はもうできていますが,
第6回が返ってきてから提出します。
先に第7回「あなたの声」です。
(前回と重複しますが・・・)

「松ケ下村庄屋日記」
いつもお世話になっている地元の県立博物館も市立図書館も臨時休館してしまいました。
(市立図書館は指定日に予約本を受け取ることのみ可)
そんな中,まだあいていた(3/6現在)
太子町立歴史資料館(兵庫県揖保郡太子町)で
「松ケ下村庄屋日記」を見ました。
(2月29日に一度見ていますが,
3月6日に資料館の方とお約束してもう一度歴史資料館に行きました。)
そこには,文化12年(1815年)6月の洪水,
7月の大風雨の被害が書かれていました。
資料館の方にお願いすると,
この「松ケ下村庄屋日記」のコピーですが,別のページも見せてくださいました。
(資料館の史料は見せていただけるそうです。
委託されている史料は簡単には見ることができないそうです。)
この日記は明和7年(1770年)から明治4年(1871年)までの記録があります。
展示は災害のページだったので,
他に地震などの記録もあるのではないかと思ったのですが,
私が関心がある嘉永7年(安政元年,1854年)の地震については,書かれていませんでした。
資料館の方は,
「見る人が興味ありそうなページを見えるようにして展示する。」
とおっしゃっていました。
なるほど・・・です。
今,ホームページを見ると,
明日(3/10)から太子町立歴史資料館も休館です。
はやくゆっくり博物館に行けるような日に戻ってほしいです。
(ここまでは3月9日に書きました。)


と嘆いて(?)ばかりいても仕方がない。
ということで,近場の散策 (3月16日)



写真は,揖保郡太子町,斑鳩寺三重塔。
「松ケ下村庄屋日記」の舞台の少し西になります。

太子町立歴史資料館で以前いただいた「斑鳩(いかるが)の文化財めぐり」によると,
聖徳太子みずからが建立したともいわれている寺で,
その後,法隆寺の荘園・鵤荘となり,
法隆寺はここを聖徳太子への信仰の力で治めました。
三重塔は国の重要文化財で,永禄8年(1565年)再建。
枓栱(斗栱:ときょう)(?)の部分は,猿(塔の北西?)や鹿(塔の北東)が・・・。
(他の方位は,よく見えなかった。)



写真は,鹿。
なんせ携帯でとっているので,見づらいです。すみません。

第6回の結果は,後日ここに書き加えます。

と書いてすぐ,郵便・・・
第6回
「ミスの少ない解読」と先生。
いつもと同じ「A」でした。







 
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