ATSUー歴女(おばさん?)のひとりごとー

見たこと・聞いたこと・ちょっと調べたこと,気ままに「My 日記」として書いています。

姫路みなとミュージアム

2018-12-17 10:57:17 | 日記 地域
実は,姫路みなとミュージアムに行ったのは,12月5日のことです。
自分のために,記録を残したいのに,まとめる時間がなくて,
ずいぶん日が過ぎてしまいました。

姫路みなとミュージアムには,いろいろ展示されているのですが,
私が見たかったのは,江戸時代終わりごろ。
嘉永・安政のころの飾磨の様子がちょっとでもイメージできたらいいな,
と思って行きました。


手元にあった資料は,
姫路市教育委員会文化財課の
「文化財見学シリーズ81 『飾磨街道』をたずねて」

その地図を手掛かりに,車で出発!
約15分で,飾磨港周辺駐車場に。
車を止めて,散策すると,
公園に灯台が見えます。
姫路海上保安庁のホームページによると,

「飾万津港には 江戸時代 ,灯明台が設置され,
 明治32年には町立の飾磨港灯台が設置されていたことが判かりました。
 姫路港( 飾磨港 )の発展に伴い,埋め立てが進んだ結果,
 沖に新しい灯台が建設され,港の奥になった灯台を廃止したため,
 明治期の灯台がなくなってしまったようです。」とのこと。
それで,ペーパークラフトの灯台を作ったようです。

で,私が見た灯台は,
「昭和12年に飾磨港西防波堤(現在の姫路港飾磨埠頭の半ばあたり)に
 播磨地方で最初に設置された高さ約10mの丸型,鉄筋コンクリート造りの近代的灯台」
だそうですが,(飾磨海運株式会社ホームページより)
これも,昭和41年に廃止になり,飾万津臨港公園に復元・整備されたもののようです。


姫路みなとミュージアムには,
現在の飾磨港や
平成29年に日本遺産に指定された「銀の馬車道」関連のものが多く,
私が知りたかった江戸時代のものはほぼないのですが,
ミュージアムの職員さん(実は偶然知り合いだった。)がいろいろ教えてくださいました。

ミュージアムの北の窓から見えるのは,
《湛保》
江戸時代,北前船は飾万津の沖に船を止め,
瀬取船等に荷物を積み替え,飾万津に入って来ていたが,
それでは不便。
弘化3年(1846)に湛保を築造。
大型船停泊を可能にした。

ミュージアムのすぐ西隣には,
《姫路藩御台場跡碑》

文久3年(1863)に築造。
大砲4門配備。
異国船発見の際にはここから。

ミュージアム内では,大正時代の飾磨港周辺の地図。
湛保周辺にたくさん「・・・楼」と書かれた建物が載っている。
その職員さん「遊郭や」と。
江戸時代のものではないものの,
なんとなく,雰囲気が・・・。

なぜ今,飾万津かって?
「万事一代記」を書いた人は,飾磨の祭りについても書いているので,
このあたりの人かなあ?と思ったからです。
ペリー来航などについても,書いています。

そろそろ,「万事一代記」を読もうかな?と思いながらも,
自分の解読力のなさを痛感し,先に進めないATSUです。







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2 コメント

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姫路みなとミュージアム (長五郎)
2019-01-06 11:49:18
ATSUどの
 兵庫県立歴史博物館レファレンス利用者です。万事一代記也の天災地震部分について、歴博のある先生が一年前に個人的に釈文にされております。
  
返信する
『万事一代記』 (ATSU)
2019-01-06 14:33:26
長五郎さま,こんにちは!
はじめまして・・・,といいたいところですが,兵庫県立歴史博物館のレファレンス利用者の方とのこと,実は,はじめまして・・・,ではないかもしれませんね。
さて,『万事一代記』苦戦しております。
大まかな意味は分かるような気がするのですが,ちょっとした文字がわからなかったり,また,意味が分かっているように思っていても,わからない文字のために,実は大きく意味を取り違えているかもしれません。
「歴博のある先生」ってだれ?と聞きたいところですが,もう少し頑張ってみます。
「夢と目標は大きく!」;ATSUでした。
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