ATSUー歴女(おばさん?)のひとりごとー

見たこと・聞いたこと・ちょっと調べたこと,気ままに「My 日記」として書いています。

福井荘と文覚

2022-01-13 15:14:22 | 日記 地域
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」が始まりました。
見たいような,見たくないような・・・。
と思いながら,第1回は見ました。
高校生のとき,「草燃える」が大好きで,そのイメージがあるので,
見たくないような・・・となるのです。
義時は松平健でしょ!(でも,今は,清盛,似あっているよね。)
何?あのしゃべり方は!(でも,「草燃える」の時もしゃべり方って言われたような・・・)
やっぱり,史実かどうかはともかく,
「鎌倉殿の13人」でも,
文覚が頼朝に父義朝のしゃれこうべをつきつけて,蹶起を促すんでしょうか?

ということで,
今日は太子町立歴史資料館(兵庫県揖保郡太子町,我が家から車で15分)に行ってきました。

歴史資料館には,常設で「文覚上人書状案」とその返事「左衛門尉定康書状」
(ともに写真,実物は神護寺蔵)が展示されています。


鎌倉時代初め,1186年~91年頃,
福井大池をめぐって,福井荘(神護寺領:ほぼ現在の姫路市網干区・大津区・勝原区)と
太田荘(書状には,「大田」となっています。)
(後白河法皇御領:現在の揖保郡太子町の一部)がもめていました。
太田荘が大池を埋めて田んぼにしようとし,
それに福井荘の田が水不足になると文覚が抗議しているのです。
文覚は,当時,神護寺を預かる立場にいました。

その文面がまあ,何というか,下品!?!

太田荘の橘判官のことを
「あにか妻をまきとりけるもこと 
 わりや,福井の水をぬすむ
 とおもへハ」
(この書状案の別のところにも,
 橘判官が兄の妻を奪ったことも書いています。)
(もちろん,福井荘の170町あまりの田が干上がる・・・等の抗議も書いています。)

その翌日の「左衛門尉定康書状」
文覚の抗議に対して,
橘左衛門尉定康は丁寧な返事をしています。
(橘判官と橘左衛門尉定康は同一人物?)

さて,「鎌倉殿の13人」に文覚は出てくるでしょうか!?!

ということで,
近場で人が少ない(今日は資料館の受付一人と私だけ)の自粛生活(?)再開です。

ちなみに,今日は,
「新型コロナ 兵庫県で905人感染 去年9月以来の900人超」
(兵庫 NEWS WEB 01月13日 14時40分)

きっと,まだ増えるでしょう。

そして今年も,
1.17はテレビに合わせて,黙とうの予定です。



 


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