JR横須賀線北鎌倉駅で下車して山道坂道をポコポコ歩いて、銭洗弁天をあとにしてまだまだ歩く、鎌倉市役所を経てJR鎌倉駅と合体している江ノ電鎌倉駅にたどり着きました。
何という町か知りませんが人でいっぱいの街を過ぎて、ガイド本には鎌倉のシンボルと書かれている「鶴岡八幡宮」へ向かいました。
9月の台風が塩を運んできたとのことで境内の木々の葉がだいぶ傷んでいました。山の中で生活する私は「塩害」というものを知りませんのでずいぶん驚いてしまいました。
鎌倉のシンボルのこのお宮さんには高校修学旅行で訪ねたはずですが何の記憶にも残っていません。大仏様と江ノ島しか思い出にはありません。その後2回ほど訪れていましたので遠くの方からささっと参拝を済ませサヨナラでした。
手前に業者さんが記念撮影するベンチが並んでいます。この辺がベストポジションなんでしょう。すぐそこが舞殿、その奥に樹齢1000年といわれた大銀杏があったはずですが、平成22年9月の台風でボッキン。いま、その後継者(ヒコバエ)が2m位に育ってきているという。30年ぐらいすれば見られるようになるでしょうが私は100歳を超えてしまう。そして石段のを登ったところに本宮が見えます。
静御前は、義経とは切っても切れないひとだったのでしょうか。彼女がこの舞殿で「吉野山 峰の白雪 ふみわけて 入りにし人の 跡ぞ悲しき」と義経を慕う歌を唄い舞ったという。それを頼朝が激怒したと、悲恋物語の舞台のひとつであったそうだ。
鎌倉に武家政権を確立した源頼朝の地元での人気はいかがでしょうか。折しも一方の雄「平清盛」は、NHKの大河ドラマとしてこの一年(平成24年)その生涯が綴られます。かっては「源義経」も取り上げられました。長野県の木曽地方では、旭将軍「木曾義仲」をドラマ化しようと地域が盛り上がっています。頼朝の生涯は、かってNHKの大河ドラマになったのでしょうか。若かりし頃の私は、大河ドラマファンではなかったので知りません。もし、まだ取り上げられていないようでしたら鎌倉の人も冷たいものと、ふと思うのです。
私個人的には、義仲を討ち義経を東北の地に果てさせた頼朝には好印象は持ち得ません。乱世の世、親兄弟も皆敵という時代だったにせよ。