大きな国旗がはためいている広大な墓地にやってきた。
とにかくきれいな墓地であることには驚いた。
どのくらいの時間この姿勢でいるのでしょうか。私は5分と持たないでしょう。アップにしてみた写真が次です。
大きな岩に「FIDEL」フィデルとだけ記された簡素な深緑の大理石の銘板が埋められている。これがあのカストロの墓だ。後で紹介する建国の父のお墓に比べてなんと質素なことか。あの偉大だったはずの人物がなぜ、とふと思う。 このことについて後刻知った。彼は生前自分の名のついたモニュメントや建造物を作ることを禁じていた。と書かれたものを目にした。さすが社会主義国家を築いた戦士の心意気だ。
毎日決まった時間に行われるという儀式、衛兵の交代式に運よく出くわすのでした。
途中で隊が割れたようで3人だけが目の前を通った。奥に数人並んでいる人たちはどこかの国のお偉さんだと教えられた。
この奥での選手交代だ。ここまで来て気持ちが緩んだのか歩調が乱れている。
任務を終えた3人が出てきた。こちらも足並みがそろわないねぇ。
こちらが建国の父ホセ・マルティのお墓。 でかいなぁ。この墓の下が衛兵交代式の引継ぎの場所でした。その3人がお墓の警護に当たるのです。
左に衛兵の足だけ見えている。中央には国旗に包まれた棺。なぜ彼が建国の父なのか調べてみた。よく分かりませんが「1853年生まれの文学者であり思想家。19世紀後半キューバのスペインからの独立運動に参加して 弱冠42歳で命を落としが、社会主義国のキューバでは建国の使徒として崇められている」と書いてありました。「独立に向ける戦いは思想の戦いである」とする彼の思想に、カストロもゲバラも心酔していたといいます。
あのモンカダ兵営襲撃。それ自体は失敗に終わったわけですが、革命の火はその時灯されたのだといいます。当時の革命軍のメンバーも多くここに埋葬されているそうです。
交代式を終えた新しい衛兵さんも写してみました。離れたところから見ると次の写真。
ホセ・マルティのお墓を遠くから眺めて墓地を後にします。
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