丘の上に立つ大江天主堂にやってきた。もちろん世界遺産。ドームのスカイブルーが印象的なロマネスク建築だという優美なたたずまい。
残念ながら教会の中は撮影禁止で写真はありません。教会内部の印象も写真がないがために、忘却の彼方。今になってはここに何も書けません。
フランス人ガルニエ神父は、明治25年32歳でこの地を訪れ、昭和16年82歳でなくなるまで布教に努め、昭和8年にこの教会を完成させた。などと書かれている。
教会の周りをぐるりと回ってみました。まずガルニエ神父像、そして彼の墓地、ルルドの聖母などを見るのでした。
世界遺産の教会には、こうしたルルドの聖母像が見られます。そういえば函館のトラピスチヌ修道院にもルルドこんな聖母像はあった。フランスのピレネー山脈の小さな村の洞穴の中で、14歳の少女の前に聖母マリアが出現した。というのが事の始まりだったそうです。
天主堂の周りには電飾の線がいっぱい、あっちにもこっちにも張り巡らされていた。どこかにライトアップされたものないかなぁ~と探してみたら出てきた。こんなところにお借りすると罰せられちゃうかも、でもきれい。こんな夜に訪ねてみたいものです。
天主堂の近くにあるキリシタン資料館天草市立の「天草ロザリオ館」を訪ねました。
いただいたこの栞の最初のところを拾うと「明治時代に禁制が解かれるまで、厳しい弾圧に耐え忍びながらもおよそ300年間、この地の信者たちは人知れず信仰の火を守り続けたのです」と書き「天主堂の鐘の音が彼方の山々に、入江に響き渡る。大江の人々の心に美しく響き入る。耕す手、勤しむ手が合わさるときその心に映るのは神父への敬慕の念か。はるか遠くキリシタン哀歌が聞こえる」なんて感傷的な言葉もあった。
この館で一番印象深かったのが、この隠れ部屋。それは梯子を登ったところにありました。その時以外には梯子はどこかに隠していたのでしょう。
実物大の祈りのジオラマ。明かり窓が右にあります。光のあたっている正面の柱には十字架が。そんなこと知らずに撮影したら左端にカメラにバッテンしてあった。撮影禁止のところだったのでした。でも焼きついちゃったからここにのっけたい。いただいた栞にもこの画はあるのでした。
キリシタン一揆にかかわる観光は、この後の行程に組み込まれていますが、ここでもその一端に触れるのでした。16歳でキリシタン一揆の総大将に推されたとは、天草四郎ってどんな人物だったのでしょうか。
帰り道、山の中腹に大江天主堂が見えていました。
「夕陽を見たい」の声多数。初めから予定にあったのかどうか知りませんが、天草夕陽八景「十三仏公園の夕陽」と書かれた展望台にやってきた。
与謝野鉄幹と晶子ご夫妻の歌碑があった。 鉄幹 「天草の十三仏のやまに見る 海の入日とむらさきの波」 昌子「 天草の西高浜のしろき磯 江蘇省より秋風ぞふく」
海面を照して向かってくる光の道は、しっかり鑑賞できたのですが、太陽の下に拡がっている雲たちが邪魔してくれて海に沈みゆく姿を見ることはできませんでした。このあとお泊りの天草下田温泉「望洋閣」に向かうのでした。
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