バスで移動です。これから訪れる山裾に張り付いている崎津集落が見えてきた。矢印の所に天主堂があります。
昭和11年に建てられた旅館を改修し、2016年(平成28)に完成した「崎津資料館みなと屋」に入館して崎津集落についてのお勉強でした。潜伏キリシタンとして生きた厳しい歴史などが綴られているのでした。
平成30年 (2018) 日本で22番目に指定された世界遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」のひとつがここ「天草の崎津集落」なのです。これからの旅の数日はこれら遺産を巡る旅となるのです。
海に沿って漁村の中、狭い道を歩き天主堂に向かいます。
旧網元岩下屋「よらんかな」と書かれた休憩所があった。
ここでは花をめでるのではなく、貝をめでるのでしょうか。
崎津天主堂はクリスマス近しで電飾が施されていました。1934年(昭和9)﨑津庄屋役宅跡地に現在の﨑津教会が建てられたといいます。キリシタンが弾圧され絵踏みが行われていた庄屋役宅に、復活の象徴となる教会を建てたいという、この境内にその碑があるハルブ神父の強い願いだったそうです。教会内部は建設当初からの畳敷きであり、祭壇は「絵踏」が行われた場所に設置されたとつたわっているそうです。
教会の中では撮影はできません。こんなものを写してこの地の記念に。祈願「根は伸びる。深く、密やかに。」潜伏キリシタンとして、表向きは仏教徒や神社氏子となりながら、ひそかに信仰を続けていた信者がそこにいたのです。
この教会を後にするにあたって、少し横から撮影してみました。人影はありませんでした。
しばらく歩いて崎津諏訪神社入り口にやってきた。残念ながら石段を上ったところにある神社の写真はありませんが、1805年この地域の多くのキリシタンが摘発された「天草崩れ」といわれる出来事があったと聞いた。キリシタンが検挙された際、信徒たちが所有していた信心具を差し出すよう指定された場所が、ここ諏訪神社だといいます。その足元に先ほど大聖堂で紹介したハルブ神父の記念堂があるではありませんか。
神父の像の反対側を振り返るとマリア様と十字架を付けた家屋。これが旧崎津教会。これ神社のすぐ横なのです。神社側が土地を提供して教会ができたと聞いた。潜伏キリシタンとは遠くかけ離れたほっこりするお話です。崎津天主堂を見た後にこんな歴史を知るのでした。
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