世界の彼方此方へ行きたい

気ままな旅の様子を綴っていきます

銀閣寺(2019京都no13)

2020-03-26 | 近畿

 銀閣寺参道への入り口。駐車場から哲学の道を少し歩いてやってきた。外国の方たちが歩いている銀閣寺橋のたもとには「哲学の道」とは、なんたらかんたらと書いた案内板がありました。

 参道を歩きます。清水寺へ歩く坂道に並ぶ華やかなお店屋さんみたいな雰囲気はありません。人の歩みもパラパラ。

 境内案内図。左隅赤丸のところにありました。

 正式名称を慈照寺といい銀閣寺の名の由来は江戸時代、金閣寺に対し、銀閣寺と称せられることとなったそうです。石柱には慈照寺 (銀閣寺) と彫られている。石畳を歩いた突き当りが総門。 

 銀閣寺垣という高い垣根の中を歩き、中門を抜けるとど~んと目の前に現れるのがこの銀閣寺。縁台のあるところが東側だと聞いた。

 砂をみごとに敷き詰めたきれいな庭「銀沙灘(ぎんしゃだん)」の向こうに慈照寺銀閣。・・・金閣を作った義満の孫にあたる室町幕府八代将軍足利義政により創建され「東山文化の真髄たる簡素枯淡の美を映し「わび」「さび」の世界観を色濃く表現している・・・なんて紹介されている。

 趣ありの松の向こうに隠れている銀閣寺。

 よせばいいのに、またまた足に無理強いして裏山に上ってきた。寺院の向こう街中にポッコリあるお山は吉田山。右手は手前から東求堂、本堂 (方丈) 庫裏が続いている。砂の庭「銀沙灘」に沿って本堂・東求堂の横を通ってきたのにその写真がありません。視線がもっぱら銀閣に向かっていたがためだ。現存する当時の建物は銀閣〈観音殿〉と東求堂(とうぐどう)のみであるという。そんな貴重な国宝「東求堂」を撮影しなかったとは何たることか。それは予習を全然していないがための結果だ。

 少しアップで写してみました。北側となる市街地を背にした銀閣さん。北山文化の神髄といわれているらしい金閣さんにも背を向けていることになる。この寺院は、金閣寺に比べれば観光のお客さんが極めて少ないといってもいいようです。私は、この枯れた姿の銀閣さんの方が好きだ。

 山の中を歩く展望道路はこんなにきれいに整備されていました。

 山を下りてきて錦鏡池越しに見る観音堂 (銀閣) がこちら。義政は縁台から東に位置するこの池を眺めていたのでしょうか。趣深い風景です。

 ぐるっと回りこんで写します。なんとも歴史を覚えるたたずまいだと見えるのですが、2008年に修復していると聞きました。

 観光を終えて参道に向かって銀閣寺を後にします。

 京都北山の鹿苑禅寺 金閣舎利殿と京都東山の慈照禅寺 銀閣観音殿、それぞれのお札をいただきました。

夜の部は自由時間。その夜はまだ長い。京都タワーに上ることとしました。

 夜の街を写しました。手前の明かりのないところは東本願寺とみた。

 こちらは京都駅方面だ。黄色にライトアップされた東寺の五重塔がかすかに望めた。

 

よく歩かせていただいた。この旅での最多歩数がこの数字でした。


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