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コーヴの街歩き(2024アイスランドno12)

2024-09-14 | ヨーロッパ

 午後のコーヴの街歩きには参加するのでした。船を降りたそこから歩き始めるのでした。

 しばらく歩いて振り返ってみると・・・

 海辺に姉弟「アニー・ムーア」の像があった。1877年 (明治10) 生まれのアニーが幼い弟ふたりを連れて、両親と兄が待つアメリカへ旅立ったという。この事だけであれば、大西洋を渡ってのアメリカ移民は当時当たり前のことだったでしょうから、取り立ててどうってことないでしょうが、ニューヨークのエリス島に移民局が開設されての移民第1号として彼女は登録されたというのです。その船には多くの住民が乗っていたでしょうが、第1号とは奇跡という他ないでしょう。移民第1号として登録されたのが1892年 (明治25) 1月1日、その日が彼女の15歳の誕生日だったんですって。てなわけで、この像が有るのが理解できるのです。付け加えて記してみると、ここアイルランド系移民として、あの方「ジョン・F・ケネディ」のケネディ家もこの国を後にしたのだといいます。

 クイーンズタウンストーリーって何だったけ?? でしたが、この建物に入ってからの写真が次に続きます。

   タイタニックのことが何やら書かれている。

 「海の女王タイタニック」サウザンプトンからニューヨーク処女航海、1912年 (大正元) 4月10日出発・・・なんて書かれているようだ。

 クイーンズタウンに入ってみた。旧鉄道駅舎を利用しているといいます。なかでは大量移民時代の歴史やタイタニック号沈没などのパネル展示があるとのことでしたが、入場料を払ってまでの見学は無しでした。

 町並みはカラフルに化粧された家屋が並んでいました。

 

 外観を眺めただけのタイタニック博物館。イギリスのサウザンプトンを出航したタイタニック号の最終寄港地がこの町の港だったというのです。新造船、海の女王は、この港を出てまもなく氷山に衝突して沈没してしまったのが1月15日サウザンプトンを出てからわずか4日目出来事だったのです。1514人が亡くなり生還したのは710人という映画にもなった大惨事。

奥に見えている教会に向けての街歩きが続きます。

 小さな碑といえばいいのか、これもタイタニックがらみだ。翻訳してみたら「処女航海と最後の航海の寄港地。1912年 (大正元) 4月11日」とし「アイルランド移民と命を失ったすべての人々を特別に追悼」などと記されていた。           

 ちょっとスマートなゴミ箱があった。カンもビンもペットボトルや紙など何を放り込んでもいいのでしょうか。ゴミ箱と表示しているほか何も書いてありませんでした。

 お店の壁面には何枚も船の画が掲げられていた。何か曰くありげなお店だけど・・・

 聖コルマン大聖堂前までやってきた。皆さん階段を登っていってしまった。そんな姿を見送りながら、私は恨めしい思いを秘めてひとり退散、船に向けて歩を進めるのでした。

 毎夜のディナーレストランはこのメインダイニングの指定席。

今宵はメキシコ産「コロナ」にした。

コメント
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