凡峰の徒然日記

 日々の出来事や普段考えていることなどを自由に書き記していきます。(山や旅の話題が多いけれど…)

白河以北一山百文

2011年03月26日 | 考えていること
 今般の「東京電力」福島原発事故を考えると、小職は、どうしてもこの言葉に突き当たってしまう。以下、長井市のフォークグループ「影法師」の青木さんのブログより。

 私たちフォークグループ影法師の持ち歌に「白河以北一山百文」というのがある。数年前の東北ゴミ戦争、都市のゴミが東北に押し寄せるという問題を発端として作られた歌である。
 この歌に「白河以北一山百文」というタイトルをつけたのは、ゴミの流入という問題に、戊辰戦争=明治維新の勝者と敗者、中央対東北の構図が端的に現れていると思えたからであった。
 東北にゴミを持ち込むのは、「あそこは遅れている」「山ばかりで人もいないから影響も少ない」「民意も低い」と考えるからであり、それを甘んじて受けるのは、長い間理不尽な扱いを受け身についた「長いものには巻かれろ」という習性と、その代わりの何かを期待するおねだり体質からである。そこには「一山百文」と侮った者の傲慢と、蔑まれた者の卑屈がある。
 今から127年前の明治元年、東北は戦争をしていた。相手は王政復古を成し遂げたばかりの、薩摩、長州を中心とする明治新政府の官軍である。この年の干支は戊辰であったので、この戦争を戊辰戦争という。
 できたばかりでまだ基盤が脆弱な明治新政府は、体制を盤石なものとするため、武力によってその威光を示す必要を感じ、幕府方勢力の追討に乗り出した。細かい経緯は省くが、東北諸藩はこれに強く反発、「奥羽列藩同盟」を結んで独自の北方政権の樹立を目指し、ついに全面戦争に入った。
 東北が西の政権と戦うのは、これで5度目である。蝦夷征伐、前九年・後三年の役、奥州征伐、太閤仕置、そしてこの戊辰戦争。この中で東北が自ら攻め入った戦争は一度もない。すべて西の政権が、東北の支配を目論んで仕掛けてきた征服戦争である。そして、東北はその都度敗れ、敗者の屈辱を味わうことになる。
 前例に漏れず、今回の戊辰戦争も奥羽列藩同盟の惨敗に終った。そして投げ付けられたのが、あの忌まわしい言葉、「白河以北一山百文」であった。白河の関(福島県白河市)から北、つまり東北は一山で百文ぐらいの値打ちしかないと言ったこの言葉は、以後屈辱的なレッテルとして東北に貼りついていく。
 この発言者は不明であるが、東北に進攻した官軍兵士が抱いた、例えば「当秋田僻遠の土地柄(中略)世間よりは諸事開け方凡そ20年程も相後れ」(初代秋田県令島義男・旧佐賀藩士)といった気分が吐かせた言葉だろう。
 彼らの眼には、東北の手付かずの山々が奇異に映ったことと思う。「何故この山々に換金性の高い樹木を植栽し生産性を高めないのか。後れている」と。そういう眼で見れば、東北の山々は一山百文であろう。しかし、縄文文化を受け継ぐ東北の人たちにとっては、それは「宝の山」なのである。人は山に生かされているのだと考えれば東北は豊かだし、山は人のために活用するものだと考えれば、東北は貧しく後れた地域となる。東北と西南日本との間には、縄文と弥生という基層文化の違いが横たわっているのだ。
 127年間、東北は後れた地域として侮辱され、揶揄され続けてきた。私たちも後れていることを恥じ、進んでいる地域と肩を並べられるよう開発を願望してきた。私たちもいつしか西南日本の眼で東北を見るようになり、東北人でありながら東北的なるものを否定するようになっていたのである。今こそその愚に気付くべきであろう。
 127年前、西南日本の諸藩が西欧を真似て造ったこの国は、今や文明の病に侵されて根腐れを起こしている。この国を救えるのは、縄文文化を基層とし、自然と調和して生きてきた東北的な生き方なのだ。
 「一山百文」のはずの東北の山が世界遺産に登録される今日、後れてると言われたらこう言い返そう。後れた者が勝ちになる、と。
 
 東北は決して負けない。

福島県知事の怒り

2011年03月20日 | 考えていること
 原発事故に対する、政府の対応の拙さに福島県知事が怒っている。今朝のTVでも民主党幹部を強く叱責していた。
 以下、福島民報の記事より。
~「情報が遅い。原発災害を今すぐ終結させろ」。佐藤雄平知事は18日、福島市の県自治会館に設けられた県災害対策本部で被災地の南相馬市を視察したばかりの松本龍防災担当相に怒りをぶつけた。顔色を失った松本防災担当相は言葉を失った。
 佐藤知事と松本防災担当は、かつての民主党の同僚国会議員。しかし、大臣を迎えたのは再会を喜ぶ言葉でなく目を血走らせる形相の知事だった。「一刻も早く、原発災害を止めろ。風評被害を食い止めろ。避難所の病人を助けてくれ」。勢いに押された大臣は、顔をこわばらせ「頑張る」と答えるのが精いっぱいだった。終了後の記者会見も早々に切り上げた。
 佐藤知事の怒りは収まらない。大臣との会見内容を伝える記者会見には、勢いづいて予定時刻前に執務室を飛び出した。
 大震災発生から1週間。地震、津波、原発の「三重苦」に加え、本県への風評被害が拡大の一方だ。佐藤知事は会見で「福島県は40年間(原発によって)、電力を首都圏に送り日本経済を支えてきた。日本中が真摯(しんし)に(福島の災害に)向き合ってほしい」と、後手後手に回る政府対応などに注文を付けた。~
 福島県民の生命を預かる最高責任者として至極至極当然である。

東北は決して負けない。

2011年03月18日 | 考えていること
 大地震、大津波、そして原発事故。東北地方は有史以来最大の危機に直面している。この未曾有の危機に、警察、消防、自衛隊、米軍… そして「Fukushima 50」が敢然と立ち向かっている。東北は決して負けない。負けるものか。
~記事より~
 福島第一原子力発電所が深刻な事態に陥るなか、アメリカのメディアからは、現場で懸命に原子炉の冷却に当たっている作業員について、「危険な最前線で努力を続けている」と称賛する声が上がっています。このうち、アメリカABCテレビは、福島第一原子力発電所では、交代で常に50人の作業員が現場で危険な仕事に当たっているとして、「彼らは福島原発の50人・フクシマ・フィフティと(Fukushima50)呼ばれている」と紹介し、家族が、夫や父親である作業員の身を心配していると伝えました。そのうえで、ABCテレビは、原発の危機管理の専門家の「作業員はみずからの命を犠牲にする覚悟で仕事に当たっている」と解説したほか、インターネット上でも「Fukushima50の行為はノーベル平和賞に値する」などの書き込みが寄せられていることが紹介されました。また、アメリカの新聞「USAトゥデイ」は現場の作業員や警視庁の機動隊による原子炉の冷却作業を詳しく説明し、「英雄的な努力」と評価したほか、ニューヨークタイムズ紙は「放射線を恐れない勇敢な作業員」という見出しを掲げるなど、作業員を危険の中、最前線で努力する「英雄」だと称賛する声が上がっています。
 

続 大地震

2011年03月14日 | 考えていること
 夕方、仙台に住む従兄弟から携帯に連絡が入った。家族全員無事とのこと。仙台市の東部に住んでいるのでとても心配していたが… 停電ということもあり、今日まで連絡がつかなかった。
 津波は自宅の床上まで達したのこと。彼自身は宮城県職員なので、職場に居たそうだが、兎も角、家族(両親)の命と自宅が残ったとことは不幸中の幸いだ。
 津波に遭遇した彼の両親は生きた心地がしなかったに違いない。今日、避難所から自宅に行ったそうだが、家の中は目茶目茶、何から手を付けてよいのか分からないと言う。被災された方々にとって、これからの日々が本当に大変なのだと思う。
 

大地震

2011年03月13日 | 考えていること
 11日(金)の午後3時前、大地震が起きた。山形県内は最大震度5強とのことであるが、県庁舎は大きく揺れた。それもとても長く感じた。
 その日は、情報収集等で午後9時過ぎまで職場に居た。山形市内は停電となり、暗闇の中、自宅に帰ってからも不安な一夜を過ごした。
 土、日とも勤務となり、情報収集などを行った。各国の大使館から、被害状況や自国民の安否に関する照会の電話が入ってくる。幸い県内は大きな被害が生じていない。
 しかし、太平洋側は想像を絶する甚大な被害だ。小職は、一昨年、昨年と、岩手、宮城、福島の沿岸を鉄道で回ったが、その街々が大津波に破壊され、多くの方々が犠牲になっている。宮古、大船渡、陸前高田、気仙沼、志津川、女川、石巻、七ヶ浜、亘理、新地、相馬 … とても恐ろしいことだ。我々は明日から通常の仕事などできるのだろうか。隣県の職員として、一刻も早く現地での救援、支援作業を行うべきではないのか。

K氏のこと

2011年03月10日 | 考えていること
 今日、南陽市に住むK氏が小職を訪ねてきた。K氏は78歳、元運輸省のキャリアとのこと。自宅は東京にあるのだが、山形が気に入ってここ十数年赤湯で暮らしている。
 K氏とは、山形鉄道フラワー長井線が縁で5年以上の付き合いになる。どうも、役所関係者からは嫌われているようだ。兎に角、話が長い。今日は5分間という最初の約束が、結局最後は、氏の不健康自慢の話になり1時間近くかかってしまった。
 しかし、小職は高齢の方の昔話や自慢話や世間話を聴くのが嫌いではない。仕事上参考になることも多々ある。氏の場合は鉄道の技術関係に詳しく、実行可能かどうかは別としても斬新なアイデアを色々持っておられる。そして何よりも元気で人一倍行動的なのだ。逆にそれが役所にとって煙たく、また氏の後を付いてくる仲間がいない原因になっているのかも知れない。
 でも、行動的な高齢者が増えることは地域社会にとって大変好ましいことだ。今日も、地域に住む高齢者のパワーを引き出すような取組みを是非お願いします。と最後に一言申し添えた。

地震

2011年03月09日 | 考えていること
 今日の正午前に地震があった。小職の職場は県庁舎の8階にあるが結構揺れた。それも長く感じた。山形は震度4とのことであるが体感的にはそれ以上という感じ。船酔いのような感覚が暫らく続きなかなか回復しない。歳かな。

アントワープ

2011年03月06日 | その他の海外旅行
 という訳で、アントワープの写真見つけました。2003年に訪れた時のモノです。
勿論、ノートルダム大寺院にあるルーベンスの絵見ましたよ。そう、フランダースの犬の主人公ネロがパトラッシュとともに天に召された教会ですね。TVを見て泣きましたね。1975年ですから小学校6年生の時ですね。写真の尖塔がノートルダム大寺院です。いい街でした。またチャンスがあれば行きたいですね。首都ブリュッセルから電車で1時間足らずです。とても近いですよ。

フランクフルト

2011年03月05日 | ドイツ
 折角の土曜日だと言うのに、自宅のパソコンに向かい来年度事業のプラン作りをしている。月曜日に提示しなければならないのだが、職場へ行くのも面倒なので在宅ワークだ。
 兎も角、いろいろフォルダを見ていたら、一昨年のドイツ旅行の写真が出てきた。これは、フランクフルトのレーマー広場だ。フランクフルトと言えば、小職の世代は、アルプスの少女ハイジのTVアニメで記憶に残る街である。(フランダースの犬のアントワープのように。)ハイジが田舎から出てきて大都会でびっくり仰天したのだが、実際はそんなに大きな街ではない。人口約65万人。ダウンタウンは徒歩でも十分回れる。コンパクトで歴史的建造物も多く残る魅力溢れる街だ。ヨーロッパ中央銀行の本部が置かれた金融の街でもある。郊外には国際空港があり、ドイツ、否ヨーロッパの表玄関としても有名。大聖堂の近くのレストランで飲んだビールは本当に美味かったなぁ。

正々堂々

2011年03月05日 | 考えていること
 京大カンニング事件が世を賑わしている。逮捕された少年が山形県出身ということでも驚いたが、何と小職の母校の後輩らしい。我が母校は、決してエリート高校というわけではないのだが、質実剛健を旨とし、県北の雄として歴史と伝統を持つ学校である。 
 彼には猛省のうえにも猛省してほしい。犯罪としては重大ではないのかもしれないが、要は人間性の根本に関わる問題である。社会には守るべき基本的なルールやモラルがある。受験もスポーツも日々の社会生活も「フェア」であることが重要なのだ。
 何事も正々堂々、公正で偽りなく真正面から立ち向かいたいものだ。
  

S県議

2011年03月02日 | 考えていること
 今日県議会の一般質問があり、今期で引退されるS県議が最後の質問に立った。S県議は相当過激な発言をされる方で、石原東京都知事に劣らぬライトウイングだ。
 事前に示される、質問内容(シナリオ)に目を通しただだけでも、これは「放送禁止用語」だなと思われる部分が散見される。
 しかし、小職は嫌いではない。思想信条は兎も角、自分の信念や哲学がしっかりしている。そして、いつも自信を持って発言されている。これは共産党のS県議も同じである。(S県議の場合はウラもしっかり取って発言されるが。)
 優柔不断で「ケセラセラ」な小職には決して真似のできないことで、尊敬すべき方だ。このように、骨太で個性的な県議が去ってしまうのはそこはかとなく寂しい。