凡峰の徒然日記

 日々の出来事や普段考えていることなどを自由に書き記していきます。(山や旅の話題が多いけれど…)

関西の旅の目的は。

2011年12月30日 | 国内旅行
 今回の関西への旅路の主たる目的は、豚息が出場する「第25回全国都道府県対抗中学バレーボール大会」の山形県選抜チームの応援。
 しかるに、25日(日)午後に行われた開会式のみの観戦となった。月曜日から仕事があったからね。で、結果はと言うと、26日の予選リーグは1勝1敗(三重県に勝ち、島根県に敗れた。)で何とか予選通過したものの、翌27日の決勝トーナメント1回戦で愛知県に敗退。今後は、高校でも続けると言うからインターハイでのリベンジを期待。
 ところで、今回は機内から眺望を楽しむことができました。
 往路では、伊勢湾が。右から志摩半島、知多半島、渥美半島。 

 帰路は、遠くに富士山が綺麗に見えました。



法善寺横丁

2011年12月30日 | 国内旅行
 「包丁一本、晒しに巻いて~」とくれば、ご存知、藤島桓夫の「月の法善寺横町」。
25日の夕刻は法善寺横丁を散策した。

 道頓堀から少し南に入ったところ、以外と狭い路地である。

 通りの傍らには「月の法善寺横町」と記された歌碑が。通りの看板は「法善寺横丁」となっているのだが… どちらが正しいのだろう。
 小職の場合、訪れた街の場末の酒場通りを探すのを旅の慣わしにしているが、法善寺横丁の場合、想像とは異なり瀟洒な酒場通りであった。
 

いざ法隆寺へ。

2011年12月29日 | 国内旅行
 翌25日(日)は、早朝から斑鳩の里、法隆寺へ。高校の修学旅行以来だから約30年ぶり。当時はさほど関心もなく皆で写真を撮った記憶ぐらいしかない。
 しかし、今回は違った。

 西院伽藍にある、金堂(左)と五重塔(右)ともに飛鳥時代に建立された国宝。金堂内にはご本尊の釈迦三尊像が安置されている。

 これは東院伽藍にある、夢殿。奈良時代に建立、勿論国宝。そう日本武道館のモデルとなった建物。
 また、平成10年には「大宝蔵院」という宝物庫も建てられ、世界的に有名な百済観音像や玉虫厨子なども飾られている。ただし写真撮影はできない。
 西暦607年に建立されたという、世界最古の木造建築であり我が国最初の世界文化遺産である「法隆寺」、境内は広くゆっくりじっくり回りたいものだ。

日本三景を制覇す!

2011年12月29日 | 国内旅行
 先般予告した、関西ぶらり旅のレポート第一弾。
 12月24日(土)は、大阪空港から、モノレール、阪急、JR、北近畿タンゴ鉄道を乗り継ぎ、日本三景の一つ「丹後の天橋立」へ。実は、前々から行きたかったのだが、中々実現できずにいた。大阪から3時間もかかるからねぇ。これで日本三景(陸前の松島、安芸の宮島)を全て制覇! 48年の歳月を費やし。
 天橋立駅から5分ほど歩き、日本三文殊の一つ「智恩寺」のすぐ脇から出る観光船で対岸へ。そこから丹後一の格式のある「元伊勢籠神社」を通り、ケーブルカーに乗って笠松公園へ。そこで見た眺めがコレだ。

 ここから見た眺めは「斜め一文字」と呼び、天橋立で最も美しい眺望と言われる。この神秘的で美しい姿は、砂州という自然が作りあげた造形美。
 早速、年甲斐もなく「股のぞき」にトライ。

 確かに、天に架かる橋のように見える。
 この日は天候が悪く、大阪へ戻る高速バスに乗る頃には暴風雪状態に。ここは日本海側なのだと改めて実感したのである。

と言う訳で…

2011年12月23日 | ドイツ
 ホテル「ウェスティン・ライプツィヒ」こんな感じです。

ドイツの街探訪 ライプツィヒ

2011年12月23日 | ドイツ
 ライプツィヒ、実に魅力的な都市名ではないか。「菩提樹」に由来すると言う。
マイセンからローカル列車で2時間ほど、旧東ドイツの民主化に向けて先導的な役割を果たした街、ライプツィヒに到着。写真は中央駅前の様子、10分ほど歩くと旧市庁舎やマルクト広場だ。この街は、かつてあのバッハが活躍したところで、ゆかりのトーマス教会やバッハ博物館も近くにある。夕食はマルクト広場に隣接するレストランの屋外で取ったが、土曜日ということで大勢の市民で賑わっていた。
 ところで、この日は、駅に近いウェスティンホテルに泊まったのだが、客室内は広く、贅沢な感じでドイツ旅行中で最も高級なホテルという印象であった。勿論五つ星。値段はフランクフルトやベルリンのホテルより安く(約7,800円)何だかすごく得した気分になったのであった。

この週末は…

2011年12月22日 | 国内旅行
 この週末、JALマイレージを使って、関西へ行ってきます。天気はあまり良くないようですが、何処を訪れるのか? 乞うご期待!

ドイツの街探訪 マイセン

2011年12月18日 | ドイツ
 ドレスデンからローカル鉄道で40分ほど、エルベ河畔の街、マイセンに到着。人口3万人足らずの小さな町。しかし、磁器マイセン焼きは世界的に有名、佐賀県有田市とは姉妹関係にあるとか。
 今回は、時間の都合で磁器工房を見学することはできなかったが、アルブレヒト城を中心とする古い家並みや石畳の道は魅力一杯。中世の面影が色濃く残っている。マルクト広場<写真>も週末とあってか賑わいを見せていた。【2009年8月15日(土)訪問】

初めての海外旅行

2011年12月17日 | その他の海外旅行
 小職が初めて海外に行ったのは、1986年3月、渡航先は今は無き「ソビエト連邦」何故ソビエトなのか? う~ん。怖いもの見たさ? いや多分人と違う所に行きたかったのかな。料金も安かったし… 貧乏学生だったからね。当時の学生は卒業旅行でヨーロッパとか米国とか好んで行ってたからね。モスクワ、キエフ(現ウクライナの首都)、レニングラード(現サンクトペテルブルク)の三大都市を一週間のツアーで回ってきたのだけれどインパクト大でしたね。
 モスクワの地に降り立って空港から市内まで、幹線道路の両脇に例の赤い旗の国旗が間断なく立っていたのは流石に不気味で怖かったですね。ここは地球なのか? ウルトラセブン第43話で見た「第四惑星」に来てしまったのではないかと。それから、ツアーで一緒になったロシア語専攻の東京外語大の学生と夜のクレムリン周辺を散策してたら、急に警察官に職務質問されたり。小職はさっぱり言葉が分からなかったけれど。 
 しかし、良い所も沢山ありました。ソ連のパリと言われたキエフの街の美しさ。エルミタージュの華麗さ。レニングラードからモスクワ行きの寝台特急「赤い矢」号も実に快適でしたね。何より現地ガイドさんがとても美人。ゴルバチョフ時代ということもあり何となく市民には開放的な雰囲気もありましたね。
 帰国して数ヶ月後に、チェルノブイリの悲劇があり、数年後にはソビエト連邦自体が崩壊してしまうとは想像だにできませんでしたが。
 2000年8月に仕事でウラジオストクへ行く機会を得ましたが、ヨーロッパロシアにはまた是非行きたいですね。街の様子や人々の生活も当時とは大分変わったと思いますね。
 最後に、本文とは全く関係ない話ですが、エリツィン時代のロシア連邦国歌が個人的には大好きでしたね。グリンカの歌劇で使われた「愛国者の歌」。知っている人はあまりいないかな。

   

保科 正之

2011年12月03日 | 考えていること
 先日、NHK大河ドラマ「江」の最終回を見た。そうしたら、最後に、名君保科正之(山形藩主、会津松平藩初代藩主)が登場した。幼少時代だけどね。正之は幼名を幸松と言い、2代将軍秀忠の隠し子であったのだ。その幸松が、正室の江に呼び出されるという設定。
 TVを見て感動したのは、子役さんの演技がすごく良かったこと。緊張で手の震えが止まらないなど迫真の演技だった。実際に江と幸松が面会したかどうかは分からないが、面会したとすればそれ以上だったのだろうなと想像してしまう。
 その幸松が、3代将軍家光をしっかりと支え、徳川幕府の基盤を築いたのだから、歴史とは本当に面白いものです。

BCL

2011年12月03日 | 考えていること
 小職が中学生の頃、BCLブームが到来した。
 BCLとは、主に海外の短波放送を聴いて、その受信状況などを放送局にレポートすることにより、放送局が聴取証明書(ベリカード)を発行し、それを収集するもの。
 時のインテリジェンスな男子中学生はそのカード集めに没頭したものだ。今となっては実に高尚な趣味ではないか。
 小職はベリカードこそさほど収集できなかったが、愛機「東芝トライX2000」を机上に配備し、勉強の傍ら、BBC(英国)やDW(ドイツ)、アンデスの声(エクアドル)などの日本語放送は勿論、VOA(米国)等の難解な英語放送をよく聴いたものだ。
 特に、深夜・早朝にアフリカや中近東の難局・珍局をキャッチした時の喜びや感動は、パソコン、携帯しか知らない豚娘や豚息には到底分からないだろうなぁ。
 中南米局が一番難しかったかなぁ、個人的には、放送開始音楽=インターバルシグナル(IS)の美しい、ラジオタシケント(ソ連、今日のウズベキスタン)が好きだったね。当時、共産圏は国威発揚の場として海外放送には力を入れていたからね。
 深夜、手に汗を握りながらアナログラジオのダイヤルを回してチューニング、そして雑音の中から微かにISと母国語訛りの英語のアナウンスが始まる。遠い異国に想いを馳せ、情景を想像しながら耳を傾ける。う~ん、本当に良き時代でしたね。

 

頑張れ! 稀勢の里

2011年12月01日 | 考えていること
 ここ暫らく大相撲に全く関心がなかった。それは日本人力士が弱いことが一番の理由。
 しかし、ここに来て俄然面白くなって来た。それは古風で野武士的な相撲取りが登場してきたこと。新大関「稀勢の里」だ。
 土俵上のふてぶてしい顔つき、鋭い眼光、それは勝負に対する真剣さ、頑固さの表れであり、決して妥協を許さない強い姿勢が見て取れる。
 昇進の口上においても、「有難うございます。謹んでお受け致します。大関の名を汚さぬよう精進します。」と、小難しい四字熟語など使わず、愚直で真摯な態度に好感が持てた。
 稀なる勢い… 来場所は、白鵬を倒して初の賜杯を獲得してほしい。