凡峰の徒然日記

 日々の出来事や普段考えていることなどを自由に書き記していきます。(山や旅の話題が多いけれど…)

南三陸町へ

2017年03月26日 | 国内旅行
休日を利用して、南三陸町志津川へ行ってきました。
復興した「南三陸さんさん商店街」です。大勢の人で賑わっています。

4年半ぶりの訪問です。三陸自動車道が繋がり山形から近くなりました。

青春18きっぷの旅(続き)

2016年08月10日 | 国内旅行
翌日、岐阜県多治見から中津川を経由して奈良井宿(長野県塩尻市)へ。

中山道奈良井宿は、日本一の宿場町とのこと。このような街並が1キロも続きます。

素晴らしいですね。

青春18きっぷの旅

2016年08月10日 | 国内旅行
青春18きっぷを使って、南紀(紀伊半島)、木曽路を回ってきました。

本州最南端の潮岬です。大阪から和歌山を経由して約6時間。結構遠いです。
串本駅から町のコミュニティバスを利用しました。

この日は、津、名古屋を経由して多治見まで行きました。

30年前を訪ねて

2012年10月21日 | 国内旅行
 昨日、立川に住む娘のアパートに泊まった。ふと、小職の学生時代(中央大)の痕跡を訪ねてみたくなり、今朝、ほぼ30年ぶりに、南武線の稲田堤駅から小田急線の生田駅まで歩いてみた。(小職は、最初、小田急線の生田(川崎市多摩区)に住み、その後京王線の京王多摩川(調布市)に住んだ。)

 東菅小、稲田堤駅から歩いて10分ぐらい。建て替え工事中であった。

 寺尾台に向かう途中の柿畑。昔はもっと樹園地が多かったものだ。

 寺尾台団地への坂道。かつては自転車で通学。小職は京王線の稲田堤駅から乗車していたため、行きは楽ちんなのだが、帰りはとてもきつかった。

 そして、小職が最初に住んでいたアパート『宮坂荘』(風呂、シャワー無し)。なんと当時のまま残っていた。今も誰か住んでいるのだろう。それにしても相当老朽化が進んでいる。

 生田駅へ向かう坂道。これもかなりきつい。

 小田急生田駅。橋上駅舎になっていた。

 小職が時々利用した「大むら食堂」。店構えは変わったが残っていた。

 その近くにあった「銭湯」はもう無くなっていた。(スポーツクラブの駐車場になっていた。)

 しかし、驚くべきことに、銭湯の隣りにあった「コインランドリー」が当時のまま残っていた。

 時は移ろい行くもの。南武線も小田急線も高架化が進み、街並みは新しくなりかつての風情は無くなりつつあるが、良いものは残していきたいものだ。



夏の思い出<鉄道編>

2012年10月08日 | 国内旅行
 この夏、青春18きっぷを使って、出雲大社や伊勢神宮を訪れた際の写真から。先ずは鉄道編。

 快速くびきの2号。新潟(14:00発)から直江津(15:54着)まで乗車、車輌は昔の「つばさ」や「やまばと」で使っていたL特急。

 これは、城崎温泉(11:54発)から鳥取(14:17着)までの山陰本線を走るローカル列車。途中、新しくコンクリート橋になった餘部鉄橋を通過。

 松江しんじ湖温泉駅から出雲大社の手前の川跡駅まで乗車した一畑電車。

 これは、時間調整のため、米子から境港まで往復した際に乗車した列車。さすがは水木しげる先生のふるさと。ねずみ男列車だね。

 関西本線を走るワンマン列車。加茂(京都府)から亀山(三重県)間を走っている。

最後は、亀山から伊勢市まで乗車したJR東海のローカル列車。

陸前高田を訪れて。

2012年05月27日 | 国内旅行
 昨日、陸前高田を訪れる機会を得た。
 震災復興の仕事を担当しながらも、これまで現地を訪れる機会が無かった。
 大津波が襲い、街が消失した。

 街の中心部にあった市営体育館の入口。

 そして内部。

 地震の際に多くの市民が避難してきたが、突如大津波が襲い、大勢の市民が亡くなった。
 残されたがれきの山。

 自然の持つ破壊力は人間の能力を遥かに超えている。時には人間を容赦なく襲ってくる。
 人間は自然に対してもっと謙虚であるべきだ。
 これは、福島の原発事故にも言えることだが、人間は科学の力を過信し、いつの日からか自然を畏れなくなってきたのではないか。
 奇跡の一本松。

 だが、その生命は塩害で絶たれた。

 私たち人類は小さな存在であることを実感させられた。
 しかし、自然を畏敬しながらも、復興に向けて全力で取り組んでいかなければならない。
 
 この幸せの黄色いハンカチの下で、多くのボランティアの方々が汗を流しておられた。
 
 大震災のことは、決して風化させてはならない。子々孫々まで語り継ぐ責務を負っている。




大相撲

2012年01月22日 | 国内旅行
 昨日(1月21日)、所用のため東京へ。夕方、両国国技館で大相撲初場所14日目を観戦してきた。
 実は国技館は初めての参戦。中は以外に大きくすり鉢上になっている。観客に外国人が多いことも少々驚き。力士とともに国際化しているんだね。
 小職は、二階席の一番奥の方で観戦(一番安い席)。前日に把瑠都の優勝が決まってしまったが、土曜日ということもあり「満員御礼」の垂れ幕も。お目当ての稀勢の里、琴奨菊ともに敗れてしまい至極残念ではあったが、若手の高安が鶴竜に勝ち、栃乃若がチェコの山ならぬ隆の山に勝つなどなかなかの好取組も。実はこの人気力士同士の取組みが館内で一番盛り上がったかも…
 栃乃若、高安、千代の国、栃煌山など日本人若手力士も徐々に育ってきており、大相撲はこれからますます面白くなりますよ。  

関西の旅の目的は。

2011年12月30日 | 国内旅行
 今回の関西への旅路の主たる目的は、豚息が出場する「第25回全国都道府県対抗中学バレーボール大会」の山形県選抜チームの応援。
 しかるに、25日(日)午後に行われた開会式のみの観戦となった。月曜日から仕事があったからね。で、結果はと言うと、26日の予選リーグは1勝1敗(三重県に勝ち、島根県に敗れた。)で何とか予選通過したものの、翌27日の決勝トーナメント1回戦で愛知県に敗退。今後は、高校でも続けると言うからインターハイでのリベンジを期待。
 ところで、今回は機内から眺望を楽しむことができました。
 往路では、伊勢湾が。右から志摩半島、知多半島、渥美半島。 

 帰路は、遠くに富士山が綺麗に見えました。



法善寺横丁

2011年12月30日 | 国内旅行
 「包丁一本、晒しに巻いて~」とくれば、ご存知、藤島桓夫の「月の法善寺横町」。
25日の夕刻は法善寺横丁を散策した。

 道頓堀から少し南に入ったところ、以外と狭い路地である。

 通りの傍らには「月の法善寺横町」と記された歌碑が。通りの看板は「法善寺横丁」となっているのだが… どちらが正しいのだろう。
 小職の場合、訪れた街の場末の酒場通りを探すのを旅の慣わしにしているが、法善寺横丁の場合、想像とは異なり瀟洒な酒場通りであった。
 

いざ法隆寺へ。

2011年12月29日 | 国内旅行
 翌25日(日)は、早朝から斑鳩の里、法隆寺へ。高校の修学旅行以来だから約30年ぶり。当時はさほど関心もなく皆で写真を撮った記憶ぐらいしかない。
 しかし、今回は違った。

 西院伽藍にある、金堂(左)と五重塔(右)ともに飛鳥時代に建立された国宝。金堂内にはご本尊の釈迦三尊像が安置されている。

 これは東院伽藍にある、夢殿。奈良時代に建立、勿論国宝。そう日本武道館のモデルとなった建物。
 また、平成10年には「大宝蔵院」という宝物庫も建てられ、世界的に有名な百済観音像や玉虫厨子なども飾られている。ただし写真撮影はできない。
 西暦607年に建立されたという、世界最古の木造建築であり我が国最初の世界文化遺産である「法隆寺」、境内は広くゆっくりじっくり回りたいものだ。

日本三景を制覇す!

2011年12月29日 | 国内旅行
 先般予告した、関西ぶらり旅のレポート第一弾。
 12月24日(土)は、大阪空港から、モノレール、阪急、JR、北近畿タンゴ鉄道を乗り継ぎ、日本三景の一つ「丹後の天橋立」へ。実は、前々から行きたかったのだが、中々実現できずにいた。大阪から3時間もかかるからねぇ。これで日本三景(陸前の松島、安芸の宮島)を全て制覇! 48年の歳月を費やし。
 天橋立駅から5分ほど歩き、日本三文殊の一つ「智恩寺」のすぐ脇から出る観光船で対岸へ。そこから丹後一の格式のある「元伊勢籠神社」を通り、ケーブルカーに乗って笠松公園へ。そこで見た眺めがコレだ。

 ここから見た眺めは「斜め一文字」と呼び、天橋立で最も美しい眺望と言われる。この神秘的で美しい姿は、砂州という自然が作りあげた造形美。
 早速、年甲斐もなく「股のぞき」にトライ。

 確かに、天に架かる橋のように見える。
 この日は天候が悪く、大阪へ戻る高速バスに乗る頃には暴風雪状態に。ここは日本海側なのだと改めて実感したのである。

この週末は…

2011年12月22日 | 国内旅行
 この週末、JALマイレージを使って、関西へ行ってきます。天気はあまり良くないようですが、何処を訪れるのか? 乞うご期待!

好きな街

2011年02月26日 | 国内旅行
 日本で好きな街を三つ挙げよ。と言われたら小職は以下の街を挙げますね。(もちろん山形県外ということで。)
・函館
・奈良
・長崎
次点として、松江、鹿児島。
その理由は?
・函館-北海道の玄関口でもあり、江戸時代の最北の街。五稜郭、函館山、路面電車、サブちゃんに代表される演歌の街。その昔、榎本武揚が夢を抱き、土方歳三が散った処。箱館奉行所も復元された。魅力いっぱい。 
・奈良-大和は国のまほろば。東大寺、春日大社、平城宮(復元された朱雀門、大極殿)、コンパクトでかつ歴史を感じさせる素敵な街。
・長崎-エキゾチックな街、長崎湾を囲むように丘の上まで街並みが続く。日本の都市では珍しいかも。思わず、さだまさしの「長崎小夜曲」を口ずさんでしまう。
 と言うことで、写真は函館。ちょうど3年前かな。やはり北の街は冬に訪れるのが一番だね。

貧乏旅行

2011年02月13日 | 国内旅行
 鉄道旅行が趣味であると以前書いたような気がするが、今宵は、昨年8月に夏期休暇を取り、青春18きっぷで西日本を旅した際のショート旅行記。
 山形から京都まで夜行バスを利用。京都駅を起点に、山陰本線で鳥取、松江、萩、下関へ。関門海峡トンネルで小倉へ。下関から岩国、広島、呉へ。そこから、フェリーで松山へ渡り、宇和島、高知、池田、徳島、高松へ。瀬戸大橋を渡って岡山、相生、神戸、甲子園、大阪、和歌山、大津へ。京都から夜行バスで山形へ戻ってきた。宿泊は往復のバス車中と松江、下関、宇和島、徳島のビジネスホテル。
 いろんな思い出があるが、一番はローカル線を満喫できたことかな。宇和島から高知までの四万十川沿いの予土線の車窓は本当に筆舌に尽くし難い。(写真は早朝の宇和島駅。)
 他にも、松江のコンパクトで落ち着いた街並み、萩の美しい城下、下関の海峡タワー、呉の「てつのくじら館」、松山の道後温泉、学生時代の友人との再会、高知桂浜の龍馬像。そして生まれて初めての甲子園。日本には魅力的な街や地方がいっぱいある。
 これで全国47都道府県の中で踏破していない県が残り一つとなった。それは「宮崎県」なのです。

 

函館に行ってきたぞ。

2008年02月17日 | 国内旅行
 体調は万全ではなかったが、「津軽海峡冬景色一人旅」に行ってきた。行きは、高速バスとフェリー、帰りはJR(スーパー白鳥、はやて)に変更。青森は猛吹雪、函館は晴れていたがとにかく寒かった。
 高速フェリー「ナッチャンRera」、函館市電、五稜郭、函館山、八幡坂、函館駅、青函トンネル、はやて… 思い出は色々。
 でもやはり高速フェリーが一番良かった。キャビンは綺麗だし、CAの対応も良い。結構速いし実に快適だ。津軽、下北両半島を左右に見ながら、そして津軽海峡の荒波を受けながらも函館湾に時間通りに到着。キャビンからフェリーターミナルビルへ直接接岸。これぞ正真正銘のボーディングブリッジだ。やはり船旅はいい。将来、北海道新幹線が出来て、カートレインにでもなったら無くなるのかな?何時までも無くならないで欲しいな。