凡峰の徒然日記

 日々の出来事や普段考えていることなどを自由に書き記していきます。(山や旅の話題が多いけれど…)

ウクライナとともに

2022年02月27日 | その他の海外旅行


1986年3月、キエフ市内で撮ったものです。
自由と民主主義のウクライナは、暴力と専制主義には決して屈しません。

インドの旅

2019年12月28日 | その他の海外旅行
平成19(2007)年9月、友人とインドを旅行しました。デリー、アーグラ、ジャイプルの3都市を5日間で回りました。
ご存じアーグラの「タージ・マハル」。世界一美しいお墓と言われています。ムガール帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンとその妃のお墓です。宮殿ではありません。

アーグラ城から望む「タージ・マハル」、ヤムナー河(ガンジス河の支流)の河辺に建てられたのですね。

牛が街なかを闊歩しています。神聖な生き物です。

インドと言えば「コブラ使いのおじさん」ですね。

デリーにある「フマユーン廟」、こちらも皇帝のお墓です。

こちらも定番の「リキシャ」

もう10年以上前になります。なかなかインパクトのある旅でした。



初めての中国

2019年12月07日 | その他の海外旅行

 1992年(平成4年)12月、初めて中国の地を訪れました。この年、山形で国体が開催されましたが、私は企画調整部で国際関係の仕事を担当していました。
 翌年、山形県は中国黒龍江省と友好盟約を締結する予定になっており、その説明と了解を得るために北京の中日友好協会会長を訪問した訳です。
副知事の随行という役割でしたが、いわゆる外交の一端でしたので会長との会見時にはとても緊張した記憶があります。
 写真は翌日、故宮(紫禁城)の前で撮ったものです。当時の北京は空港から市内に至る幹線道路に未舗装の部分があり、馬車が走り、人民服に人民帽、自転車も多く見られました。
 あれから27年、隔世の感がありますね。

アメリカ横断路線バスの旅

2019年12月05日 | その他の海外旅行

 2度目の海外旅行は米国へ。クレムリンに行ったらホワイトハウスにも行かないと… という訳で、1987年(昭和62年)10月、「アメリカ横断路線バスの旅」に出立しました。今から32年前、24歳の時です。
 当時はまだインターネットがなく、情報は全て紙、「地球の歩き方」がバイブルでした。ビザを取るために赤坂の米国大使館にも行きました。もちろん宿はアポなしです。
 スケジュールはざっとこんな感じ。
 【ロサンゼルス(1泊) → ラスベガス → デンバー(1泊) → オマハ(1泊) → シカゴ(1泊)→ ニューヨーク(1泊) → フィラデルフィア → ワシントンDC(3泊)】
 一番の思い出はやはり、グレイハウンドバスの車中でしょうか。特に、ラスベガス~デンバー、デンバー~オマハ、シカゴ~ニューヨーク間は夜行バスでの移動となりました。車窓に広がる西部の砂漠や中部の大平原、地平線から昇る太陽、魔天楼のシルエットなど、何も考えずに車中で過ごす時間は代えがたい至福の時間だったように思います。
 退職したら?またチャレンジしたいと思います。
 なお、「ドイツ鉄道の旅」、「エジプトの旅」のようにブログで当時の写真などを掲載していきたいと思いますが、32年も前のことなので、気が向いたら、ということになるかもしれません。


東西冷戦終結から30年

2019年12月04日 | その他の海外旅行

 東西冷戦終結から30年経ちましたが、最近「新冷戦」という言葉を耳にするようになりました。
 さて、私のブログを辿っていくと以下のような投稿がありました。

『初めての海外旅行』 〔2011年12月17日〕
 小職が初めて海外に行ったのは、1986年3月、22歳の時。渡航先は今は無き「ソビエト連邦」。
何故ソ連なのか? う~ん、怖いもの見たさ? いや多分人と違う国に行きたかったのかな。料金も安かったし… 貧乏学生だったからね。当時の学生の卒業旅行は、ヨーロッパとかアメリカが主流だったからね。モスクワ、キエフ(現ウクライナの首都)、レニングラード(現サンクトペテルブルク)の三大都市を一週間のツアーで回ってきたのだけれど、インパクト大でしたね。
モスクワの地に降り立ってシェレメチェボ空港から市内まで、幹線道路の両脇に例の赤い旗の国旗が間断なく立っていたのは流石に不気味で怖かったですね。ここは地球なのか? ウルトラセブン第43話で見た「第四惑星」に来てしまったのではないかと。それから、ツアーで一緒になった東京外語大でロシア語を専攻している学生と夜のクレムリン周辺を散策していたら、いきなり警察官に職質されて… 言っていることはさっぱり分からなかったけれど。
しかし、良い思い出もいっぱいありました。ソ連のパリと言われたキエフの街の美しさ。エルミタージュの華麗さ。レニングラードからモスクワ行きの寝台特急「赤い矢」号も実に快適でした。そして何より現地ガイドさんがとっても美人。ゴルバチョフ時代ということもあって市民には開放的な雰囲気もありました。

帰国して一ヶ月後に、チェルノブイリ原発の悲劇があり、数年後にはソビエト連邦自体が崩壊してしまうとは想像だにできませんでしたが…
2000年8月に仕事でウラジオストクへ行く機会を得ましたが、ヨーロッパロシアにはまた行きたいですね。街の様子や人々の生活も当時とは大分変わったと思います。
最後に、本文とは全く関係ない話ですが、エリツィン時代のロシア連邦国歌が個人的には大好きでした。グリンカの歌劇で使われた「愛国者の歌」。知っている人はあまりいないかな。

 あれから33年余の歳月が経ち、ここ数年は百名山登山に傾倒していますが、落ち着いたらまたモスクワやキエフを訪れたいなと思っています。






初めての海外旅行

2011年12月17日 | その他の海外旅行
 小職が初めて海外に行ったのは、1986年3月、渡航先は今は無き「ソビエト連邦」何故ソビエトなのか? う~ん。怖いもの見たさ? いや多分人と違う所に行きたかったのかな。料金も安かったし… 貧乏学生だったからね。当時の学生は卒業旅行でヨーロッパとか米国とか好んで行ってたからね。モスクワ、キエフ(現ウクライナの首都)、レニングラード(現サンクトペテルブルク)の三大都市を一週間のツアーで回ってきたのだけれどインパクト大でしたね。
 モスクワの地に降り立って空港から市内まで、幹線道路の両脇に例の赤い旗の国旗が間断なく立っていたのは流石に不気味で怖かったですね。ここは地球なのか? ウルトラセブン第43話で見た「第四惑星」に来てしまったのではないかと。それから、ツアーで一緒になったロシア語専攻の東京外語大の学生と夜のクレムリン周辺を散策してたら、急に警察官に職務質問されたり。小職はさっぱり言葉が分からなかったけれど。 
 しかし、良い所も沢山ありました。ソ連のパリと言われたキエフの街の美しさ。エルミタージュの華麗さ。レニングラードからモスクワ行きの寝台特急「赤い矢」号も実に快適でしたね。何より現地ガイドさんがとても美人。ゴルバチョフ時代ということもあり何となく市民には開放的な雰囲気もありましたね。
 帰国して数ヶ月後に、チェルノブイリの悲劇があり、数年後にはソビエト連邦自体が崩壊してしまうとは想像だにできませんでしたが。
 2000年8月に仕事でウラジオストクへ行く機会を得ましたが、ヨーロッパロシアにはまた是非行きたいですね。街の様子や人々の生活も当時とは大分変わったと思いますね。
 最後に、本文とは全く関係ない話ですが、エリツィン時代のロシア連邦国歌が個人的には大好きでしたね。グリンカの歌劇で使われた「愛国者の歌」。知っている人はあまりいないかな。

   

アントワープ

2011年03月06日 | その他の海外旅行
 という訳で、アントワープの写真見つけました。2003年に訪れた時のモノです。
勿論、ノートルダム大寺院にあるルーベンスの絵見ましたよ。そう、フランダースの犬の主人公ネロがパトラッシュとともに天に召された教会ですね。TVを見て泣きましたね。1975年ですから小学校6年生の時ですね。写真の尖塔がノートルダム大寺院です。いい街でした。またチャンスがあれば行きたいですね。首都ブリュッセルから電車で1時間足らずです。とても近いですよ。