凡峰の徒然日記

 日々の出来事や普段考えていることなどを自由に書き記していきます。(山や旅の話題が多いけれど…)

好きな街

2011年02月26日 | 国内旅行
 日本で好きな街を三つ挙げよ。と言われたら小職は以下の街を挙げますね。(もちろん山形県外ということで。)
・函館
・奈良
・長崎
次点として、松江、鹿児島。
その理由は?
・函館-北海道の玄関口でもあり、江戸時代の最北の街。五稜郭、函館山、路面電車、サブちゃんに代表される演歌の街。その昔、榎本武揚が夢を抱き、土方歳三が散った処。箱館奉行所も復元された。魅力いっぱい。 
・奈良-大和は国のまほろば。東大寺、春日大社、平城宮(復元された朱雀門、大極殿)、コンパクトでかつ歴史を感じさせる素敵な街。
・長崎-エキゾチックな街、長崎湾を囲むように丘の上まで街並みが続く。日本の都市では珍しいかも。思わず、さだまさしの「長崎小夜曲」を口ずさんでしまう。
 と言うことで、写真は函館。ちょうど3年前かな。やはり北の街は冬に訪れるのが一番だね。

カダフィ大佐

2011年02月26日 | 考えていること
 リビアが内戦状況に陥っている。カダフィ大佐が実権を握って40年余になるが、現代社会において、憲法も選挙も議会も無い不可思議な国だ。日本で言えば戦国時代の将軍のような感じか。警護に当っているのも、自国の兵では無く、金で雇った他国の傭兵とのこと。デモに参加した丸腰の国民を銃撃するなど「狂人」としか言いようがない。
 しかし、最高指導者が何故大佐なのか。大佐と言えば海軍で言うなら、戦艦(今日で言えばイージス艦)の艦長クラスでしかない。自分では肩書きを付けていないらしいが、実際は将軍さま気どりなのだろう。そう言えば、我が国の近くにも一人将軍さまがいたな。

NZ クライストチャーチ大地震

2011年02月25日 | 考えていること
 クライストチャーチの地震は直下型ということもあり大惨事になっている。当課にも報道機関から県人の被害が無いか問い合わせの電話が入る。だが、実際のところ、当課に情報が集まって来る訳ではなく、当方から旅行会社など関係先に個別に電話して情報収集するほかないのが実態である。幸い県人の被害は確認されていないが、報道されているように現地は大変な状況になっている。今は、一人でも多くの方々が救出されることを祈るばかりである。

質問予想事項

2011年02月22日 | 考えていること
 昨日から県議会2月定例会が始まった。23年度の当初予算案などを審議する一年間で最も重要な議会である。
 で、議会前になるといつも「質問予想事項」というものを作成する。これは言ってみれば、県幹部が各議員から質問された場合の、模範解答例の「虎の巻」みたいなもので、受験生にしてみれば「シケ単」や「シケ熟」のようなものだ。
 尤も、代表質問や一般質問の場合は、質問内容が予め示されるので、答弁案を準備し各部長等が答えることになる。これは専ら、常任委員会や特別委員会用である。こちらは各議員が基本的にフリーで質問するので、聴かれた方(各課長等)がアタフタしないためにも必携のバイブルなのである。
 中には想定外の質問を行う議員もいるので、その時こそが、問われた課長の知識と能力と度量と危機管理力が試されるのである。
 

北方領土について

2011年02月19日 | 考えていること
 昨日、市内に住むロシア人の女性が職場に来られた。本題はビジネスの相談なのだが、思うに、小職といろいろ話がしたかったのだろう。ロシアのこと、ソ連邦のこと、ロシアと日本を取り巻く話題など忌憚無く尋ねてみた。(私が生まれて初めて外国の地を訪れたのが「モスクワ」なのです。ロシアには格別な思い出があるのです。)
 その中で「北方領土」の問題にも話は及んだ。彼女にしてみれば、ロシア政府と同じく第二次世界大戦の結末が領土占有のターニングポイントであると考えている。ここで、小職が日本政府の立場を代弁したところで話は平行線となるので、こんなことを言ってみた。「カムチャツカから千島列島は、元々、日本でもロシアのものでもなかったのです。」要するに、主権国家が成立する以前は、そこに住む人々(アイヌの人々)の生活の場であったということを言いたかったのだ。
 昔、戦争漫画で日本が南サハリン(樺太)にユダヤ人国家の建設を支援するというものがあったが、将来的には、千島・樺太エリアは国境線を決めないで、ロシア人と日本人が共有、共住、共同管理するということはできないだろうか。全世界に先駆けて。そこに至るまでには、両国民の民意の高度な成熟と超高度な政治的判断が求められると思うが。
 という訳で、写真は国後島にある爺爺岳(1,822メートル)、本当に美しい山容です。

出張

2011年02月17日 | 考えていること
 ここ数日、県外出張が続いている。昨日は東京、今日は新潟へ。昨日は最終の「つばさ」で帰ってきたので自宅に着いたら今日になっていた。
 東京は、前日の15日は雪が結構降ったとのことであるが、16日にはすっかり無くなっていた。上の写真は、皇居・半蔵門付近。
 新潟市内も雪はほとんど無かった。途中の小国や県境付近の国道の両側はまだ雪の壁になっていたが、ここ数日は寒さが緩んできたこともあって、「壁」の取り崩し作業が行われていた。春がもうそこまで来ているようだ。

東宝特撮映画

2011年02月14日 | 考えていること
 普段雑誌の類は買わない性分なのだが、何故かデアゴスティーニ社の「東宝特撮映画DVDコレクション」を定期購入している。まぁ最初は書店で買っていたのだが、10号くらいから止められなくなって出版社に定期購読を申し込んでしまった。現在37号。ゴジラシリーズばかりではない。今回は「日本誕生」という昭和34年の作品。小職が誕生する以前のモノである。まだ鑑賞していないが。
 これまでの作品で何が良かったかと言えば、「地球防衛軍」とか「海底軍艦」とか主に昭和30年代のモノ。作品に何か人間味や安心感がありCGにはない手作り感があって、それでも映像や音楽などはすごい重厚感があったり、宇宙人もエイリアンでなく完全な人間型だったり。やはり、心の奥底には少年時代のDNAがしっかり残っているのかもしれない。
 そう言えば、ゴジラとかガメラとか大魔神とか、田舎にあるトキワ館(映画館というより板敷きの集会所)で見たものだ。当時は集落単位に映画館というか上映小屋が存在していた。本当に懐かしいねぇ。いい時代だったねぇ。

貧乏旅行

2011年02月13日 | 国内旅行
 鉄道旅行が趣味であると以前書いたような気がするが、今宵は、昨年8月に夏期休暇を取り、青春18きっぷで西日本を旅した際のショート旅行記。
 山形から京都まで夜行バスを利用。京都駅を起点に、山陰本線で鳥取、松江、萩、下関へ。関門海峡トンネルで小倉へ。下関から岩国、広島、呉へ。そこから、フェリーで松山へ渡り、宇和島、高知、池田、徳島、高松へ。瀬戸大橋を渡って岡山、相生、神戸、甲子園、大阪、和歌山、大津へ。京都から夜行バスで山形へ戻ってきた。宿泊は往復のバス車中と松江、下関、宇和島、徳島のビジネスホテル。
 いろんな思い出があるが、一番はローカル線を満喫できたことかな。宇和島から高知までの四万十川沿いの予土線の車窓は本当に筆舌に尽くし難い。(写真は早朝の宇和島駅。)
 他にも、松江のコンパクトで落ち着いた街並み、萩の美しい城下、下関の海峡タワー、呉の「てつのくじら館」、松山の道後温泉、学生時代の友人との再会、高知桂浜の龍馬像。そして生まれて初めての甲子園。日本には魅力的な街や地方がいっぱいある。
 これで全国47都道府県の中で踏破していない県が残り一つとなった。それは「宮崎県」なのです。

 

今日の霞城セントラル

2011年02月06日 | その他
 写真は、今朝の霞城セントラルビル。小職は、月に一度(日曜日)こちらに勤務している。今日は、山形市国際交流協会主催の「New year party」ということで、1階のアトリウムは大勢の市民で賑わっていた。
 夕方帰る頃になっても空が少し明るく、日が延びてきたことを実感したのであった。

尾花沢の実家へ

2011年02月01日 | その他
 先週末、尾花沢の実家へ行ってきた。もちろん、雪下ろし、いや雪掘りのため。思った以上に雪が多く、約2mぐらいかな。道路の両側が壁になっていた。アジアカップの決勝戦もじっくり見たかったので、久しぶりに泊まってきた。やはり実家はいいもんだ。精神的にリラックスできる。泊まったのは前回はいつだったろう。相当前のような気がする。多分、厄年の裸参りの時だから、2004年1月以来実に7年ぶりだ。
 自分もそうだが、親も年々年老いていく。親父の耳も遠くなってきた。雪下ろし、農作業… これから出来るだけ実家に足を運ぶようにしよう。