凡峰の徒然日記

 日々の出来事や普段考えていることなどを自由に書き記していきます。(山や旅の話題が多いけれど…)

慶應義塾

2011年01月25日 | 考えていること
今日、仕事で東京の慶應義塾大学に行ってきた。大学受験以来だから、う~ん約28年ぶり。結果は見事に不合格。何となく苦い経験を持つ処。まぁ、結局、中央大学というところに救ってもらい、現在の仕事に就いた訳だから、良かったのか悪かったのか。良かったことにしよう。
久しぶりに訪れた印象として、キャンパスが狭い!こんなに狭かったっけ?まぁ、中央大学(もちろん八王子)が山の上にあって、キャンパス内にトンネルまであるものだから、そのイメージと比較してしまうこと自体が無理な話か。
今日は久々に東京での学生時代を思い出しました。

大寒

2011年01月20日 | その他
今日は大寒。山形もここ連日寒い日が続いているが、それ以上に今年は雪が多いように思う。山形市内の積雪は現在47cm。まぁ実家の尾花沢に比べれば全然少ないが、昨年、一昨年と比較的降雪量が少なく、米沢への通勤もさほど苦労しなかったためそう感じるのかなぁ。けだし、通勤距離が短いということは実に有り難いことだ。

 「書」と「漢字」について

2011年01月16日 | 書道
 昨年から趣味で「書」を始めました。写真は去る11月に山形美術館に展示したモノ。この書体は、中国の清時代の書家「金農(号は冬心)」のスタイルでいわゆる隷書のジャンルに入ります。私自身、一見惚けたこの書体が大好きで最近特に好んで書いています。
 昨年末にハルビンを訪れた際に、黒龍江省政府の方に「金農」について尋ねたところ、名前を知らないとのこと。中国ではあまり有名ではないのかな。
 書を習うようになって、書には歴史の変遷とともにさまざまな書体や書風があり、改めて「漢字」という文字の奥深さに驚かされます。(現在の中国の簡体字も行書や草書の延長線上にあるようです。)
 また、日本には元々文字が無く、中国から漢字を学び、それをベースにひらがなやカタカナを考案した訳ですが、文字を使うようになってから、我が国の文化が事実上スタートしたことを考え合わせると、やはり漢字の母国である中国には感謝すべきだと思うのです。
 昨年後半は、尖閣問題で日中関係がギクシャクして仕事でも多少の影響が生じましたが、お互いに感謝と尊敬の念を持って接していくことが、真の日中友好を築いていくうえで大事だと思います。先入観や偏見を持たずに。 

山形鉄道フラワー長井線

2011年01月15日 | 考えていること
 小職が米沢に勤務していた頃の主たるミッションは、フラワー長井線を運行する第三セクター会社の山形鉄道株式会社の経営支援と経営改善方策の検討と実行。
 昨年度、公募選考で選ばれた野村浩志氏を新社長を迎え、また、緊急雇用基金事業などを活用して個性溢れるスタッフも充実。日々頑張っている様子は実に頼もしい。社員の意識も変わってきた。<先日まで河北新報にてシリーズで掲載。>
 しかし、一番重要なことは、沿線住民が「地域の足は自ら守る。」という強い意識とその実践(乗車行動)にほかならない。観光客の乗車や関連グッズの販売はその延長線上。
 車輌や施設の老朽化も年々深刻。税金で支援するにも限度がある。置賜の有志よ、用事が無くても月1回は乗ろうではないか。車窓から四季折々の景色を眺めるだけでも十分元は取れるぞ。<写真は土木遺産の最上川鉄橋(荒砥付近)。>

ハルビンの帰路

2011年01月10日 | 中国 ハルビン
ハルビンの帰路、機内から撮った写真。さぁ何処でしょう?ちょっと分かりにくいのですが、ウラジオストクの街です。正確に言うとムラヴィヨフアムールスキー半島の先端に見えるのがウラジオストクの街です。ハルビンから1時間ぐらいかな~。そこから1時間ほどで日本海を渡り新潟空港に着いてしまうのですから、ハルビンは本当に近い外国であることを実感しますね。
 そう言えば、gooさんにブログを載せてから今日でちょうど4年。かなり冬眠した時期もありましたが、生き残っていたことに深謝。これからも「自然体」で書いていきますので宜しく。

ハルビン

2011年01月08日 | 中国 ハルビン
昨年末に出張でハルビンに行ってきた。実に10年ぶり。中国の経済発展は目覚しいものがあるが、20年近く前に初めて訪れた時と比べると本当に隔世の感がある。マイカーも多くなった。個人所得は大幅に増えているのだろう。高層ビル、高層マンション群は日本の大都市以上だ。変わらないのは、冬の寒さ(-30℃)だけかな。