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にしみの鉄道情報局付属ブログ

岐垣線の移管

2007-10-01 | バス(路線・事業者)
10月1日をもって、岐阜バス岐垣線(ぎえん)が名阪近鉄バスに移管されまます。

岐垣線とは何かと解説しておくと、岐阜市と大垣市の間を結ぶバス路線で、戦前に岐垣鉄道組合によって運行開始されました。岐垣鉄道組合は岐阜と大垣の間を鉄道敷設しようとした今で言う第三セクターの会社で、鉄道敷設を断念してバス運行を始めた組織です。出資者は岐阜市大垣市墨俣町で、岐垣鉄道組合が戦時統合で岐阜バスに合併したことにより、この3つの自治体は岐阜バスの株式を数パーセントですが保有することになりました。ルートは、岐阜大垣間を墨俣経由で結ぶ岐垣国道(現県道岐阜垂井線)で、この岐垣国道が岐垣線の名称の元の1つとなってます

戦後は岐阜バスの看板路線として岐阜大垣間の直通運行や墨俣までの区間運転が頻繁に行われ、岐阜バス初の大型リアエンジンバスが運行されるなど、新車も優先的に投入されていました。その後、1974年に穂積経由の国道21号線岐大バイバスが全線で開通し、こちらを経由する直通便も設定されました。これに関連して穂積町内の朝日大学経由のスクール路線なども岐垣線を名乗っていたようです。最盛期は大垣に営業所があり、墨俣経由と岐大バイバス経由が頻繁に運転されていました。
岐阜側の終点は三田洞団地・さぎ山・長良高校前などで、岐垣線は郊外線扱いにもかかわらず、市内線のように岐阜市中心部を貫通し、長良川を渡ってさらにその北の団地まで運転されていたのが特徴でした。

その後、東海道線の増発、117系投入以降の車両の改善などもあって、岐阜大垣間の直通利用客は減少していきました。

1990年代に入ってからは中間部の利用客が見込めない岐大バイバス経由の県庁より西側が廃止され、墨俣経由は墨俣で分断となり、大垣発は入出庫の関係から岐阜西営業所の最寄りの岐阜流通センターまで運転されるようになりました。また、岐阜バスの大垣営業所も閉鎖され、岐阜西営業所に統合されました。その後、路線再編で岐阜側の終点がおぶさに変更され、路線名もおぶさ墨俣線となりました。また県庁~さぎ山の路線は他の路線に統合されました。
ちなみに、岐阜バスの系統のうち、岐阜聖徳学園大学~岐阜駅~水海道公民館の岐阜聖徳学園大学線(旧岐阜教育大学線)もかっては、岐垣線を名乗っていました。

岐阜バス 旧大垣営業所(最末期の回転場時代)


また最近では大垣駅の西側のルートが変わり、スイトピアセンター付近での循環運転となっています。

そして、10月1日には名阪近鉄バスに移管されることになりました。これによって、大垣市民病院経由となり、現在大垣市の飛び地となっている墨俣地区から大垣市民病院へのアクセスが容易になりました。この大垣市民病院乗り入れが、この移管の最大のポイントとなっているようです。


ちなみに同日で岐阜バス南濃線大垣~海津歴史民俗資料館間も同時に廃止されます。多くの区間ではバスが無くなりますが、名阪近鉄バスの路線が大垣へ直通しており、元からそちらの方が利用客が多い状態でした。

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