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nishimino

にしみの鉄道情報局付属ブログ

眠りにつく太陽

2011-05-22 | 書評
かって地球は長い氷河期や、今よりも暖かく海面が高かった時期がありました。その証拠に縄文時代の貝塚には、関東平野では群馬県の伊勢崎や桐生などかなりの内陸部に見られる例があります。その当時は当然のことながら、二酸化炭素排出による地球温暖化というものではなく、それ以外に要因があります。なぜ過去、氷河期や今以上に温暖な時期が存在したのか、それは太陽の活動に影響されると言われています。
今回はその太陽の活動と地球環境について取り上げた本、「眠りにつく太陽―地球は寒冷化する」桜井邦彦著祥伝社新書刊を紹介します。

筆者は長年太陽の黒点を観測していて、その数が太陽の活動、さらに地球環境に影響を及ぼしていることを指摘しています。
14世紀の中世ヨーロッパは温暖な時期から、小氷河期に入りつつ有った時代で、アルプスの氷河によって村が押しつぶされる、グリーンランドの入植が壊滅状態に陥るなどの記録が残っています。
日本でも、桜の開花が2週間以上遅くなったりと記録が残っています。これらの寒冷化の影響などもあり、中世ヨーロッパでは革命や戦争が起きたと言われています。

さて実際に1970年代から、徐々に地球の平均気温は上昇傾向にあり、2000年頃には夏場がかなり熱くなりました。ところが、2000年代に入ってからはたしかに暑いのですが、平均気温の上昇は落ち着いています。そのため、二酸化炭素では無く、別のところに地球温暖化の原因があるのではないかと筆者は見ているようです。2000年頃から太陽の活動が、少し落ち着いてきているのではないかと考えられています。

実際に、黒点数など太陽の活動と、地球気温の相関関係については1700年頃からのデータがあるのみで、もっと長いスパンで見ていかないと、詳しいことはわからないのではないかと感じました。

池上先生の本

2011-04-21 | 書評
池上彰氏はNHKの記者を経て、今はフリーで出筆活動やテレビ出演をしています。分かりやすいニュース解説が受けて、レギュラー番組を持っていました。テレビのレギュラー出演からは3月末で降板すると表明していましたが、東北の地震以後は特番に出ずっぱり状態になっていました。
ジャーナリストとしての使命感が有ったのか、それとも局からの強い要望があったのか、2・3日に1回は見かけた時もありました。今年の3月初めに、その池上さんの書いた本を2冊買ってみました。
「知らないと恥をかく世界の大問題」と「知らないと恥をかく世界の大問題2」で1冊目が2009年10月、2冊目が2011年2月発行です。

読んでみて思ったのは、大半が「そうだったのか!池上彰の学べるニュース」や「教えてMr.ニュース 池上彰のそうなんだニッポン」で扱われた内容で、その活字版というべきものでした。
それらのニュース解説のわかりやすさが、そのまま活字にされているようで面白く読むことが出来ました。

そのなかでちょっと気になった解説が一つ有って、なぜブッシュはイラク戦争を始めたかというのに、独自の視点から切り込んだ解説がありました。
ブッシュは、父親が果たせなかった2期目の大統領をやりたかった。過去アメリカの大統領は、戦争中は一度も負けたことがない。となると、戦争を起こせば大統領に再選できるというものでした。
それ以外にも、アフガニスタン戦争の直後のドサクサやら、石油利権やらいろいろ有ったのでしょうけど、あながち間違いとも言い切れないところもあるのではないかと思います。

2冊目の最終章では、これから日本がどう進めばいいのか、書かれていました。
マスコミも世論も、政治家の些細なミスや政局ばかり取り上げて、政策を取り上げない、マスコミに政策を取り上げられる記者がいないと書いています。実際に有権者の側にも問題があって、政策と関係ないスキャンダルばかり目を向けていると思います。
政権交代はいつもどん底からのスタートです。どうしょうもなくなったから政権交代がある。アメリカもそう、ギリシャもそう、そういう意味では日本もそうなのです。

政権交代については、どうしょうもなくなったからなのは同感で、今まで起きてきたことの半数は、前政権に責任が有ると思うのですが、そのあたりをマスコミも国民も分かっているのかと思います。

最後にこのメッセージを紹介します。
まずはニュースに関心をもつ、そして政治家を選ぶ目を養う。この国をよく出来るのは、ほかでもない、私たち一人ひとりなのです。


天罰発言について

2011-03-19 | 書評
東京都の石原慎太郎知事が14日に「この津波をうまく利用して、(日本人の)我欲を1回洗い落とす必要がある。積年たまった日本人の心のアカをね。これはやっぱり天罰だと思う。被災者の方々はかわいそうですよ」という、いわゆる天罰発言をしました。翌15日に謝罪して発言を撤回しましたが、驚きはしたもののまたかという気にもなりました。

というのも少し前にこんな本を読んだからです。

「石原慎太郎よ、退場せよ!」
斎藤貴男・吉田司著
洋泉社新書刊

老害を撤き散らすだけなら退場せよ!無責任体質全開の新銀行東京問題、花道にしたいだけの東京オリンピック招致、差別発言とともに進む社会的弱者切り捨て政策、教育現場から教員までもが逃げ出す教育改革、そして身内に甘いだけの人事と処世術…。この十年、新自由主義とナショナリズムの波に乗り、東京に君臨してきた「小皇帝」石原慎太郎だが、「時代に求められた男」の賞味期限はもう切れている。

書評にこんな言葉が並んでいるので、内容は大体検討がつくと思いますが、著者二人による対談形式で、石原都政の弊害やらかなり具体的に述べています。弊害というより、一部に対する弾圧政治だとも述べられてています。
後半では、その生い立ちからくる精神構造なども話題に上がっています。石原家はもともと葉山の資産家で、石原慎太郎裕次郎兄弟の父、石原潔は愛媛長浜の出身です。14歳で山下汽船(現商船三井)に入社して、小樽出張所の主任になり、後に東京支店の副支店長になります。この時点で、山下汽船の重役クラスで、かなりの資産家となったようです。
この小樽と葉山という2つの街が、石原慎太郎の精神構造に大きな影響を与えたと書いています。小樽で上流階級で上から見ていたのが、葉山では華族や維新の武勲に囲まれた地帯で、石原家は下の方でしか無かったと述べられています。
石原慎太郎裕次郎兄弟の父、石原潔の生涯は大河ドラマ的であり面白いのですが、石原慎太郎のところになるとあまり面白く無くなり、単なる金持ちのボンボンになってしまうとありました。

さて、統一地方選が予定通り行われるかはかなり微妙になってきましたが、4期目に対する出馬表明した石原慎太郎を東京都民はどう判断するんでしょうか。

13階段

2011-02-10 | 書評

江戸川乱歩賞を受賞した、高野和明著「13階段」という作品、これこの作家のデビュー作なんですが、とてもそのようには思えません。
犯行時刻の記憶を失った死刑囚。その冤罪を晴らすべく、刑務官・南郷は、前科を背負った青年・三上と共に調査を始める。だが手掛かりは、死刑囚の脳裏に甦った「階段」の記憶のみ。処刑までに残された時間はわずかしかない。2人は、無実の男の命を救うことができるのか。江戸川乱歩賞史上に燦然と輝く傑作長編。

ブックカバーの解説から上の説明文を引用しましたが、13階段のタイトル通り、死刑に関係のある話です。
無期懲役から仮釈放になった人物が仮釈放後にどうなるのか、実際の死刑の執行はどのように行われるのか、かなりの骨太の内容です。死刑を執行する側の刑務官の心理描写などが、見事に書かれている内容です。

この内容なら、江戸川乱歩賞も納得の内容ではないかと思います。

信長暗殺は光秀にあらず

2011-01-02 | 書評

本能寺の変の謎はいろいろ有って、明智光秀の動機も今だ謎とされています。
この光秀の動機ですが、もし光秀が無実ならば、信長に対する反意が無いことも説明がつきます。
今回紹介する「信長暗殺は光秀のあらず」馬野秀行著イースト・プレス刊は、本能寺の変の首謀者が光秀ではなく、光秀は無罪ということを主張しています。




さて、もともと信長は何のために、京都に向かっていたのか、もともと光秀は何のために軍勢を集めたのか。この点から考えなければならないと思います。
信長は別に本能寺で茶会をするために京都に集まったのではなく、京都の公家衆などと暦や官位に関する協議をしています。その後、どうするつもりだったのかというと、数ヶ月前の武田攻めの時のように、信長自身が大軍を率いて毛利攻めに向かう予定でした。

さて、武田征伐の時、先遣隊は信長の嫡男、信忠で軍勢の主力は尾張美濃勢でした。信長の本隊は近畿勢でしたが、この近畿勢を率いていたのが光秀でした。武田攻めの時、光秀の配下には、細川忠興や筒井順慶が付けられ、安土城から東へ向けて出発しています。

この武田攻めの先例に従うと、毛利攻めの信長本隊は光秀と配下の近畿の軍勢ということになります。光秀は丹波から京都本能寺へ向かうため、途中で軍勢の向きを変えたのではなく、初めから京都に向かうように信長から指示を受けていた事になります。それを示すように大和の筒井順慶は、現地集合なら直接大阪方面に向かうはずですが、本能寺の変の当日は大和から京都に向かっていました。
つまり、毛利攻めは安土城で集合では、大軍が京都と安土の間を往復する形で、不効率だったため、合理主義者の信長らしく、京都に集合することにしたのではと推測されます。信長自身は数十人の供回りを連れて京都に入り、ここで光秀配下の軍勢と合流するつもりだったのではないかと考えられます。
光秀は信長の命令通り、京都に向かい、その千載一遇のチャンスを活かしたと考えたほうが自然になります。

信長が一番信用していたのは、秀吉でも勝家でもなく、明智光秀だと言われています。その証拠に、比叡山に近い坂本に城を与えています。この位置は信長の居城の安土城の対岸にあるだけではなく、比叡山や京都などに近い重要な場所です。また、京都北部の丹波地方も与えており、もっとも重要な地域を光秀に任せています。


ところで、本能寺の所在地ですが、京都市役所の反対側の寺町通御池下ルにありますが、当時は四条堀川に近い油小路通錦小路上ルにあったそうです。ちなみに信長の嫡男信忠が滞在していた妙覚寺と二条城(二条御所)は烏丸御池付近にあり、わずか1km、徒歩10分ほどの所にあります。
このわずか数分距離にも関わらず、明智軍の本能寺への攻撃は明け方の午前4時もしくは6時ごろ(諸説ある)、二条御所への攻撃は午前8時頃と時間差が生じています。明智軍は1万を超える大軍ですので、同時攻撃なども容易ですが、この時間差も本能寺の変の大きな謎です。


ところで、信長はあちこちで恨みを買うようなことをたくさんしています。伊勢長島の一向一揆討伐に始まり、比叡山焼き討ち、伊賀討伐などあちこちで、恨みを買うようなことをしており、信長を暗殺しようとした勢力があったのではと筆者は考えたようです。
つまり、本能寺へは多くてもい100人程度の刺客が、攻撃を行い信長をごく短時間に暗殺し、二条御所には明智軍が数千人の軍勢で攻撃を行ったと推理しています。この二条御所への攻撃の首謀者は、明智光秀ではなく、光秀の家老であった斉藤利三ではないかと言うのが、筆者の推理です。
光秀に動機もなく、そののちの戦略も中途半端だったのは、突如として本能寺の変直後という状況に放りこまれたためだと推理しています。

さて、本能寺を襲撃したのは誰だったのか、その黒幕は誰なのか。それはこの本の筆者の想像でしか無いのですが、よく言われる近衛前久も関わっていたと推理しています。
その黒幕とその理由が、本の後半では書かれていました。