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nishimino

にしみの鉄道情報局付属ブログ

旧大社駅

2021-03-04 | 


出雲大社の玄関口の大社駅。1990年に大社線が廃線になった後も、駅舎は保存され、2004年には重要文化財に指定されました。
ここから出雲大社の大鳥居まで1km以上もあり、さらに本殿までは2km近くあります。現在の感覚だと、出雲大社の遥か彼方に駅があり、観光客の利用率低迷の原因ではないかと思います。
ちなみに伊勢市駅から伊勢神宮外宮までは500m程度で、現在の一畑の出雲大社前駅から大鳥居までの距離に相当します。500mぐらいが参道としては適切な長さなのかもしれません。
旧大社駅周辺ですが、飲食店が数店あるだけで、出雲大社の参道の入口という感じはありません。






内部も豪華で、出雲大社の玄関口にふさわしい駅舎です。ホームも長く、D51 775号機も保存されています。駅舎内には国鉄末期の運賃表がそのまま残っていました。初詣の時期などは乗客が多かったらしく、団体多客期用の改札もありました。

なお、旧大社駅駅舎ですが、現在保存のため、2025年までの予定で解体修理を行っているそうです。


撮影 2018年8月31日

布原駅

2020-10-02 | 



布原駅は伯備線の新見と備中神代の間の小駅で、伯備線の列車は普通列車をふくめて停車せず、芸備線へ直通する列車のみが停車することで知られています。
ただし、もともと布原信号所として開設され、のちに仮乗降場から駅に昇格したため、現在も伯備線の列車が行き違いのため運転停車することがあります。
駅のホームは伯備線の電車が停車しない前提なので短く、1両分しかありませんが、特急列車や貨物列車の行き違いを想定しているので、有効長はかなり長いです。

近年注目を集める秘境駅で、駅の周辺には数軒の人家があり、駅へ続く道はすれ違い困難な狭い道があるのみです。
ただし、新見市の中心部や中国自動車の新見インターから車で10~15分程度で到達でき、近隣に工業団地もあるので生活困難な、いわゆる限界集落ではありません。



なお、伯備線の新見米子間の1往復は、現在岡山気動車区のキハ120で運行されていますが、この布原駅は当然通過しています。


撮影 2020年8月8日

鳴門駅

2020-08-10 | 


古くから四国の玄関口であった鳴門の中心の鳴門駅。京阪神方面への輸送の中心が高速鳴門バス停に移り、徳島県内とのローカル輸送が主体になっています。高速鳴門バス停とは1.5km程度離れていて、徒歩15分ほどの距離です。この間、1時間に数本、路線バスも走っていますが、このバスは徳島駅まで直通するバスなので、高速バスから鳴門線への乗り換えで、この間だけバスを使う乗客は少ないようです。

なお鳴門線は鳴門市内の需要もある程度あって、それなりの利用者はあるようです。

撮影 2019年12月14日

旧国名の省略

2020-06-27 | 
2004年以前近鉄では大半の旧国名を冠する駅の旧国名を省略していました。名古屋線の急行の停車駅のアナウンスで、伊勢若松は旧国名を省略せずフルネームで案内しますが、伊勢中川は旧国名を省略して中川と案内していました。中川が伊勢中川だと理解するのに、少し戸惑った記憶があります。自分は元近鉄の養老鉄道の沿線住人で、近鉄はもっとも身近な大手私鉄ですが、頻繁に乗車するのは養老鉄道以外では、名古屋線と京都線(と奈良線大和西大寺奈良間)ぐらいです。
それで、逆に大和西大寺は、京都駅で西大寺行きとか西大寺で奈良行きに接続とか案内するので、長年旧国名を冠さない駅だと思っていました。また、電車の行き先になっている伊勢中川や大和西大寺などは、旧国名を略した行き先幕が一般的でした。
地元の養老線の養老鉄道移管前ですが、旧国名を略したり略さなかったりで、一貫性はあまりなかったように記憶しています。

それで1997年に発行された寺本光照氏の著書によると、旧国名を略す駅と略さない駅は以下になっています。

・旧国名略す駅
河内山本・河内国分・河内永和・河内小阪・河内花園・大和八木・大和朝倉・大和西大寺・伊賀上津・、伊勢石橋・伊勢中川・伊勢川島・伊勢中原・志摩赤崎・志摩横山・志摩神明・美濃津屋(現養老鉄道)・美濃山崎(現養老鉄道)・美濃松山(現養老鉄道)・美濃本郷(現養老鉄道)

・旧国名を略さない駅
河内天美・河内松原・河内長野・大和高田・大和上市・伊賀神戸・伊賀上野(現伊賀鉄道)・伊勢若松・伊勢朝日・伊勢松本・志摩磯部・美濃青柳(現養老鉄道)・美濃高田(現養老鉄道)

同氏の2019年の著書によると、2004年以前に旧国名を略さずフルネームで案内する駅はもっと少なく、以下の6駅です。(養老鉄道伊賀鉄道移管を除く)

河内天美・河内松原・河内長野・大和上市・伊賀神戸・伊勢若松

1.旧上本町営業局管内(大軌参急開業区間)
1941年(昭和16年)に大阪電気軌道(大軌)と参宮急行電鉄(参急)が合併したときに、社名の大軌と参急を冠していた駅のうち、近隣に国鉄の同名駅があった駅については養老線に同名駅がある大和高田を除いて新社名の関西急行鉄道の略称の関急を冠した駅名に改称されましたが(近鉄八尾・近鉄郡山・近鉄奈良)、それ以外は旧国名を冠するようになりました。
この、もともと大軌参急を冠していて、合併時に旧国名を冠するようになった以下の駅は、養老線の同名駅と区別する必要のある大和高田を除いて、2004年以前は全て旧国名を略して案内していました。

河内山本・河内国分・河内永和・河内小阪・河内花園・大和八木・大和西大寺・伊賀上津・伊勢石橋・伊勢中川・伊勢中原

大阪線の伊賀神戸については、開業時から伊賀神戸を名乗っていたことや、鈴鹿線の鈴鹿市が伊勢神戸をかって名乗っていた事情もあり、旧国名は省略されていません。
なお、大和朝倉駅は1944年の開業で、開業時から駅名は変わっていませんが、旧国名は省略されて案内されていたようです。

伊賀鉄道に移管された伊賀線の伊賀上野は、国鉄JRとの共同使用駅ということと、同じ伊賀線に上野市駅が存在することから旧国名は省略されていなかったようです。

2.旧天王寺営業局管内(大阪鉄道・吉野鉄道開業区間)
南大阪線などを所管していた旧天王寺営業局管内の旧国名を冠する以下の4駅については、全てフルネームで案内しており、旧国名を省略していません。

河内天美・河内松原・河内長野・大和上市

河内長野については、駅の所在地の河内郡長野町が市制施行時に河内長野市になったときに長野から河内長野に改称されたという事情があり、河内天美については、近隣の南海高野線に同音の天見があるので、それとの区別があったようです。
それ以外の河内松原と大和上市の2駅については略さない理由ははっきりしませんが、開業時から旧国名を冠していたので地元で定着していたのではないかと同氏は推理しています。

3.旧名古屋営業局(伊勢電・志摩電鉄・養老鉄道開業区間)
旧国名を略す方針が、どうやら旧名古屋営業局の方にも影響したらしく、名古屋線や湯の山線、志摩線、養老線の開業時から旧国名を冠する駅も、旧国名を省略するようになっていったようです。もっとも養老線の地元では近鉄が旧国名を省略しても、開業時から旧国名入の駅名だったことも有って、自治体や地元の案内図などでは省略しないケースが多かったと記憶しています。
志摩線の志摩磯部は、2007年まで志摩スペイン村へのバス乗り換え駅で、志摩スペイン村開業後は旧国名を省略しなくなったようです。

ただし冒頭に書いたように伊勢若松だけは、以前から旧国名を省略せずフルネームで案内しており、2度めの案内でも若松と案内したことは少ないと思います。また電車の行き先表示も省略されたものはありませんでした。
これは、同駅が伊勢電による開業時から旧国名入の駅名で、地元でフルネームの駅名が定着していたようです。また自分は有名な福島県の会津若松市の影響もあり、旧国名を略さなかったのではないかと考えています。


ところで、伊勢市だけは近鉄といえども絶対に旧国名を略しません。

参考文献 こんなに面白い近鉄電車100年 寺本光照著 交通新聞社新書刊

国鉄の市駅

2020-05-01 | 
市名の後に市をつけるいわゆる市駅は和歌山や松山などが代表例なのですが、市街地に近い私鉄の駅という印象がありますが、旧国名+市駅はむしろ国鉄の方が多く見られます。
旧国名の地方自治体名は昭和の大合併などで多く誕生しましたが、それらの自治体の中心駅は市駅を名乗っています。


1・伊勢市駅
参宮鉄道の駅、山田駅として1897年(明治30年)開業。1907年(明治40年)に参宮鉄道が国有化。
参宮鉄道開業時には伊勢神宮外宮の門前の山田と、内宮門前の宇治が合併して、宇治山田町が成立(1889年(明治22年)度会郡宇治町と山田町が合併)していたが、宇治山田町山田地区にある駅ということと、江戸時代からの外宮門前の山田の知名度が高く山田という駅名になったと思われる。
1906年(明治39年)に宇治山田町が市政施工し宇治山田市になったのち、1931年(昭和6年)に参宮急行電鉄(後の近鉄)が開業し、宇治山田駅がターミナルとして開業。

戦後、1955年(昭和30年)に、宇治山田市は周辺市町村と合併、伊勢市が発足。その4年後の1959年(昭和34年)に、山田駅は伊勢市駅に改称。


2・出雲市駅
出雲今市駅として1910年(明治43年)開業。当時に自治体名は簸川郡今市町で日光線今市駅(1890年(明治23年)開業)との重複を避けるため、出雲今市を名乗ったと思われる。
その後、今市町は周辺町村と合併して昭和16年(1941年)2月に出雲町、同年11月に市制施行を行い出雲市が発足。
出雲今市駅が出雲市駅に改称されるのは、それから16年後の1957年(昭和32年)になる。


3・長門市駅
正明市駅(しょうみょういち)として、1924年(大正13年)に開業。当時の自治体名は大津郡深川村で、中心市街地の正明市を取って正明市駅となった模様。
1954年(昭和29年)に、周辺町村と合併して長門市が発足。その8年後の1962年(昭和37年)に、正明市駅が長門市駅に改称。


4・伊予市駅
南郡中駅として、1930年(昭和5年)に開業。当時の所在地は伊予郡郡中町。すでに、伊予鉄道郡中線が開業しており、郡中駅が存在したため、南郡中駅になった模様。伊予鉄道は1939年(昭和14年)に郡中駅から国鉄南郡中駅付近まで路線を延長しているが、駅名は郡中港駅となった。
郡中町は1955年(昭和30年)に周辺町村と合併して伊予市が発足。その2年後1957年(昭和32年)に、南郡中駅が伊予市駅に改称。


5・日向市駅
富高駅として、1921年(大正10年)に開業。当時の所在地は、東臼杵郡富高町。1951年(昭和26年)に市制施行を行い、日向市が発足。
その12年後の1963年(昭和38年)に富高駅が日向市駅に改称。


6・美濃市駅
美濃町駅として、1923年(大正12年)に開業。当時の所在地は、武儀郡美濃町。1954年(昭和29年)に周辺町村と合併して、市制施行。同時に美濃市駅へ改称。その後に長良川鉄道へ移管。

なお、近隣に名鉄美濃町線美濃駅(1999年廃止)が存在した。同駅は、開業時上有知駅を名乗っており、その後美濃町へ改称、さらに越美南線開業時に新美濃町へ改称。1954年(昭和29年)に美濃駅となった。
国鉄が名鉄(当時は美濃電気軌道)の駅名を横取りした形になった。同様の例は新子安などにも見られる。


7・山梨市駅
日下部駅として、1903年(明治36年)に開業。当時の所在地は、東山梨郡加納岩村。近隣の日下部町の地名が駅名として採用された模様。
1954年(昭和29年)7月1日に日下部町、加納岩町などが合併して、山梨市が発足。
その8年後の1962年(昭和37年)に、日下部駅が山梨市駅へ改称。


8・伊那市駅
伊那町駅として1912年(明治45年)に伊那電車軌道が開業。当時の所在地は、上伊那郡伊那町。1943年(昭和18年)に伊那電気鉄道が国有化。1954年(昭和29年)に、伊那町の市制施行と同時に伊那市駅へ改称。

なお、頭に伊那の付く駅は駅名の重複防止のため、伊那市内以外にも飯田線内に見られる


9・土岐市駅
土岐津駅として、1902年(明治35年)に開業。当時の所在地は、土岐郡泉町。駅名は土岐川の対岸の土岐津町から取られた。
1955年(昭和30年)土岐郡土岐津町泉町など、土岐郡の半数の町村が合併して土岐市が発足。
その10年後の1965年(昭和40年)に土岐市駅へ改称。

旧土岐郡は現在の多治見市、土岐市、瑞浪市にまたがるエリアで、旧土岐郡の中心は多治見市のため土岐市駅となった模様。


10・熊野市駅
紀伊木本駅として、1940年(昭和15年)に開業。当時の所在地は、南牟婁郡有井村。駅名は駅すぐ東側の木本町から取られた。北陸本線木ノ本駅との重複を避けるために、旧国名の紀伊が冠せられたと思われる。
1954年(昭和29年)に木本町、有井村など周辺町村と合併して、熊野市が発足。
その5年後の1959年(昭和34年)の紀勢本線全通に合わせて、紀伊木本駅を熊野市駅に改称。

熊野の名称は紀伊半島南部の地方名で、三重県熊野市域のみではなく和歌山県側や三重県尾鷲市なども該当する。熊野三山の熊野本宮大社は紀伊田辺市(旧本宮町)、熊野速玉大社は新宮市、熊野那智大社は那智勝浦町でいずれも和歌山県内にある。



現在長良川鉄道になった美濃市駅 撮影 2007年11月10日


国鉄は自治体名が昭和の大合併などで、旧国名(伊勢市・出雲市・長門市・伊予市・日向市・美濃市)や郡名(土岐市・山梨市)、地方名(熊野市・伊那市)などが採用された場合、その市にある駅ということで、駅名に市をつけるようです。


例外1・堺市駅
阪和線金岡駅が1965年(昭和40年)に堺市駅に改称。南海線に堺駅があったため、採用された模様。なお阪和線の前進の阪和電気鉄道よりも南海電鉄の開業が先のため、阪和線の駅は東岸和田や東貝塚など東を付けて重複を避けているが、高野線に堺東駅があったため、東堺は避けられた。

例外2・大田市駅
石見大田駅を1971年(昭和46年)に改称。大田市の市制施行は1954年(昭和29年)。改名理由不明。


なおJR化後の市駅に西脇市駅や龍ケ崎市駅があります。